『草の響き』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『草の響き』考察とネタバレ|佐藤泰志原作の函館映画シリーズ⑤

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『草の響き』

東出昌大、三年ぶりの主演。佐藤泰志原作の舞台を函館に変え、大胆なアレンジで臨む意欲作。

公開:2021 年  時間:116分  
製作国:日本
 

スタッフ  
監督:     斎藤久志 
脚本:     加瀬仁美 
原作:     佐藤泰志『草の響き』 
製作:     菅原和博 

キャスト 
工藤和雄:   東出昌大 
工藤純子:   奈緒 
佐久間研二:  大東駿介 
小泉彰:    Kaya 
高田弘斗:   林裕太
高田恵美:   三根有葵 
宇野正子:   室井滋

勝手に評点:3.5 
    (一見の価値はあり)

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

あらすじ

工藤和雄(東出昌大)は、昔からの友人で高校教師をしている佐久間研二(大東駿介)に連れられ、病院の精神科へやってくる。和雄は東京で勤めていたが、精神のバランスを崩し、妻の純子(奈緒)と共に故郷の函館に帰ってきたのだ。

医師の宇野(室井滋)に自律神経失調症だと診断された和雄は、運動療法として毎日ランニングをするようになり、雨の日も真夏の日もひたすら同じ道を走り続ける。

その繰り返しの中で、和雄は徐々に心の平穏を取り戻していく。やがて彼は、路上で知り合った若者たちと不思議な交流を持つようになる。

レビュー(まずはネタバレなし)

まだまだ頑張るシネマアイリス

函館市民の映画館シネマアイリスが制作・プロデュースを行ってきた佐藤泰志原作による映画シリーズも、五本目を迎えた。今回の原作は『草の響き』、すでに映画化された『きみの鳥はうたえる』と同じ本に所収された短編

主演は東出昌大。共演者とのゴシップで騒がれた『寝ても覚めても』(2018、濱口竜介監督)以来の主演作品ということになる。今週、伊藤健太郎の久々の主演作『冬薔薇』(阪本順治監督)を観たが、同じようにトラブル後の主演復帰作でも、試練の場というような感じは本作にはない。

監督は大ベテランの斎藤久志佐藤泰志原作映画シリーズは一発目の『海炭市叙景』の熊切和嘉監督が北海道出身・大阪芸術大学卒業だったことが関係するのか、以降の監督は一人を除き全員が大阪芸術大学出身、唯一例外の三宅唱監督(『きみの鳥はうたえる』)も札幌出身。

本作の斎藤久志監督も大阪芸大なので、シネマアイリス代表の菅原和博が招聘したのかもしれない。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

作り手の力量が試される原作

今回映画化される『草の響き』は、これまでの原作とはやや勝手が異なる。

まず、これまでは多くの原作の舞台が北海道(の架空の町)だが、本原作では舞台が東京は八王子あたりだったと記憶する。映画では企画の性質から舞台を函館に移し替えるが、これには『きみの鳥はうたえる』という同様の成功例もあり、不安はない。函館の方が映えるだろうし。

心配なのは、物語自体だ。原作では一日二回、運動療法のためひたすらランニングをする主人公の独白形式で話が進行する。短編ゆえか、これといって明快な起承転結がある訳でもない。正直、映画化向きの原作とは思えなかった。

これをそのまま映像化したら、失敗なのは自明だ。だが、これまでの佐藤泰志原作映画がどれも面白いのは、原作を少なからず作り手が映画的にアレンジしているから。彼の小説には、それを許容するような解釈の懐の深さがあるのだ。

今回、斎藤久志監督や脚本の加瀬仁美は、過去のどの佐藤泰志原作映画よりも大胆にアレンジを加えている。もはや、主人公が運動療法のために走ること以外、原作は原型をとどめていない気さえする。

だが、それでよいのだ。いかに原作に縛られず物語を解放してやれるかが、本作の成功の鍵だと思うし。

滑走する若者とただ走る男

さて、いろいろと能書きを並べたが、冒頭の早朝の函館の町のショットを見た途端に、映画的な美しさと躍動感にやられてしまう。

コロナ禍のせいもあるのか、誰もいない町並みに続く緩やかな道路斜面を、高校生と思しき若者がスケボーで下っていく。長いワンシーンワンカットの終盤でトリックを決める。すげえ、一発メイクか!

