『はちどり』 벌새
90年代初期のソウルを舞台に、家長制度の根付く韓国の男社会のなかで、14歳の少女が過ごした思春期と、彼女の人生を変えた女教師との出会いを描く。
公開:2020 年 時間:138分
製作国:韓国
スタッフ 監督: キム・ボラ キャスト ウニ: パク・ジフ ヨンジ: キム・セビョク ウニの父: チョン・インギ ウニの母: イ・スンヨン ウニの姉: パク・スヨン ウニの兄: ソン・サンヨン ヨンジの母: キル・ヘヨン ジスク(親友): パク・ソユン ジワン(彼氏): チョン・ユンソ ユリ(後輩): ソル・ヘイン
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
1994 年、ソウル。家族と集合団地で暮らす14歳のウニ(パク・ジフ)は、学校に馴染めず、 別の学校に通う親友ジスク(パク・ソユン)と遊んだり、男子学生のジワン(チョン・ユンソ)や後輩女子ユリ(ソル・ヘイン)とデートをしたりして過ごしていた。
両親は小さな餅店を必死に切り盛りし、 子供達の心の動きと向き合う余裕がない。ウニは自分に無関心な大人たちに囲まれ、孤独な思いを抱えていた。
ある日、ウニが通う漢文塾に、不思議な雰囲気の女性教師ヨンジ(キム・セビョク)がやって来る。自分の話に耳を傾けてくれる彼女に、ウニは心を開いていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
81年生まれ、キム・ボラ
本作が監督初長編となるキム・ボラが、自身の少女時代の体験をベースに撮った作品で、世界各地の映画祭も高く評価されている。
舞台は1994年のソウル。88年のソウル五輪開催以降、国際化と民主化を加速させ経済成長を遂げている時代。92年には金泳三大統領の文民政権が誕生し、長年続いていた軍事政権が消滅している。
◇
一流大学を目指し子供たちへの教育は過熱し、主人公ウニ(パク・ジフ)の一家も餅店(トックですね)を切り盛りしながら、三人の子供たちを塾通いさせている。ただ、根底に深く根付いているのは、家長制度に裏打ちされた男性重視の文化である。
こう書くと、偶然にも、つい数日前に鑑賞したばかりの『82年生まれ、キム・ジヨン』との題材の共通性に驚く。なるほど、本作の監督は<81年生まれ、キム・ボラ>。問題意識が似通うことに、何ら不思議はない。
◇
今まで声を上げずにいたけれど、或いは、人によっては問題という認識さえ持っていなかったけれど、女だからというだけで、じっと我慢し、諦めてきた自分たちを、解放し戦わなければいけない。その動きは韓国版#MeToo運動となり、国を超えて広がってもいる。
そのテーマを正面からとらえ、仕事を捨て、結婚し子育てに専念する女性を主人公として、女性なら誰でも<あるある>なエピソードをふんだんに採り入れた『82年生まれ、キム・ジヨン』と本作は、同じ題材でも受ける印象は大きく異なる。
14歳の少女と漢文塾の先生
本作の主人公はまさに中二病のような14歳の少女で、父親が威張りちらし兄だけが優遇されるギスギスした家庭の中、思春期を過ごしている。
自分の胸の内にある、説明できない孤独感や不安感を理解し、心を通わせてくれた初めての大人が、漢文塾に現れた女性教師ヨンジ(キム・セビョク)なのだ。
◇
生真面目で何事にも一生懸命の『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公は精神を病んでしまうが、本作のウニは勉強熱心でもなく、カラオケに出入りし学校では「不良認定」、万引きしたり、彼氏とも後輩女子とも付き合ってみたりと、いろんな顔をもつ少女である。
キャラクターの違いや、心を開いて語り合える存在の有無も、二つの作品の印象を分けている。
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そして、本作では、何も語らずにただ相手を見つめるウニの表情をとらえるカットを多用することで、映画に独特の深みを持たせている。
言い換えれば、観る者があれこれ考える余地を残している。そのため、初長篇は140分とやや長めになったが、けして飽きさせることはない。
ハチドリのはばたき
そして、主演のパク・ジフもまた、少女の中に天使と小悪魔が共存しているような、不思議で繊細なキャラクターを見事に演じ、この映画の魅力づくりに一役買っている。
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印象的なのは、家庭のいざこざのあった次のカットに複数回登場する、ウニが親友のジスク(パク・ソユン)と屋外のトランポリンで飛び跳ねて遊んでいるシーンだ。
少女たちは家庭の事情で思い悩むだけではなく、こうしてストレスを発散し、笑い飛ばす元気もあるのだと知り、ホッと安堵する。
◇
ハチドリとは、超高速で懸命に羽ばたく小さな鳥だ。このシーンの二人と重ねているタイトルなのだろうと、勝手に想像する。太陽を浴びた二人の少女の躍動感が南アルプス天然水のCMっぽくて、とても好き。
