『波紋』
荻上直子監督が筒井真理子を主演に迎え、次々と襲いかかる現代社会の不条理に翻弄され新興宗教にすがる中年女の悲哀を描く。
公開:2023 年 時間:120分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 荻上直子 キャスト 須藤依子: 筒井真理子 須藤修: 光石研 須藤拓哉: 磯村勇斗 川上珠美: 津田絵理奈 渡辺美佐江: 安藤玉恵 橋本昌子: キムラ緑子 小笠原ひとみ: 江口のりこ 伊藤節子: 平岩紙 門倉太郎: 柄本明 水木: 木野花
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
ポイント
- 現代社会の不条理をいろいろ盛り込みたかったのだろうけれど、どれも扱いがステレオタイプで想像できてしまい、もう少し深掘りと意外性が欲しかった。庭に枯山水というのは斬新だったけれど。
あらすじ
須藤依子(筒井真理子)は「緑命会」という新興宗教を信仰し、祈りと勉強会に励みながら心穏やかな日々を過ごしていた。
そんなある日、失踪した夫・修(光石研)が突然帰ってくる。自分の父の介護を依子に押しつけたままいなくなった修は、がんになったので治療費を援助してほしいという。
さらに息子・拓哉(磯村勇斗)は障害のある珠美(津田絵理奈)を結婚相手として連れ帰り、パート先では理不尽な客に罵倒されるなど、自分ではどうしようもない苦難が次々と依子に降りかかる。
湧きあがってくる黒い感情を、宗教にすがることで必死に押さえつけようとする依子だった。
レビュー(まずはネタバレなし)
絶望エンタテインメントというが
「痛快・爽快!絶望エンタテインメントの誕生」という宣伝文句が掲げられている。そう言われれば、分からなくもないが、少なくとも私にとってはエンタメではなかった。楽しめなかったから。
荻上直子監督作品は、生田斗真と桐谷健太の新たな一面を引き出した『彼らが本気で編むときは、』(2017)の作品の優しさがとても気に入っていたのだが、本作は私とは相性が悪かった。
当然、相性バッチリなひとも大勢いるのだろうが、以下は私の正直な思いを綴っている。
◇
筒井真理子が演じる主人公の須藤依子が、次々と直面する社会問題に翻弄されるダークな家族ドラマである。
冒頭はスーパーマーケットでのミネラルウォーターの買い争い。ここから、原発事故の報道、うがい薬が効果があるとか、放射性の雨に注意とか、怪情報に振り回される生活が描かれる。
住宅地の戸建て住宅。家族はガーデニングに精を出す夫の修(光石研)と一人息子の拓哉(磯村勇斗)。同居する寝たきりの義父の世話も依子の仕事だ。
だが、ある日突然に修は失踪し、放射能汚染に脅える東京で依子は家を守り、寝たきりの義父は亡くなり、そして彼女は新興宗教にのめり込んでいく。
拓哉は九州の大学に通うため家を出て、一人で家に残った依子は、ガーデニングの植物を一切捨てて、庭に枯山水をこしらえる。
更年期障害に苦しみながらスーパーのレジ打ち仕事をこなし、信仰活動に時間とカネを投じている依子の生活はそれなりに平静であったが、そこに修が突然舞い戻ってきたことで、心は再び荒み始める。
社会問題の扱いが薄っぺらい
本作で残念な点をひとことで言えば、社会問題の取り上げ方の底が浅すぎる点だ。現代社会の問題点になりそうなものを、とりあえず詰め込んでみたような仕上げで、どれもあまりにステレオタイプで深みがない。
◇
今になって東日本大震災を題材にするのなら、相応の覚悟や深掘りが必要だろうに、ただ東京でデマに流され右往左往する生活を描く、或いは夫が失踪する動機というだけのために使われる。
新興宗教の扱いも、教団幹部のキムラ緑子は適役だったが、怪しいお経と踊り、有難い水を高価で売りつける、洗脳された信者たち、と描き方は手垢のついたものばかりで既視感しかない。
義父の世話や家事を当たり前のように主婦である依子がするという家庭の描き方も見飽きたものだし、パート仕事といえばスーパーのレジ打ちというのも、あまりに芸がない。
