『舟を編む』
三浦しをんの本屋大賞原作を石井裕也監督が忠実に映画化。なんといっても愚直でとぼけた演技の松田龍平に尽きる。
公開:2013 年 時間:133分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
玄武書房の営業部に勤める馬締光也(松田龍平)は、独特の視点で言葉を捉える能力を買われ、新しい辞書「大渡海」を編纂する辞書編集部に迎えられる。
個性的な編集部の面々に囲まれ、辞書づくりに没頭する馬締は、ある日、林香具矢(宮崎あおい)という女性に出会い、心ひかれる。言葉を扱う仕事をしながらも、香具矢に気持ちを伝える言葉が見つからない馬締だったが…。
今更レビュー(ネタバレあり)
あゝ、大渡海
今を生きるための辞書という<舟>を編もうという、出版社の編集部員たちの努力の物語である。NHK『プロジェクトX』的な昭和ならではのサクセスストーリーに近いかもしれない。
原作は本屋大賞を受賞した三浦しをんによる同名小説。監督の石井裕也は、史上最年少(30歳)で本作がアカデミー賞外国語映画部門日本代表作品に選出されている。
◇
出版社・玄武書房に勤める主人公の馬締光也(松田龍平)は、その名の通り、どこまでまじめなんだよという人物だが、およそ営業センスもコミュ力もなく、営業部では厄介者。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。ベテラン編集者の荒木公平(小林薫)が定年退職することになり、推進してきた新しい辞書を編むプロジェクトの後継者を社内で探すなか、この馬締が引っかかる。
そして彼は、荒木が長年進めてきた「大渡海」という辞書作りに次第に魅了され、没入していく。
三浦しをんの原作の面白さは、今更語るまでもないだろう。では、映画としてはどうか。今回原作を読み返したうえで、映画も観直してみたが、ところどころアレンジはされているものの、結構原作に忠実に撮られている。
少なくとも原作の愛読者が、大胆に改変しすぎだと文句を言いたくなる作品ではなく、むしろ、主演の松田龍平から辞書作りに人生を捧げる言語学者の松本先生を演じる加藤剛まで、イメージ通りのキャスティングに多くの方が納得できるのではないかと思う。
石井裕也監督らしくはない
ただ、原作を大事にした映画作りの姿勢は、原作ものでも映像的な冒険をあれこれと試してきた石井裕也監督にしては、意外なほど保守的に見えた。本作に物足りなさを感じる人がいるとすれば、そこではないか。私はそうだった。
いや、映画としては面白いし、安心して観られる。だが、良くも悪くも石井裕也監督作品によくある<ツッコミどころ>が、本作にはあまりないのだ。
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玄武書房の辞書編集部メンバーは、定年退職まで38年辞書一筋の荒木(小林薫)、『大渡海』監修である老国語学者の松本(加藤剛)、チャラい若者だが交渉術に長ける西岡(オダギリジョー)、そして契約社員の佐々木(伊佐山ひろ子)。ここに主人公の馬締(松田龍平)が加わる。
日陰者の集まりの部署が一念発起して活躍する「ショムニ」的な設定だが、面白いことに、本作には意地の悪いヤツが全く出てこない。
『騙し絵の牙』(吉田大八監督)を例に出すまでもなく、熾烈な出版業界の話ともなれば、権謀術数をめぐらして相手を蹴落とそうとする輩が大勢出てきそうだが、なぜかここには、悪人はいない。いつもなら高確率で最後に悪人の本性を現わす鶴見辰吾が演じる村越局長も、けして意地悪な上司ではない。
ギリギリ紙の辞書の時代
善人しか登場しないドラマは精神衛生上良いが、面白味には欠けるか。不思議なことに、そうでもない。ドロドロした人間関係を描く代わりに、辞書作りの過程の、大変さと面白さを丁寧に伝えてくれるからだ。
辞書という舟を編む作業の壮大さ。何十年もかかる作業を地道に繰り返す。新しい言葉を耳にしては、「用例採集」カードに記入してストックしていく。この工程は新鮮で面白い。原作踏襲ではあるが、映像化することで更に世界が広がる。
1995年という時代設定からか、エクセルシートの画素数も荒かったり、PHSをみんなが珍しがったり。用例採集カードを何十年もストックしている書庫も古い学校図書館のようで懐かしく、鉛筆書きのカードの変色度合いもいい感じ。
馬締の間借りしている下宿が、空き部屋にまで古い文学全集が所狭しと陳列され、まるで古書店のようになっているのも、美術のこだわりを感じた。