理解に苦しんだシーン
一方で、考える余地なのか、私が分からないだけなのか、悩んだシーンが二つある。
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映画は、集合住宅に帰ってきたウニが呼び鈴を押しても誰も応えず動揺するが、部屋を間違えていたと思われるシーンで始まる。
これは部屋間違いなのか、母(イ・スンヨン)が無視していたのか判然としない(実際、後段で母が呼びかけを無視する場面あり)。
その後も解答は得られず、映画の冒頭にしては難題だ。ウニの抱えている強迫観念みたいなものを暗示したかったのだろうか。
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また、終盤で家族が食卓を囲み、ウニの姉(パク・スヨン)が無事で良かったと喜ぶシーンで、唐突にウニの兄(ソン・サンヨン)が号泣しだす。これも、前後関係からは理由が読み取れない。
ウニの父(チョン・インギ)にも、ウニの診察に同行し号泣しだす場面があり、この家の男性陣はみな情緒不安定なのかと疑いたくなる。家長制度の重圧が男にもたらす弊害ということなのか。それもまた、勝手な理屈に見えるが。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
家長制度あるある
韓国の<家長制度あるある>として、『82年生まれ、キム・ジヨン』にも出てきた、娘は男兄弟の学費のために進学を諦め働き、家では家長と長男が偉い、というのは、かつての日本でも存在し、想像がつく。
父親が娘をつかまえて、すぐにクソアマ!と悪態をつくのも、家庭によってはありそうだ。
◇
だが、兄が妹の顔を平気で殴り飛ばし、痣をつくったり、鼓膜を破ったりというのは、どうなのだろう。自殺したいけど、兄が後悔するのを見られないから思いとどまるとは、胸が痛む。
娘の殴られるのを目の当たりにした親が、「ほら、喧嘩はしないで」という程度でとどめるというのも、哀しい話だ。
万引きで捕まった娘を,すぐに警察に引き渡せと店主にいう父や、集合住宅の公共の通路に娘を正座させる体罰は、どうなのか。これらも、キム・ボラ監督の実体験ベースなのだろうか。
ヨンジ先生の非日常的な輝き
兄に殴られたときは、早く終わってほしいと祈るだけだというウニを優しく見つめ、ヨンジ先生はいう。
「誰かに殴られたら、立ち向かうのよ。黙っていては駄目」
そしてウニは、先生に教わったように、自分が嫌いになったら心の中を覗いて何が原因か確かめてみよう、つらい時には自分の指を見て、指が動かせることに神秘の力を感じようと思う。
◇
先生は不良っぽく煙草も吸い、言いたいことをいい、女らしくなく颯爽としている。だけど優しくて、理解がある。キャラ的には、『北の国から』に登場した、原田美枝子演じる涼子先生を思い出した。
そんな大好きな先生が、突然に塾を辞めてしまった。事務局のおばさんのいい加減な対応で、最終日に先生と会うこともできない。
家に戻れば、文句を言った塾から除籍され、女の子なのにあれがダメだこれがダメだとうるさい家族にウニは逆ギレする。「私は間違ってもいないし、性格も悪くない!」
そして、橋が崩落した
やがて、唐突に1994年10月21日という日付が出る。多くの死傷者を出した聖水大橋の崩落事故の日だ。韓国では未だに記憶に残る事故なのか。
金日成主席の逝去のニュースも映画には登場するが、これらは、経済成長を続けた当時に不安を投げかける出来事でもあったのだろう。
◇
ウニの姉の通う学校では、この事故で多くの犠牲者を出した。姉は時間が遅れたせいで、間一髪で難を逃れた。だが、この事故は、ウニにとって、自分の指をみて神秘の力を思い起こさなければならぬほど、つらい出来事となる。
父の目を盗んで、夜道を兄のクルマにのって事故現場に向かう三人兄妹。この兄妹も、そして家族も、必ずしも常に仲違いしているわけではない。
ウニがそうであるように、家族の誰もが、善人と悪人の両面を持っている。ウニを虐げている一面だけが目立つ父や兄にしても、別に極悪人ではない。
そして、三人は未明の事故現場に近づき、中央の橋げたを落としたままの巨大な聖水大橋を呆然と見つめる。そこに言葉はない。いや、あっては嘘になる強烈に印象的なシーンだ。
それぞれが、たった一人で大きな喪失感と残酷な現実に向き合っている。ここを夜明けのシーンにしたのは、希望を感じさせたいからだと、キム・ボラ監督は語っている。その効果は、しっかりと感じ取れたと思う。
◇
ウニはヨンジ先生という存在を知っただけで、こんなにも強くなり、人生に立ち向かう力を得ることができた。私の人生もいつか、輝く日が来るでしょうか。そう悩んでいたころの彼女ではない。
人生を輝かせるかどうか、それは誰かに尋ねることではなく、自分で切り開くものだ。
世界は、不思議で美しい。それをヨンジ先生に教わらずとも、ウニならきっと自分で実感するだろう。そういう眼差しを、彼女は最後に見せてくれる。