どうやらこの若者、小泉彰を演じたKayaはスケボー本職らしいので、あのくらいはお手のものなのか。町の真ん中で気持ちよくスケボーで滑走するシーンの爽快感は、『オーバーフェンス』(山下敦弘監督)のオダジョーのチャリンコ乗りを凌ぐ。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

本作のメインパートでは、自律神経失調症を患った主人公の工藤和雄(東出昌大)が、運動療法のために毎日欠かさず走り込む。一緒に函館に戻ってきた東京出身の妻・純子(奈緒)や、和雄の高校時代からの親友である佐久間(大東駿介)に支えられながら。

「毎日狂ったように走ってるのよ」と佐久間に語る純子に、「狂わないように走ってるんだ」と反論する和雄。どこかぶっきらぼうな物言いは、病気のせいなのか、自分本位の彼の本質なのか。

物忘れがひどくなる和雄の姿が、前作『BLUE/ブルー』(𠮷田恵輔監督)でパンチドランカーになった東出昌大に重なる。あの時の彼も、彼女をベッドに誘っておいて、何をやろうとしたか忘れてしまうほど重症だった。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

メインと並行するサブパートが、冒頭のスケボーから始まる、高校生のストーリー。

水泳が苦手な小泉彰(Kaya)が市民プールで高田弘斗(林裕太)と出会い、互いに水泳とスケボーを教え合うことになり友情が芽生える。そのうちに弘斗の姉・恵美(三根有葵)も加わり、三人で海沿いの広場でスケボーや花火に興じるようになる。

二つのパートがどういう関係性なのか、はじめは分かりにくい。『海炭市叙景』のように、殆ど絡まないこともあり得る。

あまりに絡まないので、ひょっとしてこの二人の高校生は、和雄と佐久間の若い頃の回想なのかも、とか妄想が進んできた頃、ついにニアミスを起こす。海沿いを走っている和雄の背後に、スケボーの練習をしている三人が映り込んでくるのだ。これは美しいショット。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

やがて、彰と弘斗は、夜に走っている和雄を見かけると、走ってついていくようになる。まるで『ロッキー』だ。誰かが走っていると、伴走したくなるものらしい。ほとんど会話はない。ただ黙ってしばらく走る程度の関係。

でも、和雄にとっては心地よい距離感なのかもしれない。草の響きとは、走るときに踏みつける草の音のことだろうか。原作のような独白はない。ひたすら無言で走り続ける和雄。流れるシンプルだが心地よいピアノ曲。そして美しい函館の情景。同じように見えて、町は毎日違うのだ。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

普通のことに幸せを感じられるひとに

本作は、佐藤泰志自身が自律神経失調症を患い、療法として始めたランニング経験をもとに書いた短編小説がベースである以上、明るく楽しい映画にはなりにくい宿命を背負っている。

純子の妊娠が分かっても、素直に喜びを表現できない和雄。部屋で煙草を吸おうとして、妻に咎められる。母となる純子は、もう自己チューの和雄を甘やかさない。

病気のせいか育った環境のせいか、和雄は普通のことを幸せと感じることができなかった。子供にはそんな風に育ってほしくはない。希望を感じさせるこのあたりまでの映画の流れはとてもいい感じだった。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

だが、ここから畳み掛ける負の連鎖が始まる。以下ネタバレになる

ちょっとしたすれ違いでケンカ別れした彰と弘斗。友だちとそのアネキの三人でつるんで遊び、アネキといい雰囲気になるのは、『そこのみにて光輝く』(呉美保監督)からの定番ネタかと思っていた。

だが驚いたことに彰は、クラスのいじめっ子に唆され、海でダイブしようとし水死してしまう(ダイブするシーンと死んだことの説明がだいぶ離れているので、唐突感あり)。

一方、和雄は病状が悪化してきて、一人では電車にも乗れず、店に入っても暴れ出しそうで怖いと、佐久間にすがるような状況。これはどうしたことかと身を乗り出すと、次のカットでは一年後で体調が回復しており、どうもギクシャクしている。

しかも、出産の予定日まであと少しというところ。ここでハッピーエンドかと思いきや、突如妻の目を盗んで、睡眠薬をボリボリとラムネのように大量摂取する和雄。これがこの病気の怖さなのか。このまま死んでしまうのかと思ったが、次のシーンでは鉄格子つきの病室で拘束衣を着せられている。

(C)2021 HAKODATE CINEMA IRIS

ラストシーンをどうみるか

ラストシーンをどう解釈すべきか。純子は実家近くで出産しようというのか、フェリーで愛犬ニコを連れて東京に戻ろうとしている。

病院の公衆電話から純子に電話をかける和雄だが、運転中でつながらない。経過は順調でじきに普通病棟に移れる。彼は留守電に向かってそう言っていたが、その後看護師の監視の目を盗んで、病院テラスに出て、裸足になる

そのまま眼前の海に身を投げるのだ!と、私は思った。彰の最期が頭をよぎる。だが、違った。彼は裸足で外に飛び出し、草を踏んでその響きを聞きながら、走り始める。その表情は明るい。

走ることで、狂わずにいられる。自分を失わずにいられる。ランニングが日課となって久しい和雄には、拘束衣を解かれ、自由に走れることこそ、喜びなのだ。

ささやかなことに幸福を感じることが、生まれくる子供のために、彼が伝えたいもの。だから和雄は、走らずにはいられない。私にはそう見えた。