『れいこいるか』
阪神・淡路大震災から25年。大切な人が死んで、残された人はその先をどうやって生きていくのか。
公開:2020 年 時間:100分
製作国:日本
スタッフ 監督: いまおかしんじ キャスト 伊智子: 武田暁 太助: 河屋秀俊 太助の父: 豊田博臣 伊智子の母: 美村多栄 スナックのママ: 時光陸 フリーライター: 田辺泰信 ヒロシ: 佐藤宏 卓球少年の母: 西山真来 若者: 上野伸弥
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1995年、伊智子(武田暁)と太助(河屋秀俊)は、阪神淡路大震災により一人娘のれいこを亡くす。
その後二人は離婚し、それぞれの生活を始める。淡々とした日常の中、伊智子と太助は、徐々にれいこの死を受け入れていく。
2018年、久しぶりに再会した二人は、れいことの思い出の水族館へ向かう。
レビュー(まずはネタバレなし)
震災の日に偶然出会った作品
ピンク映画界で「ピンク七福神」のひとりであるいまおかしんじ監督が、阪神・淡路大震災直後から長年温めてきた企画を、25年を経て結実させた人間ドラマだ。
実は、東日本大震災の映画だとばかり思い込んで観始めたのだが、途中で勘違いに気づくと同時に、慰霊祭のシーンを先ほどニュースで見たばかりだと思い出す。
そう。まったくの偶然ではあるが、私は全く意識せずに、この映画を震災が発生した1月17日に観賞していたのだ。そのため、中盤から一層厳粛な気持ちで、本作に向き合うことになった。
震災の映画ではあるが、一般的にイメージするものとは少し異なると思う。あれから25年以上が経過しているわけだが、震災を乗り越えてこの歳月を生きてきた人々に焦点をあてることで、今の世にこの映画を世に出す意味を与えている。
決して、苦労や悲しみを前面に押し出すのではなく、むしろ想像以上に明るさや笑いの要素も取り入れる。
映画のテーマなど、分かるようには撮っていない。映画には、観る者に何かを分からせる必要などないし、その方が面白い。
いまおか監督がそんなことを語っていたが、まんまとその術中にはまっている。一見何を伝えたいのか見えにくい。だが、一晩たつと、不思議に心に何かが刺さっている。そんな作品だった。
イルカが翔ばない日
冒頭、須磨の海岸で幼いれいこと戯れる夫婦。幸福そうな家族のシーンだが、須磨水族園のイルカが興奮してジャンプしてくれなかったと娘がぐずっている。これはスマスイの震災前の都市伝説と言われるものらしい。
そして、その晩に震災が発生する。折しもその晩、妻・伊智子(武田暁)は浮気相手(時光陸)とラブホで密会している。大きな揺れに驚き膣痙攣(Wow!)で男と離れられなくなっているその最中、たまたま外で煙草を吸っていた太助(河屋秀俊)を残し、れいこは倒壊したアパートの下敷きになってしまう。
本作はこの不幸な出来事を、実に淡泊に取り扱う。伊智子は実家の立ち飲み酒屋で母(美村多栄)と働き、そこで太助の父(豊田博臣)は、無一文なのに酒を無心する。
れいこが圧死したこと、浮気が原因で二人は離婚したことが、太助の父の台詞から分かる。伊智子はあれから男を替え、本好きのフリーライター(田辺泰信)と再婚している。
太助とその父、伊智子の母と再婚相手の五人で花見をするのも面白いが、そこに夫婦のいがみ合いや修羅場がある訳でもなく、みんな静かに暮らしている。
◇
未曽有の大災害のあとでは、誰もが大きな喪失感を抱えて生きている。大きすぎる悲しみは、数年で癒えるものではない。
太助も、れいこが抱きしめていたイルカのぬいぐるみを大切に持ち歩いている。幼い愛娘を忘れることはない。でも、人は悲しみながらも、生きていかなければいけない、時には陽気に笑いながらでも。いまおかしんじ監督が描こうとしたのは、そういう人間の性なのだろう。
その街のおとなたち
「伊智子、あんまり自分を責めんとき」と優しく言う太助。娘の死と妻の浮気とは無関係とはいえ、悲しみの淵に立つとなかなか言える台詞ではない。
