『バケモノの子』細田守監督作品一気通貫レビュー|スタジオ地図のミライ④

スポンサーリンク

『バケモノの子』
 The Boy and The Beast

細田守監督が、渋谷の町に並行して存在するバケモノの街を舞台に描く、師匠に武芸を学ぶ少年の成長譚。

公開:2007 年  時間:114分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:       細田守

声優
九太/蓮: (幼少期)宮崎あおい
      (青年期) 染谷将太
熊徹:         役所広司
楓:          広瀬すず
多々良:         大泉洋
百秋坊:   リリー・フランキー
宗師/卯月:      津川雅彦
猪王山:        山路和弘
一郎彦:  (幼少期)  黒木華
      (青年期) 宮野真守
二郎丸:  (幼少期) 大野百花
      (青年期) 山口勝平
九太の父:       長塚圭史
九太の母:      麻生久美子

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

ポイント

  • ジブリ系やらジャッキー・チェンやら、いろいろな元ネタの存在に既視感はあるが、渋谷とバケモノの街をつないだアイデアは楽しい。もはや再開発著しい渋谷の原風景が見られる貴重なアニメといえるかもしれない。細田アニメの王道をいく一本。ここまではハズレなし。

あらすじ

並行する二つの世界“渋谷”とバケモノたちが住む“渋天街じゅうてんがい”。ある時、ひとりぼっちの少年が、強さを求めてバケモノの世界へ行くことを決意する。

バケモノの熊徹に弟子入りし、九太という名を授けられた少年は、共同生活と修行の日々の中で、熊徹と時にはぶつかり合いながらも本当の親子のような絆を育んでいく。

やがて九太が青年となったある日、渋谷に戻った彼は高校生の少女・楓と出会う。

スポンサーリンク

今更レビュー(まずはネタバレなし)

熊のバケモノと少年が剣を肩に担いでるポスタービジュアルからは想像しがたいが、本作は渋谷区から一歩も出ない作品なのだ。

『サマーウォーズ』では長野県上田市、『おおかみこどもの雨と雪』では富山県、そして今回初めて知ったが『時をかける少女』では西武新宿線の中井が舞台になっている。

今回は初めて大繁華街にスポットを当て、渋谷のスクランブル交差点を中心にあちこち動き回る。新海誠の聖地が新宿なら、細田守は渋谷だという構図が思い浮かぶ。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

本作は師匠に鍛えられる少年の成長譚だ。母を亡くし、離婚した父も消息不明で、そりの合わない母の実家を家出した主人公の少年・レンは、渋谷を徘徊するうちに熊のバケモノ・熊徹くまてつに遭遇し、「俺と一緒に来るか」と声を掛けられる。

熊徹は、その渋谷の街と並行するバケモノの世界渋天街じゅうてんがいの住人で、弟子を探しに人間社会に来ていた。渋天街ではバケモノを統率する宗師が神様に転生する事となり、新しい宗師を選ぼうとしていた。

候補は二人、人望も厚く文武両道の人格者・猪王山いおうぜんと、腕っ節は強いが粗暴で孤独な熊徹

現実の渋谷をリアルに描きながら、同じ町に別なコミュニティを形成する様々な動物の形をしたバケモノたち。『サマーウォーズ』では現実社会と巧みに融合させたバーチャルなOZの世界が、本作では渋天街となる。

スポンサーリンク

警官の補導から逃れようとセンター街の裏道を走り回っているうちに、蓮はこの渋天街に迷い込んでしまい、先ほど声をかけられた熊徹と再び鉢合わせする。

警官に捕まればうるさい祖父母のもとに戻される。バケモノたちには不人気だが腕は滅法強い熊徹に、強くなりたい蓮は弟子入りすることとなり、一緒に暮らし始める。

半ば強引とも思える序盤のストーリー展開が小気味よい。

センター街で拾った謎の生き物チコを肩に乗せた蓮はまるで風の谷のナウシカキツネリスのようだし、個人情報だからと名前を教えない蓮に「ならば、9歳だから九太だ」と名付ける熊徹も、「お前は今日から千だよ」千尋に告げる湯婆婆と重なる。

