『あした』
大林宣彦監督の新尾道三部作第二弾。午前0時の呼子浜に行けば、海難事故で亡くなったあの人に会えるはず。
公開:1995 年 時間:141分
製作国:日本
スタッフ
監督: 大林宣彦
脚本: 桂千穂
原作: 赤川次郎
『午前0時の忘れもの』
キャスト
原田法子: 高橋かおり
大木貢: 林泰文
錦貫ルミ: 朱門みず穂
朝倉恵: 宝生舞
高柳淳: 柏原収史
金澤弥一郎: 植木等
金澤澄子: 津島恵子
金澤正: 篠崎杏兵(子役)
池之内勝: ベンガル
山形ケン: 小倉久寛
笹山剛: 岸部一徳
笹山哲: 田口トモロヲ
永尾要治: 峰岸徹
永尾の部下・直子:中江有里
永尾厚子: 小林かおり
永尾しづか: 大野紋香
小沢小百合: 洞口依子
安田沙由利: 椎名亜衣
唐木隆司: 村田雄浩
森下薫: 井川比佐志
森下美津子: 多岐川裕美
一ノ瀬布子: 根岸季衣
わたし: 原田知世
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 新尾道三部作の第二弾。前作『ふたり』と同じ赤川次郎原作ながら、大分異なる路線の群像劇ファンタジー。
- 登場人物が多くてドラマに没入しにくい点はあるも、CGを使わず沈んだ船が浮かび上がってくるシーンは厳かで感動。この時代の尾道はまだノスタルジーを感じさせるのも嬉しい。
あらすじ
尾道沖で小型客船の呼子丸が遭難し、乗客9人全員が消息を絶ってしまった。
3ヵ月後、死んだとされていた9人から、それぞれの恋人、夫、妻らに「今夜午前0時、呼子浜で待っている」というメッセージが届く。
彼らはその約束を信じて呼子浜に集まった。そして0時、海の中から呼子丸が姿を現した…。
今更レビュー(ネタバレあり)
新尾道三部作の第二弾
大林宣彦監督の新尾道三部作(旧三部作と違い、初めからそう呼ばれていた)の中で、『ふたり』(1991)に続く二作目。
以降、『あの、夏の日 とんでろ じいちゃん』(1999)で完結するが、この頃には尾道もだいぶ再開発が進み、映画的な風情は失われている。
観光地化も進み、やがて大林宣彦と袂を分かつことになるが、本作では、まだノスタルジックな風景がみられて、嬉しい。
◇
前作に続き、赤川次郎の原作を映画化。『ふたり』の映画化の出来に満足した赤川次郎は、もう映画化は打ち止めでよいと言っていたそうだが、前言撤回し、自ら本作を大林監督に売り込む。
更には『午前0時の忘れもの』から『あした』への改題も提案されたそうで、相当乗り気である。
こうして企画は動き出す。山にある湖から舞台を瀬戸内海に替え、引退していた木造船を探し出してきて映画に登場させるあたりは、大林監督らしい強引さを感じさせる。
午前0時、呼子浜で待っている
私事だが、これまで大抵の大林監督作品は公開時に観てきたが、本作はスルーしてしまい、その後も機会を逸していた。なぜか配信もされておらず、久々にDVDを購入して鑑賞に臨んだ。
主演の高橋かおりが目立つパッケージだが、これまでの尾道作品には珍しく、若手女優をメインに起用するスタイルではなく、群像劇となっている。
◇
小型客船・呼子丸が尾道沖で遭難し、乗客9名全員の絶望が伝えられてから三ケ月。残された者たちのもとに、「今夜午前0時、呼子浜で待っている」というメッセージが次々と届き、夜中の乗船待合室にそれぞれ参集して船を待つという物語だ。
遭難者にはそれぞれ、もう一度会いたい人がおり、ドラマがあり、それを大林組オールキャストで映し出していく。
メインとなるのは、女子大生の法子(高橋かおり)と、再会した幼馴染の貢(林泰文)の若い男女だが、分かりやすさから他のキャラクターから紹介していく。ネタバレ部分があるので、未見の方はご留意願います。
恋人を亡くした女子高生
まずは女子高生・朝倉恵(宝生舞)。授業中見ていたスライドのスクリーン上に恋人・高柳淳(柏原収史)からのメッセージが出て、教師(尾美としのり)に冷やかされる。