クソ真面目そうな松本先生と馬締が二人で、ファミレスで女子高生の会話を盗み聞きしては「チョベリグ」とか「BL」とか用例採集している姿は微笑ましい。
辞書編集部の連中の努力を見ていると、家や会社にある辞書にも、そのような歴史があったのかもなと感慨深い。
でも、この時代でも既に、紙の辞書などもう売れない、電子辞書に取って代わる運命だと言われている。今では電子辞書どころではなく、「そんなのググれば意味わかるじゃん」の時代になってしまった。
キャスティングについて
主演の馬締クンに松田龍平。コミュ障の純朴青年だが辞書作りに適性と情熱を見出すキャラクターが、うまくハマっている。
本作と同じ三浦しをん原作のヒット作『まほろ駅前多田便利軒』(2011、大森立嗣監督)では瑛太のバディの行天、同年の『探偵はBARにいる』(橋本一監督)では大泉洋のバディの高田という、似たような寡黙でクールでちょっととぼけた役が続くが、馬締はそれとは少々異なるキャラ。
私の抱いた原作イメージよりもちょっとカッコいいが、でも違和感はない。どうせなら、原作通り「大渡海」を「大都会」と聞き違えてクリスタルキングを歌い始める馬締も見たかった。
馬締が下宿先で電撃的に出会い一目ぼれする、大家のタケ婆さん(渡辺美佐子)の孫・林香具矢に宮﨑あおい。板前修業に精を出す凛とした姿が、眼光鋭い宮崎あおいにピタリと合う。
「戦国武将かよ」と突っ込まれる、筆で巻物に書いた恋文だとか、香具矢のプロフィールをきちんと用例採集カードに手書きしているところとか、彼女をめぐる馬締のエピソードはどれも微笑ましい。
辞書編集部の先輩・西岡(オダギリジョー)は、どこかチャラい感じの先輩で、社内に遊びで付き合っているカノジョ・三好麗美(池脇千鶴)がいる。
序盤の印象は<信用ならないヤツ>の西岡だが、次第に馬締には欠落している部分を補ってくれる逸材として、欠かせない存在になってくる。この手の役柄はオダジョーに任せておけば絶大な安心感だ。
何十年も辞書作りに励んできた盟友、松本先生役の加藤剛と荒木公平役の小林薫。定年退職する役で中盤ではほとんど出番のなくなる小林薫は、今回いぶし銀のような渋さで控えめな役どころ。
一方出突っ張りの加藤剛は、さすが骨の髄まで大岡越前、作品全体の品格を一段上げる感じの清廉潔白さを醸し出す。映画の中では、松本は辞書の発刊を目前に病気で亡くなるが、馬締たちに遺した手紙は、生涯を辞書に捧げた者に相応しいウィットと愛情に富んだもので、つい泣き笑いしてしまう。
本作は2013年の作品だが、加藤剛も、その妻を演じた八千草薫も、もう既に鬼籍に入られてしまったのは実に寂しい。
辞書作りの旅へ
その他、辞書の完成には更に多くの人たちの努力にも支えられている。
契約社員ながら、実は誰よりも辞書編集部で仕事ができそうな佐々木さん(伊佐山ひろ子)や、ファッション誌の編集部から飛ばされてきて、はじめはシャンパンしか飲めないと気取っていた岸辺みどり(黒木華)だとか。
辞書専用の用紙を苦労して開発する製紙会社の営業(宇野祥平)や、表紙と化粧函を作成する社内デザイナー、或いは「大渡海」の広宣ポスターに写る麻生久美子。みんなで、この舟を世に出そうとしているのだ。
「大渡海」は松本先生の方針もあり、積極的に若者言葉や誤用が普及した言葉など、生きた言葉を採り入れる。それが、「チョベリグ」や「BL」や肯定的な意味の「ヤバい」だったりするわけだが、この手の流行り言葉は廃るのも速い。
いくら出版翌日から改訂作業を始めるといっても、やはり紙の辞書のメンテには限界があると改めて思った。雑誌の廃刊もつらそうだけど、長年用例採集してきた辞書企画の打ち切りも、結構精神的にダメージ大きそう。
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大人になってから数学の美しさと楽しさを教えてくれたのは、小川洋子の『博士の愛した数式』だったが、国語の深い魅力を教えてくれたのが本作といえるかもしれない。国語辞典なんて、30年くらいまえに奮発して広辞苑を買ったのが最後だなあ。
ちなみに、広辞苑(岩波書店)を盗みに本屋に行って、誤って広辞林(三省堂)を奪ってくるのが伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』。これも映画では松田龍平だったじゃないか。一体、どれだけ辞書好きなんだ。