バケモノの子 予告篇

そもそも、八百万の神が住む『千と千尋の神隠し』の世界と、神に転生できる動物のバケモノ世界はどこか類似しているし、本作にはこれまで以上に宮崎駿の影響が感じられる。

さて、ここから先は、強いだけが取り柄で弟子の指導など不向きな熊徹と、生意気盛りの九太との師弟の物語。口だけは達者だが、剣を持たせてもろくに使いこなせない弱っちい九太だが、毎日のように師匠の動きを模倣するうちに、その立ち振る舞いを身につけ始める。

このステップは楽しく、ジャッキー・チェン『蛇拳』『酔拳』から『ベスト・キッド』といった師弟のアクション映画の作法に則っていて懐かしい。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

ところで声優に関してだが、本業の声優ではなく俳優を起用すること自体は、本作に限らずよくみられることだ。ただ、本作では声を聞いただけですぐに俳優が思い浮かぶ例があまりに多い

熊徹(役所広司)九太(宮崎あおい)、猿の多々良(大泉洋)、豚の百秋坊(リリー・フランキー)、兎の宗師(津川雅彦)、そして九太の母(麻生久美子)

勿論みな役者として優れた人たちだし、声優仕事としても立派な出来だが(特にリリーは上手だった)、アニメで声を聞いて俳優の顔が浮かんでしまうのは、個人的に苦手だ。

また、九太宮崎あおいや、猪王山の次男・二郎丸大野百花は、それぞれ『おおかみこども~』と娘の<雪>の声優でもあり、本作でも前作のイメージを引き摺ってしまうのが難点。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

九太は思春期に小学校~中学高校と通えなかったが、17歳になり渋谷に行き、知り合った女子高生・の助けを借りて猛全と勉強し始める。そして、失踪したはずの父の住所を偶然手に入れ、ついに再会を果たすのだ。

狼男だった父を亡くし、学業を捨てて獣として山に入った『おおかみこども~』の息子雨>の生き方と真逆だともいえる。

一方の熊徹。はたして渋天街の次の宗師の座をめぐる猪王山との対決がどうなるかを考えた時、本作の脚本はよくできていると思った。

ぶっちゃけ、勝つのは主人公側の熊徹だろうと想像がつく。ただ、猪王山は強いし人格者だ。彼が負けるとなれば、納得させる材料がいる。

猪王山の弱点となりえるのは、いじめっ子然とした次男の次郎丸だと思っていた。

だが、当初は九太をいじめた次郎丸も、やがて九太が強くなり負かされると、恨むどころか、「お前、つえーな。おいら、強いヤツ好きだ」と仲良くなるのだ。実にナイスガイだったのだ

一方で、その兄の一郎彦は、幼少の頃は父に似て文武両道の人格者だった。それが若者に成長すると、闇落ちするのである。

一郎彦が昔から被っている猪の頭巾にそのヒントがあろうとは。彼は九太と同様に人間で、猪王山が渋谷で拾った捨て子だった。成長しても猪の牙は生えず、そのため頭巾を被っているのだと分かる。

この一郎彦の存在により、勝負にはドラマが生まれる。グラディエーターのように、コロッセオで決闘する熊徹と猪王山。劣勢で負け色が強い熊徹は、弟子をやめ人間界に戻った九太の激励で息を吹き返し、ついに猪王山を破る。

だが、その勝敗を受け容れらない一郎彦は、胸に闇を宿し勝者熊徹を背後から剣で刺す。この展開は予想外。バケモノよりも人間の方がよほど怖い。

スポンサーリンク

師匠を刺した一郎彦に反撃しようとする九太にも心の闇が現れる。だが、これまで彼を支えてくれた周囲の人々の力で、寸前で九太は踏みとどまる

暴走する一郎彦は、渋谷で青白く光る巨大な鯨となって大暴れ。それと対決しようとする九太に、熊徹は自身を転生させた大太刀を送りこみ、一心同体となって戦う。

夜の代々木競技場を背景に戦う青い鯨と赤い剣の画像処理が何とも幻想的で美しい。

熊徹がかつて指導で用いた「胸の中の剣」という表現は、九太が9歳の頃には意味不明だったが、今ついに師弟の共通言語となる。熊徹は転生し、弟子の胸の中の剣として生きる道を選んだのだ。泣かせる話であった。

予定調和といえばそれまでだが、気持ちよく物語は幕を閉じる。

そしてミスチル『Starting Over』が流れる。もともと本作向けに作った曲ではないが、モンスターという歌詞から連想される世界観の一致で選ばれたもので、相性はよい。観終わった満足度がワンノッチ引き上がる。