『マイ・ブロークン・マリコ』
平庫ワカの傑作コミックをタナダユキ監督が映画化。永野芽以と奈緒で描く、親友の遺骨を抱いたロードムービー
公開:2022 年 時間:85分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: タナダユキ
脚本: 向井康介
原作: 平庫ワカ
『マイ・ブロークン・マリコ』
キャスト
シイノトモヨ: 永野芽郁
(少女時代) 佐々木告
イカガワマリコ: 奈緒
(少女時代) 横山芽生
マキオ: 窪田正孝
マリコの父: 尾美としのり
タムラキョウコ: 吉田羊
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノトモヨ(永野芽以)は、親友のイカガワマリコ(奈緒)が亡くなったことをテレビのニュースで知る。
マリコは幼い頃から、実の父親(尾美としのり)にひどい虐待を受けていた。そんなマリコの魂を救うため、シイノはマリコの父親のもとから遺骨を奪うことを決意。マリコの父親と再婚相手(吉田羊)が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。
マリコの遺骨を抱き、マリコとの思い出を胸に旅に出るシイノだったが…。
レビュー(まずはネタバレなし)
親友の遺骨と旅に出る
文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞の平庫ワカによる原作コミックを、タナダユキ監督が実写映画化。
「親友の遺骨と旅に出る」という、一風変わったロードムービーだ。原作は未読なのだが、よく分からなかったタイトルの意味に、すぐに合点がいく。
◇
タナダユキ監督の前作『浜の朝日の嘘つきどもと』(2021)はポンポンよく喋る主人公と被災地の映画館という組み合わせがどうにも馴染めなかったが、本作の親友同士のシスターフッドの描き方はナチュラルで心地よい。
女の二人旅の映画って、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』(2019、箱田優子監督)の夏帆とシム・ウンギョンでもそうだったけど、やはり女性監督でないと出せない空気感みたいなものがある気がする。それは、異性の目にどう見えるかを気にせず、女同士の世界が撮れるからなのかも。
マリコとシイちゃん
冒頭、営業回りの途中で中華そば屋で麺をすする主人公のOLシイノトモヨ(永野芽以)が、女性が自宅ベランダから飛び降り自殺したニュースを目にする。亡くなったのはイカガワマリコ(奈緒)、彼女の親友だった。
動揺したシイノはLINEで連絡を試みるが、マリコからの返信はない。ひびの入ったスマホ画面が不吉な空気を強める。
シイノの回想がインサートされる。中学時代から互いにたったひとりの親友同士だった仲良しの二人。両親が離婚し、中学時代から煙草を手離せない何事にも斜に構え気味のシイノ(佐々木告)。
そして彼女には明るく振舞うが、家に戻ればDV父(尾美としのり)に虐待を受け傷だらけのマリコ(横山芽生)。
虐待はマリコが高校生になるとさらにエスカレートし、父親は娘の身体に襲いかかり、母親は「あんたが誘惑するからよ!」と娘を悪者にして家を出ていく。
そして現在に戻る。マリコの部屋に行っても家財道具はすでに親が引き取り、直葬で葬式も行わないという。「あーあ、事故物件だよ」と嘆く不動産屋。なにかを決心したシイノは、マリコの虐待父の住む家を訪ねる。
マリコの遺骨はあたしが連れて行く
虐待親に育てられた親友の自殺から始まる物語だ。当然重苦しい展開が予想されたが、意外なほど軽快なタッチで話が進む。
これはひとえに、おやじギャルという言葉を優に超越したシイノのおっさん然とした言動と、常識をふっとばすパワフルな行動力の面白さにある。この手のキャラを得意とする、コメディエンヌとしても才能のある永野芽以ならでは。
◇
シイノはマリコの父(尾美としのり)の家のドアを叩き、その再婚相手(吉田羊)にセールスを装って家にあがり込む。
そして父親に飛び蹴りし出刃包丁をつきつけ遺骨を奪取。幼少期から親友を苦しめた父親の悪行の数々を数え上げては罵倒し、窓から飛び降りて逃げていく。
「刺し違えたってマリコの遺骨はあたしが連れて行く!」
ここは小気味が良い。
DV父に尾美としのりは意外な配役だ。窓の下には大きな川。そこをシイノは遺骨を抱えてずぶずぶと渡り歩いていく(広いわりに随分と浅瀬の川だな)。
半分青いふたりの共演
さあ、これからどうしよう。シイノが思い出したのは、生前マリコが行ってみたいと言っていた「まりがおか岬」。場所は青森県八戸市。深夜バスやローカル列車を乗り継いで、親友の遺骨との小旅行が始まる。
