『湖中の女』
Lady in the Lake
フィリップ・マーロウの私立探偵ものの中ではダントツの異色作。この時代にして一人称視点のPOV映画の先駆け。
公開:1947年 時間:105分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ロバート・モンゴメリー 原作: レイモンド・チャンドラー 『湖中の女』 キャスト フィリップ・マーロウ: ロバート・モンゴメリー エイドリアン・フロムセット: オードリー・トッター デレス・キングスビー:レオン・エイムズ デガーモ警部補: ロイド・ノーラン ケイン警部: トム・タリー ミュリエル・チェス:ジェーン・メドウズ クリス・レイヴァリー: リチャード・シモンズ ユージーン・グレイソン: モリス・アンクラム グレイソン夫人: キャスリーン・ロックハート
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- マーロウの映画として観ると落胆が大きいことを請け合うが、一人称映画としては意欲的な作品で、数々の実験的な試みが確認できる。そういう意味では興味深い作品。
あらすじ
ロサンゼルス、クリスマスの数日前。私立探偵フィリップ・マーロウ(ロバート・モンゴメリー)は、探偵が金にならないことに嫌気がさし、ホラー専門のキングスビー出版に殺人事件の小説を送っていた。
出版社から連絡があり招かれたマーロウは、社長デレス・キングスビー(レオン・エイムズ)の補佐で重役のエイドリアン・フロムセット(オードリー・トッター)に迎えられる。
エイドリアンは、デレスの妻クリスタルの居場所を突き止めることをマーロウに依頼する。
今更レビュー(ネタバレあり)
原作のおいしい部分を削ぎ落す
レイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ・マーロウのシリーズの映画化作品の中では、おそらく一番の変わり種ではないか。
元ネタは『湖中の女』なのだが、マーロウを演じた俳優のロバート・モンゴメリーが自ら監督も務めた作品になっており、これがいわゆる一人称視点(POV)の映画。
つまり、カメラが主人公の視点になっているということで、ほぼ全編、我々はフィリップ・マーロウとなって、彼の視点で依頼案件を捜査するのだ。
このPOVについては、のちほど語らせてもらうが、まず私が驚いたのは、チャンドラーの原作『湖中の女』の本作における扱われ方だ。
原作では、依頼人である富豪デレス・キングスビー(レオン・エイムズ)の湖畔の山荘の管理人ビル・チェスの妻・ミュリエル(ジェーン・メドウズ)が、湖から死体となって浮かび上がるところが、ある意味いちばん映画的なシーンだった。
原作のミステリー的な要素はいまひとつなのかもしれないが、ここから謎解きが始まるといってもいい。だが、映画では、この山荘や管理人はもとより、肝心の死体さえ画面に登場させない。見せ場はすべて伝聞なのだ。
◇
一体、ロバート・モンゴメリー監督は、この原作のどの部分を映画化したかったのだろう。湖に沈む女の死体を見せずに、”Lady in the Lake”の映画が成り立つとは思えない。
原作を読まれていない方にはチンプンカンプンだろうが、小説にはジム・パットンという職務に忠実な頑固者の老保安官代理が登場し、実に魅力的なキャラクターとして描かれている。
この原作を映画化するのなら、湖の死体と老保安官代理は欠かせないはずなのだ。だが、不思議なことに本作では、原作のプロットをあまりいじっていないにも関わらず、このおいしい部分を見事に避けている。
結果として、出版社社長のデレス・キングスビーの失踪した妻クリスタルを探すという調査依頼の進展は、ほとんどがマーロウや関係者の言葉で語られるだけというスタイルになっている。
それは臨場感に欠けるのもさることながら、原作未読の者には、およそ理解不能な難解さを生み出している。(失踪妻のクリスタル・キングスビーをクリスタル・キングと略して呼んでいるので、つい声を高らかに歌いたくなる)
POVを先駆けた野心的な取り組み
さて、では本作はまったくの駄作かというと、実はとんでもない独創性をはらんでいる。それが前述した一人称視点(POV)なのだ。
主人公目線で見せる映画というと、ホラーやモキュメンタリ―の分野と相性がよいのか、数多く存在する。
だが、それ以外の分野、本作のようなハードボイルドものというのは珍しいし、何より本作のように1947年公開の映画というのは、とても実験的な取り組みだったのではないかと思う。
それを、監督としての初仕事で成し遂げるロバート・モンゴメリーのチャレンジ精神には恐れ入る。
2015年にロシアのアクション映画『ハードコア』が全編一人称視点で話題になるくらいだが、「GoPro」のカメラなど影も形もない60年以上前に本作が撮られていることには敬意を表する。
一人称視点の映画では、主演俳優はほとんど顔を見せる機会がなくて気の毒だと思ったが、本作は監督が主演でもあるので、その気遣いは無用。しかも、鏡に映ることでマーロウが顔を見せるシーンは意外と多い。
それにPOVに入る前の本作冒頭は、古畑任三郎よろしくカメラ目線で語りかける主人公マーロウが、自分の体験をもとに書いた探偵小説出版社に売り込みをかける話をし始める(この設定は、無精もののマーロウらしくないと思うけど)。
ロバート・モンゴメリーはルックスでいうと、歴代マーロウ俳優のなかでは、一番のイケメンかもしれない。『奥さまは魔女』のサマンサで知られるエリザベス・モンゴメリーの父親だ。
ただ一人称視点なだけでなく、アイデア満載
POV形式のせいで、どのシーンも基本ワンカットになり、登場人物はみんなカメラ(=マーロウ)に向かって話しかけてくることになる。部屋の中を探って何かアイテムを見つける様子と相俟って、VRでゲームをやっているような錯覚に陥る。
主人公がカメラに写らない分、ヒロインのエイドリアン・フロムセット(オードリー・トッター)の出演が一番長い。エイドリアンは魅力的だが、延々とカメラを前に話し続けるのは、さすがに飽きる。
かといって、単純にマーロウ目線でカメラを回しているだけではなく、タバコを吸ってみたり、彼女とキスしてみたり、或いは聞き込みの途中で殴られたり(カメラが揺れる)逆に殴り返したりと、次々と奇想天外なアイデアを採り入れるところは面白い。
中でも、マーロウにクルマを運転させ、カメラは操作するステアリングと車窓からのビューを写し、そしてバックミラーには追っ手のクルマが見えるというショットは、実に手が込んでいた。
◇
ハードボイルド目線では、ほとんど自身にはアクションがなく警察に頼りっぱなしのフィリップ・マーロウに歯痒さを感じる作品ではある。ラストのナンパ野郎な終わり方も、どうもマーロウらしくない。
原作ファンにはフラストレーションの溜まる内容ではあるが、そこには目をつぶって、POV映画の先駆けとしての切り口で評価してあげたい。