「あ、何だこれは」
のんびりした先生の語り口は、『時かけ』で岸部一徳が演じた教師を意識したように思える。
恵は自宅を飛び出し、自転車で尾道の狭い坂道を滑走し、事故で亡くなった淳に会えるのではないかと、夜までに呼子浜を目指す。
◇
宝生舞にオーディションと付記されているのは珍しいが、彼女は大林監督を名乗る偽物にスカウトされ1時間以上も談笑したという話が、当の監督本人の耳に入り、面談した結果、本作に出演となった経緯がある。
それをオーディションというのがおかしいが、本作の宝生舞は溌剌としていて、主役を喰う存在感(寒い夜の海を泳いで頑張った甲斐あり)。現在の引退が惜しまれる。
後半、船から現れる淳は『Love Letter』(岩井俊二監督)の柏原崇と思っていたら、弟の柏原収史だった。本作で映画デビュー。<会いに来る>=<一緒に死ぬこと>という淳の理屈は新鮮で、恵と同じように衝撃を受けた。
妻子を亡くした造船設計技師
次に造船設計技師・永尾要治(峰岸徹)には、会社の電子ファックスに映し出された妻・厚子(小林かおり)と娘しづか(大野紋香)からのメッセージ。
残酷ないたずらだと部下の直子(中江有里)に訴えるが、彼女に説得されクルマを借りて呼子浜を目指す。広島だからマツダ自動車なのはよいが、90年代の時代設定で若い娘が60年代のマツダ・キャロルに乗っているのはさすがに違和感。
本日は大林宣彦監督の一周忌。
— 中江有里 yuri nakae (@yurinbow) April 10, 2021
わたしの中の監督はいつもこの笑顔です。 pic.twitter.com/BW9h3UpYGs
直子と永尾の関係には怪しさ濃厚だが、妻に再会した永尾は娘そっちのけでこの軽自動車でのカーセックスに励む。まあ、そういうものかもしれないな。人間だもの。峰岸徹は今回珍しく、現実離れしたぶっ飛んだキャラではなく、中年男の哀愁を出す。
コーチを亡くした社会人水泳部員
西海紡績で社会人水泳部の安田沙由利(椎名亜衣)は、伝言板に亡くなった唐木コーチ(村田雄浩)からのメモを見つけた。伝えられなかった唐木への思いを伝えたい一心で、沙由利はスクーターで呼子浜へ行くことを決意する。
しかし、その伝言は、同じ名前のマネージャー・小沢小百合(洞口依子)に宛てられたものだったとあとで気づくことになる。苦労して会いに行くとコーチの伝言は他人宛て。残された者の想いのすれ違い。
本作屈指の失意のキャラを椎名亜衣が好演。シャワーシーンで脱ぐ必要まったくなかったが、断り切れなかったのだろう。
でも、「水泳で更新したタイムの時間だけ、自分を見ていてください」とコーチに語るシーンは美しい。その分、洞口依子は悪女に見えるのが気の毒だけど。
社長である夫を亡くした妻とその秘書
森下美津子(多岐川裕美)は、亡くなった夫の薫(井川比佐志)の声を夢の中で聞く。美津子はそれを、夫の社長秘書として仕えていた布子(根岸季衣)に楽しそうに話すが、布子は長年夫の不倫相手だった。
会社のボートで二人は夕日の尾道水道を進んでいく。この三人の関係は根岸季衣の終始悲痛な表情で想像できる。自分に会いに来た社長を、「今日は奥様の誕生日でしょう」と無理に帰らせたところで、事故に遭遇する。
◇
天然キャラの美津子が不倫に気づいていたか不明ではあるが、妻と不倫相手が迎えにきて慌てる社長に善人キャラの井川比佐志とは、ちょっと合わない。モテモテ水泳コーチ役の村田雄浩より更に違和感あり。
しかも、妻の妊娠を聞いて大袈裟に喜ぶデリカシーのなさ。まあ、死んでるのだから仕方ないか。でもそれを見て涙する根岸季衣の演技には、熱いものが伝わってきた。
妻と孫を亡くしたヤクザの親分
ヤクザの親分・金澤弥一郎(植木等)のもとには、孫からの手紙が届く。彼は妻・澄子(津島恵子)と孫の正(篠崎杏兵)を事故で亡くしていた。
