『星を追う子ども』
それは、「さよなら」を言うための旅
公開:2011 年 時間:116分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 新海誠 声優 渡瀬明日菜: 金元寿子 シュン/シン: 入野自由 森崎竜司: 井上和彦 ミミ: 竹内順子 明日菜の母: 折笠富美子 森崎リサ: 島本須美
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
ある日、父の形見の鉱石ラジオから聴こえてきた不思議な唄。その唄を忘れられない少女アスナは、地下世界アガルタから来たという少年シュンに出会う。
二人は心を通わせるも、少年は突然姿を消してしまう。
「もう一度あの人に会いたい」
そう願うアスナの前にシュンと瓜二つの少年シンと、妻との再会を切望しアガルタを探す教師モリサキが現れる。そこに開かれるアガルタへの扉。三人はそれぞれの想いを胸に、伝説の地へ旅に出る。
一気通貫レビュー(ネタバレあり)
新海誠なのにジブリっぽい
大人のファン目線でいえば、新海アニメでもっとも冴えない作品だと思う。新海誠らしさがまるで感じられない。
だが、それは確信犯的ともいえる。新海監督は、本作ではじめて子どもや家族といった観客層を意識したという。そうなると、これまでのディテールに極端にこだわった、コアなファン層に向けた作風とは一線を画すべきである。
つまるところ、彼の世代以降の多くのアニメ作家が夢中になって観てきた、ジブリ作品の影響を多大に受けることになる。
いや、ジブリ作品というより、『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』で知られる『世界名作劇場』の影響といった方が正確かもしれない。
同シリーズは日本アニメーションの制作だが、ジブリ設立前の宮崎駿や高畑勲も演出家として参画していたと聞く。そのため、広い意味では、ジブリ・日アニ方面からの刺激を多分に受けた新海誠アレンジの作風となってしまったのだ。
少女アスナを主人公にした、不思議な世界アガルタへの冒険ファンタジー。彼女とともに扉を開け突き進むのは、アガルタの少年シンと、死んだ妻を蘇らせたい教師のモリサキ。
キャラの造形から古代の伝説、光る石、手書きアニメ風の絵まで、新海誠の名前さえなければ、宮崎アニメと信じ込んでしまうだろう。
ジブリなら『天空の城ラピュタ』、或いは高畑・宮崎・大塚康生ら才能が結集した東映アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』あたりを思い出すかもしれない。
気になる点のあれこれ
作品そのものに大きな欠陥がある訳ではない。単純に子ども目線で観たら、面白い作品とも思う(それには116分はちと長いが)。神話や鉄道を登場させたり、十字の光や太陽光ゴーストを描いたりと、随所に新海印のアイテムも置かれている。
石が異世界の扉を開ける鍵となったり、神の使いであるネコ科の動物が出てくるあたりも、『すずめの戸締まり』に繋がっているようだ。
このミミという名のネコ系のキャラは、『すずめの戸締まり』の<ダイジン>より余程かわいいが、『風の谷のナウシカ』のキツネリスの<テト>の模倣にも見える。
アスナが夢中になっている、父の形見の鉱石ラジオという伏線や、死んだ妻を生き返らせるために手段を選ばない教師モリサキなど、映画的に効果を生んでいた部分もあるが、一方で気になった点も多い。
アスナが心を通わせた少年シュンをすぐに死なせてしまい、瓜二つの弟シンを新たなバディとして登場させるという手法は安易であり、必然性にも乏しい。
「夷族」と呼ばれる、赤い目をした幽霊のような存在がアスナたちに大勢迫ってくる演出は不気味で良かったのに、「こいつらは穢れだ、殺せ~、殺せ~」などと陳腐な台詞を与えてしまったことで、急に安っぽく見えた。
『千と千尋の神隠し』のカオナシのように、喋らせない方が深みが出たのに勿体ない。
終盤で蘇生に成功するモリサキの妻・リサの声優に島本須美を起用したのも、ナウシカや『ルパン三世』のクラリスのイメージが強すぎて、またも宮崎駿との脳内バグを誘発しそう。
結局、ジブリ作品を観飽きた、或いは馴染みのない子どもの観客層には、楽しめる作品だが、新海誠ファンにとっては、避けて通りたい一本になってしまったか