『ジョゼと虎と魚たち』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー(ジョゼ虎・実写版) | シネフィリー

『ジョゼと虎と魚たち』今更レビュー|アニメもリメイクもいらんのよ

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ジョゼと虎と魚たち』 

田辺聖子の短編原作を犬童一心監督が映画化。ジョゼの池脇千鶴と、彼女を救い出す妻夫木聡の淡くはかない不朽のラブストーリー。

公開:2003 年  時間:116分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:      犬童一心
脚本:      渡辺あや
原作:      田辺聖子
       『ジョゼと虎と魚たち』

キャスト
恒夫:      妻夫木聡
ジョゼ:     池脇千鶴
香苗:      上野樹里
ノリコ:    江口のりこ
隆司:      藤沢大悟
ジョゼの祖母:  新屋英子
幸治:      新井浩文

勝手に評点:4.5
(オススメ!)
  

あらすじ

大学生の恒夫(妻夫木聡)がアルバイトする麻雀店では、近所に出没する謎の老婆(新屋英子)の噂が話題となっていた。その老婆は決まって明け方に現れ、乳母車を押しているのだという。

明け方、恒夫は坂道を下ってくる乳母車に遭遇。近寄って中を覗くと、そこには包丁を振り回すひとりの少女がいた。ジョゼと名乗るその少女(池脇千鶴)は足が不自由で、祖母に乳母車を押してもらい散歩していたのだ。

不思議な魅力を持つジョゼに惹かれた恒夫は、彼女の家をたびたび訪れるようになる。

今更レビュー(ネタバレあり)

池脇千鶴はドラえもんより押入れが似合う

何年ぶりに観ても、何度観ても、ジョゼの毅然とした態度と口の悪さと女心の共存する愛くるしい姿が心をとらえて離さない。田辺聖子の同名短編小説を犬童一心監督が実写映画化した不朽の名作。

足が不自由な彼女には車椅子代わりの乳母車しかなく、人の手を借りないと、大好きな散歩にも出かけられないジョゼ(池脇千鶴)

一日中狭い家に閉じこもって、老婆の拾ってくる捨てられた本を読み漁り、誰かと接することもない。それでも腐らず、初めて出会った恒夫(妻夫木聡)に、減らず口を叩く彼女が愛おしい

雀荘でバイトする平凡で軽薄そうな大学生の恒夫が、朝の住宅街で乳母車を押す老婆に遭遇する。老婆にまつわる怪談じみた話を聞いていた恒夫は怖々と乳母車を覗き込むと、毛布の下に娘が隠れている。彼女は足が悪いのだ。

成り行きで二人の住むボロ長屋にあがりこんだ恒夫は、娘のつくった朝食をご馳走になり、予想外に美味しいことに驚く。

「あたりまえや。うちが(魚を)焼いたんや」
ここでジョゼと名乗る娘が初めて口を開く。ゆっくりと気怠そうに喋る大阪弁が何とも彼女に似合う。

池脇ジョゼが神格化している

ジョゼが大阪弁を喋るのも、小柄で幼く見えるのも田辺聖子の原作通りではあるのだが、そこにうってつけの池脇千鶴を起用したことで、このキャラクターは、原作以上に個性的な魅力を放つようになった。本作で、私は彼女しか観ていないようにさえ感じる。それほど存在感が際立っている。

『時をかける少女』(大林宣彦監督)や『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(岩井俊二監督)などと同じく、本作もその後何年も経ってからアニメ映画化されている。

食わず嫌いといえばそれまでだが、他の作品同様、これもアニメ版を観る気になれない。だって、実写版を越えると思えないから。

本作は韓国でも実写版リメイクが撮られ、現在公開中ではあるが、これも観ないだろうな。主演の女優がジョゼっぽくないし(個人の意見です)。

そう、もはや私には池脇ジョゼが神格化してしまっている。あの物憂げな魅力は、池脇千鶴声質による大阪弁と密接不可分なのだ。

田辺聖子の原作は短編だが、そのままの映画化ではちょっと物足りないところを、監督の犬童一心と脚本の渡辺あやが原作の世界観を維持しつつ、見事に肉付けしている。

特に、大学の同級生・香苗(上野樹里)の存在など恒夫をとりまく挿話などは、すべて映画オリジナルの部分だったと記憶するが、映画では有効に働いている。

犬童一心監督にとって本作は初期の作品だが、これを越えるものにはまだ出会えていない気がする(本作だけで十分素晴らしいです)。渡辺あやは本作でデビュー、『メゾン・ド・ヒミコ』でも犬童監督と組んだ後、『天然コケッコー』(山下敦弘監督)や、朝ドラの名作『カーネーション』などで才能を発揮する。

大学生のくせにそんなことも知らんのか?