『恋人たち』(橋口亮輔監督)や『茜色に焼かれる』(石井裕也監督)など、今週だけでも家族を失った者たちの激しい怒りの場面を何度か見てきたが、相手が自然災害となると、人は怒りの矛先を見出せないものなのか。
誰を責めるわけでもない。町の人たちはみな被災者であり、共助の精神で支え合って生きていく。
阪神・淡路大震災から年月が経過していることもあるだろうが、直近の慰霊祭のシーンを除けば、実際の被災時の記録映像等は一切使っていない。れいこも冒頭のシーン以外は回想場面も作らず、イルカのぬいぐるみに頼っている。
神戸の撮影地にしても、いわゆる観光地的なロケーションは徹底的に避け、被害の大きかった長田区の当時の姿が残る町並みを選んでいるそうだ。
阪神・淡路大震災を扱った作品で私の印象に強く残っているのは、NHKドラマで映画化もされた『その街のこども』(森山未來・佐藤江梨子主演)だが、あれは震災15周年、本作は25周年と、またも節目の年に心に残る作品が生まれた。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
それでも生きていく
大切な人が死んで、残された人はその先をどうやって生きていくのか。いまおか監督はそれを自問自答しながらこの作品を作っている。『空白』(吉田恵輔監督)でも、古田新太が、娘を失ってどう折り合いをつけて生きるか苦しんでいたのと似ている。
◇
伊智子は太助と別れてから、何度も男を替えていく。
震災時の浮気相手は、そのトラウマからかゲイになってスナックを始める(そういうこともあるものか?)。再婚したフリーライターとはすぐに別れ、シナリオ塾(青空教室なのがいい)の講師とは結婚したつもりが詐欺師と分かり、その後、同じ塾で学ぶ若者ともいい仲になっている。
伊智子が男性遍歴を重ねている間に、太助の父は死に、伊智子の母は痴呆が進むなど、時間の流れとともに、いろいろなことが起きる。
とりわけ大きな出来事が二つある。一つは伊智子が視力をほとんど失い、白い杖をついて歩くようになってしまうこと。そしてもう一つは、太助が人を殺してしまい、服役することだ。彼は近所の卓球少年を可愛がっていたが、その母親(西山真来)に乱暴をふるうDV夫と揉み合ううちに、この男が頭をぶつけ死んでしまうのだ。
だが、こんな大きなアクシデントさえも、本作は年代記のように流していく。いまおか監督自身が引き合いに出していた『ガープの世界』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)のように。
太助は、自首も出所も見せずに刑期を終え、伊智子は伊智子で、全盲のようだったのに、なぜか次のシーンでは全快して免許を取得している。
いるか、いらないか
そして、そんな細かいことは気にせずに、ついに出所後に再会した二人は、れいこと行った思い出の水族園に再び足を運ぶ。
そのあと、伊智子の部屋に戻り、二人で「いるか、いらないか」と言葉遊びしながら、れいこのぬいぐるみを振り回して戯れるシーンは、涙を誘う。そしてイルカを挟んで川の字に並んで布団に入る二人。どちらも言葉にしないだけで、れいこはずっと心の中にいるのだ。
この元夫婦は、空元気でも最後まで明るさと笑いを忘れない。思い出を語りしんみりしそうな須磨の海岸で別れる場面にも、「ほないくわ」「だぼ(神戸弁でアホ)」といった会話を新喜劇的な動作とともに交わす。
このあたりをあえてカラッと重たくせずに見せることで、当時を乗り越えてきた人々にも共感を得られる作品になっているのではないか。
そして歳月を経て目まぐるしく変わっていく二人の人生と対照的に、被災前からウルトラセブンに心酔しているヒロシ(佐藤宏)だけは、何も変わらず、今日も子供のように走り回っている。
そう、ヒロシがいっていたように、神戸と言えば、ポートタワーにキング・ジョー。かと思えば、ラストは復興のシンボル、鉄人28号。インパクト大だ。地元では見慣れた光景だろうが、知らない私は合成映像かと驚いた。
いまおかしんじは震災の年に監督デビューということであり、まさに自身の半生を振り返っての集大成的な作品なのかもしれない。どこか心が温まる作品だ。近所で角打ちしたくなったな。