『ウイークエンド』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ウイークエンド』さらばゴダール④|これは映画か、現実か?

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『ウイークエンド』
 Week-end

ジャン=リュック・ゴダール監督が商業映画に訣別を告げる前の円熟の不条理喜劇。

公開:1967 年  時間:95分  
製作国:フランス

スタッフ 
監督・脚本:
     ジャン=リュック・ゴダール
キャスト
ロラン・デュラン:  ジャン・ヤンヌ
コリーヌ・デュラン:ミレーユ・ダルク
FLSO指導者:
    ジャン=ピエール・カルフォン

勝手に評点:3.0
  (一見の価値はあり)

©Gaumont

あらすじ

パリで暮らす夫婦ロラン(ジャン・ヤンヌ)とコリンヌ(ミレーユ・ダルク)は、ある週末、コリンヌの実家がある田舎町を目指して車で旅に出る。

夫婦にはそれぞれ愛人がおり、コリンヌの父の遺産を手に入れた後で互いを殺害しようと密かに企んでいた。

しかし道中で想像を絶する渋滞が発生して人々が集団パニックに陥り、夫婦は次々と異常な事件に見舞われてしまう。

今更レビュー(ネタバレあり)

遺産を求めて実家に急ぐ夫婦

ある夫婦を主人公に悪夢のような週末を描いた、ジャン=リュック・ゴダール監督による不条理な悲喜劇。

気がつかなかったが、「ウークエンド」ではなく「ウークエンド」とイを小文字にしないのが正しい表記。キノンの会社名みたいなものか。

ちなみに、原題の”Week-end”は元は英語だったものが、ハイフン付きでフランス語になっているらしい。

まずは序盤の展開まで理解するのに少し苦労する。夫・ロラン(ジャン・ヤンヌ)妻・コリンヌ(ミレーユ・ダルク)の夫婦には互いに愛人がいる。それぞれが、秘かに互いを殺してしまう計画をたてている。

©Gaumont

そんな折、夫婦はコリンヌの実家であるオワンヴィルの街にクルマででかけることになる。彼女の父親が亡くなったのだ。

家族ドラマのような展開に思えたが、内実は全く異なり、彼女の母親が勝手に遺産を相続してしまうことを心配し、血相を変えて夫婦で帰省するのである。

冒頭、夫を殺す算段を愛人と考える妻。マンションの窓から見下ろす駐車場では、クルマ同士の衝突トラブル。赤いスポーツカー水色の小型車。ルーフは白く、トリコロールが美しい。

そしてダラダラと愛の営みを語るコリンヌ(これはバタイユ『眼球譚』の朗読なのだと後で知った)。一体どんな映画なのか、まだ手がかりは少ない。

こんな大渋滞みたことない

次に夫婦でクルマに乗ってマンションからでかけるシーン。生意気な近所のガキにつきまとわれ、周囲の駐車車両と接触。住民に騒がれ、しまいには銃まで向けられるが、夫婦はそのまま愛車に乗って飛び出す。

さあ、週末旅行の始まりだ。

だが、すぐに田舎道の大渋滞にはまってしまう。長い長い道にはクルマが行列を作るが、そんな中を夫婦のクルマが走っていく。

あちこちで衝突事故が発生しており、クラクションは鳴りやまない。このシーンの長さには驚く。映画史上最も長いものの一つだとされる移動撮影にも驚くが、7~8分もクラクションが鳴りやまない映画というのも珍しい。

この辺から予感は確信に変わるのだが、本作は週末に妻の実家に向かう冷めた夫婦の不条理ロードムービーなのだ。

もはや、遺産相続をめぐるゴタゴタもヒューマンタッチなストーリーもなく、ただ道中行く先々でナンセンスな出来事が起きる。そういう映画だ。

そんな映画ありかよと思ってしまうような人は、はなからゴダールの映画なんて観ていないかもしれない。この作品で感じ取るべきは、ゴダールの映画とはなんと自由に満ちているのかということだろう。

世の中には、カッチリと定められた脚本や演出に則って見せる映画は数多あるが、このひとほど、既成概念にとらわれずに自由気ままに映画を撮る監督は思い浮かばない。

しかも、好き勝手に独りよがりの破綻した映画を撮るのではなく、(いくつかの失敗を除けば)それがきちんと観客を楽しませる作品になっているのだ。

©Gaumont

旅の記録

  • 大渋滞の列の先頭にある事故現場では、大勢の老若男女や子供が亡くなって大地に転がされたままになっている。
  • トラクターとスポーツカーが衝突事故を起こし、死んだ青年の助手席のカノジョがトラクターの農夫に散々悪態をつき、周囲は笑ってそれを眺めている。
  • 雨の中でヒッチハイクの若い女を乗せてあげようと夫がクルマを止めると、銃をもった男が現れて彼らを乗せて反対方向に戻れと指示する。
  • その後猛スピードで走った挙句に事故を起こしクルマを炎上させる二人。「私のエルメスが!」と唖然とするコリーヌ。この自転車乗りや通行人を轢きそうになる激走シーンは、当然特撮ではないだろうから、あまりの危険撮影に恐れおののく。
  • 電話ボックスで愛の歌を彼女に聴かせる若い男を発見。こいつのホンダ・スポーツを奪おうとするが、逆に空手で男に倒されるロラン。

その他にも、親指小僧エミリー・ブロンテのコスプレ男女にからまれたり、農村でモーツァルトを弾きまくる男の手助けをしたり、清掃車に乗っけてもらい、革命戦士の思想をさんざん聞かされたり。

ゴダール映画の筋書きを説明したところで、文字にしたら意味をなさないのだが、とりあえず、すったもんだの末に夫婦はオワンヴィルにようやく到着。そしてそこには、頑固者の母親がいる。

ここで波乱にみちた旅は1週間かけてようやく終わり、ドラマに何か動きがあるかと思ったら、この夫婦は母を実にあっけなく殺してしまう。こうして二人は念願の、高額の遺産を手にすることとなる。

シュールなエンディング

最後に登場するのは、FLSO解放戦線のメンバー。FLSOとは「セーヌ=エ=オワーズ解放戦線」という架空の集団。このビートニク・ゲリラがやりたい放題に暴れることで、物語は更に予測不能な方向へと進んでいく。

ゴダールは本作を最後に商業映画から訣別し、政治的映画を製作するジガ・ベルトフ集団での活動に入る。

商業映画にはもう未練はないよとでも言わんばかりの切れ味と突き放し方であるが、それを理屈抜きで面白いと感じじさせる手練れの技。最も脂の乗っていた時期といえるのかもしれない。

もっとも、妻・コリーヌ役を演じたミレーユ・ダルクには、俳優をモノ扱いするゴダールの演出手法は相当嫌われていたようであるが。

©Gaumont

映画の終盤では、ついに資産を手に入れた夫婦だったが、FLSOに遭遇したあと、コリーヌは妙な儀式を経て彼らの仲間になり、ロランは逃げようとして殺されてしまう。

最後にコリーヌは、ウサギとともに夫・ロランの肉を煮込んだ料理を食べて、「あとでおかわりするわ」と食事を満喫。

なんともブラックユーモアに満ちたエンディングであるが、そもそも彼女は夫殺しを画策していたのだから、まあ自然とそうなるか。