親や彼氏に暴力を振るわれて、登場するたびに怪我が増えているのにあっけらかんとしているマリコを見て、『パーマネント野ばら』(吉田大八監督)の池脇千鶴を思い出していた。
すると、そのうちマリコが「海を見たことがない」と言い出したので驚いた。今度は『ジョゼ虎』(犬童一心監督)の池脇千鶴と同じだからだ。
乗り物に揺られて遠路をまりがおか岬に向かうシイノ。遺骨は時々、生前のマリコの姿に切り替わるのだが、そのさりげないショットが美しい。
シイノのトレードマークであるタバコをカッコよく自然に吸うために、永野芽以は数か月かけて喫煙の練習をし、また旅行で履く愛用のドクターマーチンの靴も、一年近くかけて履き慣らしたという。その甲斐はあった。どちらもちゃんとサマになっている。
そしてマリコ役の奈緒。朝ドラ『半分、青い。』に続いて、主人公を演じる永野芽以の親友役となるわけだが、実生活でも仲の良い二人の関係性が映画でも滲み出ているかのようだ。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
善意の人・窪田正孝
マリコの遺骨を抱えての旅路で、シイノは財布やマリコがくれた手紙の束の入ったバッグをバイクにひったくられてしまう。
あわてて追いかける彼女が路上に置き去りにした遺骨を、通りがかりの釣り人マキオ(窪田正孝)が見守っていてくれる。
◇
このマキオという男は神さまのような善人だ。シイノに5千円ほど金も施してくれるし、何かと気にかけてくれる。彼女と対照的で覇気がなく、人生を達観している風で、まるで生きている感じがしない。
窪田正孝は、同じタナダユキ監督の『ふがいない僕は空を見た』でも、近作の『ある男』(石川慶監督)でも、このように人生を半ばあきらめたような善人を好演している。本作を含め三作品とも向井康介の脚本だ。
何で一緒に死んでくれって言わねえんだよ
マキオが何をするわけでもないが、彼が登場するあたりから、シイノの本心が徐々に明らかになっていく。
彼女にとってマリコは親友だ。だが、自分は男(それも大抵はDV男だ)を作っては別れるくせに「シイちゃんに彼氏ができたら私死ぬから」というマリコは、面倒くさい女でもあった。
100%くすみのない友情で接していたわけではない。だから、マリコが死んで、思い出だけが美化されてしまうのは許せなかった。だいたい、親友といいながら、なぜ自分に何も言わず遺書も残さず死んでしまうのか。
◇
「何で一緒に死んでくれって言わねえんだよ!」
そして岬に立ったシイノは、そこから身投げしようとする。
「散骨なんかしてやんないよ。親友の自殺を止められなかった悔しさをお前も感じてみろ」
シイノの飛び降りを制したのはマキオだった。彼もまた、かつてここで自殺を試み、死にきれなかったのだ。
結局、ひょんなことからシイノはその場でマリコに似た女子高生を暴漢から救うこととなり、はずみで遺骨を海に散骨してしまう。粉々の骨になっても、マリコは相変わらずキラキラと輝き、つかみどころがない。
生きていくしかないのでは
「もういない人に会うには、自分が生きているしかないのではないでしょうか」
普通ならマキオとの間に恋愛感情でも芽生えそうなものだが、シスターフッドの映画にそんなものは不要。
帰京するシイノが駅でマキオと別れるシーンでは再会の約束をするどころか、乗車した途端に餞別の駅弁をパクつき始め、軽く窓外のマキオにあっけらかんと手を振る。陽気でいいわあ。
本作はラストまでウェットになることを許さない。勤めていたブラック企業に退職届を出せば、クソ上司に「やめさせねーよ、契約取ってこい!」と破られる。きっとシイノなら、この会社が水に合っている。
そしてついに彼女の手元に、マリコが書いていた手紙が届く。それをマリコの声で読み聞かせて観客泣かせてエンドロールというのがベタな展開だろうが、タナダユキ監督はあえて内容を明かさない。
実際には奈緒が書いた手紙を永野芽以が読んでいるそうだが、我々はそれを知り得ない。この演出処理は潔い。
だって、ここで手紙を読んじゃったら、ここまでの明るい演出が台無しだ。それに、手紙の内容なしでも映画はきちんと成立しているし。
上からだったり、禁じられたり、悪女から電話がかかってきたり、マリコという名の女性は何かとお騒がせキャラのようだが、親友に「カレシ作るなよ」とか「ずっといるから安心」とか言いながら、結局自分は好き放題。
そんなマリコに文句を言いながらも、親友を救えなかったシイノの魂の咆哮。エンディングに流れるThe ピーズの「生きのばし」がキマる。