ジョゼと言う名は、自身が愛読するサガン『一年ののち』の主人公の名前にちなんでいる。

「名前はジョゼや」
「婆さん、クミコって呼んでるじゃないか」

のちに語られるが、施設で育った幼い頃のジョゼは、同じように自立心の強かった少年の幸治と脱走し、老婆のもとで暮らすようになる。

足が悪いジョゼを世間体が悪いと気にする老婆は、彼女の存在を周囲に隠し、散歩は人気のない早朝のみ。壊れもんのをわきまえて生きるように、目を光らせている。

そんな息苦しい生活でも、狭い家には鏡台や化粧道具など女の子の部屋らしい一角もあり、ジョゼは料理もうまい。捨てられた本や教科書を手あたり次第読み漁るため、どんな分野にも詳しいのが笑える。

「卵の殻のサルモネラ菌で、食中毒おこすかもしれんで」とか、
「おっさん刺したあと、ルミノール反応が出んように、包丁よう洗ったわ」とか、
「トカレフいうのは、どこで買えんのか?」とか。

そして、ジョゼの退屈だった暮らしに、恒夫が光を与えてくれるようになる。

サガンの本の続編があるらしいのだが、なかなか捨ててくれないと嘆くジョゼのために、廃版の『すばらしい雲』を探してくる恒夫。金髪のウィッグでフランス娘になりきって読書にふける彼女がカワイイ。

ついに、スケボーを改良した乳母車で、人目のある日中に堂々と外出する二人。ジョゼに笑顔がみられるようになる。

恒夫はごく平凡で調子のいい大学生

妻夫木聡が演じる本作の主人公・恒夫は、ごく平凡で調子のいい大学生だ。割り切った関係っぽい遊び相手の女子大生ノリコ(江口のりこ・公開時は徳子。大胆な裸のシーンから登場で驚く)がいて、キャンパスの人気者・香苗(上野樹里)ともいい仲になっている。

そんな彼にとって、ジョゼは単に、不思議な身障者の女の子でしかなかったが、次第に惹かれるようになる。

この好きになっていく度合いがほど良くマイルドで、いい加減なところが、映画的にはいいバランスを保っている。恒夫が妙に生真面目で、出会ってすぐにジョゼに一途で、老婆の反対を押し切ってつきあうようではドラマにならない。

助成金でバリアフリーにできると老婆を説得し、張り切って工事業者(板尾創路)を呼ぶ恒夫。だが、そこに福祉の仕事に興味があるという香苗が見学に現れ、健常者同士の親し気な二人の会話にジョゼは傷つき、すねる。これが喧嘩につながり、そのまま疎遠になる。

かつてジョゼが教科書やノートを拾って読んでは、こいつアホなんやと陰口を叩いていた高校生・金井晴樹(藤原一裕)が、偶然恒夫の大学に入ってくる。その名前で忘れようとしていたジョゼを思い出してしまう。

帰れって言われて、ほんまに帰るんか

そして、就活で訪ねた、あの時の工事業者から、老婆がしばらく前に急死したらしいと聞き、あわてて恒夫はジョゼの元にかけつける。

静かな再会。彼女にはかつての威勢がないが、あれこれ口出しする恒夫に帰れと言う。引き下がる恒夫の背中に、
「帰れって言われてほんまに帰るような奴は、はよ帰れ」と叫び、泣き崩れる。この美しい場面で、ようやく二人は結ばれる。

タイトルにある、虎と魚たちというのは、ジョゼがいつか見に行きたいと願っていた場所のことだ。もし好きな男の人ができたら、一番怖いもの(ここでは虎!)を見に行こうと思っていたのだ。何とも、乙女っぽいではないか。

そして1年後、一緒に暮らすようになった二人は、ジョゼに初めての海を見せようと、弟分の幸治(新井浩文)から借りたヤンキー仕様のクルマでドライブに行く。

ともに施設を脱走した幼少期から、ずっと幸治の母親気取りのジョゼ。二人は会えば本気で悪態をつきあう一触即発のようにみえて、実は仲が良さそうだ。

ドライブで訪れた水族館は休業中で、仕方なく入った魚の看板のラブホで、二人は魚影の群れに囲まれたような部屋のベッドで、海の底にいるような気持ちになり抱き合う。

「深い静かな海の底にずっと、アタイはおった。もうあの場所には戻られへん」
好きな人と並んで横たわる、幸福なひととき。

これを原作では、「アタイたちは死んだんや。死んだモンになってる」と表現している。完全無欠な幸福は、死そのものだと彼女は思っているのだ。

原作にはない後日談

原作はこの絶頂期で幕切れするが、映画には後日談がある。二人は実にあっさり、サバサバと別れてしまうのだ
そして別れたその足で、恒夫は一旦は別れた香苗のもとへ。

身障者に彼氏を奪われたショックでジョゼをひっぱたき、そして恋愛も福祉の仕事にも興味を失いキャンペーンガールのバイトをしている香苗。結局最後に恒夫と復縁するのだから、本作において上野樹里は一手に憎まれ役を担っている。

さて、ジョゼと恒夫はなぜ別れてしまったのか。同情心から芽生えた恋だったとは思わないが、フラフラと生きている恒夫にとって、足の不自由な彼女を支えてこれからの人生を過ごすほどの覚悟を持ちえなかったということなのだろう。

「車椅子を買おうよ。年取ったらいつまでもジョゼを背負えないよ」

無意識に以前に言った言葉が軽く聞こえる。だが、別れた後で、突如恒夫は号泣する。こんな生き方しかできない、自分のふがいなさを責めているのだろうか

一方、電動カートで生活するようになったジョゼはどこか逞しく見える。彼女は、あの魚たちに囲まれた夜で、自分は完全無欠の幸福を手に入れ、そして同時に死んだモンになったのだと思っているのかもしれない。

悲壮感のないこのエンディングは、原作以上に広がりを感じられて、私は結構気に入っている。