夫がガンで治療にカネがかかるといって泣きつく話や、息子が連れてきたカノジョ(津田絵理奈)を、耳が不自由でしかも6歳も年上だから受け容れないという話も、どれもベタすぎる。
◇
商品に傷があるから半値にしろと凄むのが日課のスーパーの常連客(柄本明)もそうだ。本作で依子を悩ます現代社会の問題は、ただ数が多いだけで、どれも新鮮味に欠ける。意表を突いたのは、庭の枯山水くらいではないか。
それに、津田絵理奈は実際に難聴障害をもつ女優なので、本作のように笑いや差別のネタとして起用されるのは、聾者の役がリアルなだけに、居心地が悪かった。
役者が実力派揃いだから
「依子から広がる波紋は、きっと全ての女性、いや現代社会に生きる全ての人に届くことだろう。依子は、あなただ。」
公式サイトのキャッチコピーとはいえ、随分強気だ。少なくとも、私は依子ではなかった。
「豪華俳優陣結集」という謳い文句には同意する。主演の筒井真理子の演技は圧巻だし、いつまでも若く美しい。家族の光石研と磯村勇斗、依子が心を開く同僚の木野花、哀愁漂うクレーム老人客の柄本明など、脇を固める俳優陣もみな実力派揃いだ。
だからこそ、本作は映画としてどうにか二時間観ていられる。だが、脚本が弱い、演出が弱い。
例えば、売れっ子の磯村勇斗。一年程度遡っただけでも本作と同じような題材を扱った出演作が揃い、新興宗教なら『ビリーバーズ』、一滴の水なら『渇水』、障害者差別なら『月』と、いずれの作品も本作よりエッジが効いている。
なお、本作ではインチキ宗教の怪しい水だと騒ぐ光石研が、隣人役で登場の安藤玉恵と共演する『恋人たち』(2015)では一緒に怪しい水を高額で売っているのだが、同作は現代社会の厳しさに深く切り込んでいる。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
急に笑えと言われてもなあ
本作の前半部分は、光石研演じる修のダメなポイントばかりがクローズアップされる。
依子を起こすうるさい鼾から始まり、独りよがりでセンスのないガーデニング、横柄な態度、失踪と舞い戻り、ズルズルと音をたてて啜る味噌汁など、気に障ることばかり。
義父の葬式を出し、枯山水を作り、家の中を新興宗教から買った緑命水だらけにして祈りをささげる依子の気持ちも分かる。
だが、後半に進むにつれ、これは依子が救済されるのではなく、しっぺ返しを食らう映画なのだと分かってくる。
それを分かり易く伝えているのが、枯山水の波紋の上で家族たちがアバターのようになって口論し合うカット(松重豊の名刺のCMみたい)なのだが、そこはブラックユーモアたっぷりに描かれている。
ただ、ここだけ急にコメディタッチになるので、意識の切り替えが追い付かず、笑いそびれる。
「お父さんはね、放射能が怖くて家族を置いて自分だけ逃げたのよ。そして癌になって帰ってきたの」
夫を笑う依子を、息子の拓哉が突き放す。
「父さんは放射能じゃなくて、母さんから逃げたんだよ」
愛する息子からも愛想を尽かされる依子。だが、この台詞にも説得力はない。少なくとも、父の介護を任せ、家事もパート職もしてくれている妻から、夫が失踪するような手がかりは本作からは滲み出してこない。
天気雨の下でフラメンコ
結局、全てはラストシーンに関係してくるように思う。
夫が亡くなり、息子は九州に帰り、また一人暮らしに戻る依子が庭の枯山水の上で、昔やっていたフラメンコを踊り出す。
雨の中で濡れることも厭わず踊るシーンは、何かが吹っ切れたような希望のあるラストにしたいのだと想像するが、上には青い空が写っている。
これは天気雨という設定なのかもしれないが、単に曇天待ちをしなかった手抜きに見えてしまう。そんな私には、この不可解なラストシーンは何も訴えてこなかった。
きっと、このラストの筒井真理子のフラメンコに共感できるひとは、本作自体を高く買っているひとなのだろう。私には付き合いきれなかった。
この無力感は、『茜色に焼かれる』(2021、石井裕也監督)のラスト、尾野真千子の演じる前衛芸術を前に匙を投げてしまった時に近い。