金澤は子分の勝(ベンガル)とケン(小倉久寛)そして貢(林泰文)を連れてクルマで呼子浜に向かう。だが、その金澤の生命を、組を裏切った笹山(岸部一徳)と哲(田口トモロヲ)が狙っていた。
笹山は貢を抱き込み、隙をみて金澤を殺させようと企む。死んだ人に会いにいく物語に、組長を狙う反発分子というまったく異質な軸を入れるのは面白い。ヤクザとは言え、組長はじめ子分の顔ぶれから本格的な任侠ものでないことは明白。
笹山たちが三輪のダイハツ・ミゼットに乗ってる時代錯誤感は許せるが、哲(田口トモロヲ、若すぎて暫く気づかず)が口もとで鳴らす、ビヨンビヨーンと間抜けな音を鳴らす櫛のような楽器、あれは誰か止められなかったのか。緊張感が台無しで意味不明。
温泉旅行の女子大生
さて、最後に主役の女子大生・原田法子(高橋かおり)。友人の錦貫ルミ(朱門みず穂)と旅行に来たが、帰りの船に乗り過ごし延泊の金もなく、呼子浜の待合室に泊まることに。そこで偶然再会するのが、幼馴染の貢(林泰文)だったというわけだ。
法子は小学校で貢と離れ離れになった際、待ち合わせの手紙をもらったまま、約束が反故になっていた。二人は好き合っていたが、今、その貢が組長を殺そうとしている。
浮かび上がる幽霊船
本作は、午前0時に船が現れて、死んだ人たちが下船してくるところまでの話の持っていきかたと見せ方は、とてもいい。監督の好きな悪ふざけもあまりないし、緊張感が高まる。
船が水中から忽然と浮かび上がってくるところは、古い木造船を苦労して沈めてクレーンで引き上げているそうだ。今時ならCG、低予算なら模型ですますところだが、まだバブルの残滓があったか。
そのおかげで、この船が水面に浮かび上がるシーンは静かながらも見応えがある。ひとりずつ下船する様子など、まるで『フィールド・オブ・ドリームス』の野球選手の登場のようなファンタジー。
異人たちとの冬
でも、その後の愛する者との再会は、必ずしも感動ばかりではなく、悲喜こもごもだ。
原作どおり群像劇にすることに意味はあったと思うが、ここまで参加者を増やすことはどうだったか。のちの宮部みゆきの『理由』(2004)のように、原作に忠実すぎれば映画としては破綻する。
どれとは言わないが、もう少し登場人物を絞り込んだ方が感情移入もしやすく、ドラマの深みも出た気がする。例えば、同じように故人と再会する名作『異人たちとの夏』(1988)で、風間杜夫が一人芝居で泣かせたように。
個人差はあろうが、本作では宝生舞の演技は胸に刺さったが、あとはどれも淡泊か、或いは過剰演技に思えた。
高橋かおりと林泰文の再会は良かったが、何も焚火の前で裸で抱き合うことはない。『潮騒』の百恵・友和のオマージュか。そういえば、『潮騒』には津島恵子も出てたっけ。
大林監督が脱がせの達人なのは知っているが、この作品で話題性のために高橋かおりまで何度か全裸にさせているのは、さすがに今の時代には耐えがたい。そりゃ、大御所に言われたら断れないだろが、脱がなくても、十分主役を張れる演技力だ。
原田知世登場で謎は深まる
さらにいえば、誰にも会わずに船の上で歌っている原田知世も謎だ(脱がせの達人も、角川の看板娘たちには手が出ないのね)。ファンとしては原田知世の登場は嬉しいが、それでもこの作品では浮いている。
誰にも会わないキャラの存在は、本作のテーマと矛盾しないのか。原作未読だが、このキャラはもともと存在しているのだろうか。
原田知世が演じる<わたし>というキャラと、法子(高橋かおり)の親友ルミ(朱門みず穂)は、船の甲板で出会い、会話をする。だが、物語の展開に直接絡まない二人の共演シーンの意味は理解しにくい。
◇
というわけで、船が現れてから去っていくまでの展開には異論もあるが、途中までは新尾道三部作の名にふさわしい盛り上がり方であり、ファンだけが観て喜べばいいトホホな内容の作品ではない。
『ふたり』とは異なる方向性だが、当時の大林ワールドの集大成として、これもまた貴重な一本。見逃さなくて良かった。