『ジュディ 虹の彼方に』 考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ジュディ 虹の彼方に』考察とネタバレ|虹の向こうには何があったのか

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『ジュディ 虹の彼方に』
 Judy

ジュディ・ガーランドのドロシー時代からの華やかな舞台裏にあった過酷な半生を、レネーが演じきる。抑圧と搾取の子役時代。子供の親権争いと、結婚と離婚の繰り返し。だが、ステージでは輝きを取り戻す。

公開:2019 年  時間:118分 
製作国:アメリカ
  

スタッフ 
監督:ルパート・グールド
原作:ピーター・キルター

 『エンド・オブ・ザ・レインボー』

キャスト
ジュディ・ガーランド:  

        レネー・ゼルウィガー
        ダーシー・ショウ
ミッキー・ディーンズ:  

       フィン・ウィットロック
シドニー・ラフト:    

       ルーファス・シーウェル
バーナード・デルフォント:

         マイケル・ガンボン
ロザリン・ワイルダー:  

        ジェシー・バックリー

勝手に評点:3.0(一見の価値はあり)

(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

あらすじ

ジュディ・ガーランドは『オズの魔法使』でハリウッドのスターダムへと駆け上がったが、次第に薬物依存や神経症に苦しめられるようになる。度重なる遅刻や無断欠勤によって映画出演のオファーが途絶え、巡業ショーで生計を立てる日々を送っていた。

1968年、住む家もなく借金も膨らむばかりの彼女は、幼い娘や息子との幸せな生活のため、起死回生をかけてロンドン公演へと旅立つ。

当初、精神的にボロボロになっていたジュディは舞台に立つことすら危ぶまれていたが、必死の思いで何とか一日目をやり通すことができた。舞台に上がった瞬間、ジュディは往時の輝きを取り戻して圧巻のパフォーマンスを披露したのである。

レビュー(まずはネタバレなし)

おさげ髪の少女ドロシーの伝記ドラマ

『オズの魔法使』で子役時代から名を馳せたハリウッド黄金期のミュージカル女優ジュディ・ガーランドの、1968年冬に行ったロンドン公演の日々を描いた伝記ドラマ。

歌唱シーンをはじめ、彼女になりきっているレネー・ゼルウィガーが、奔放さとカリスマ性を演じきり、アカデミー賞をはじめ、ゴールデングローブ賞など数多くの映画賞で主演女優賞を獲得した。

ジュディ・ガーランド。当然名前は存じ上げているが、あいにく私は、そんなに作品を観ている訳ではなく、彼女の栄光の時代をあまりよく知らない。

本作にも娘として登場するライザ・ミネリの母親として認識している方が、むしろ大きいくらいだ。<虹の彼方に>はスタンダードナンバーとなったので当然知っているけれど。

(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

これがもう少し上の世代、或いはアメリカであれば、そのネームバリューは段違いに大きいのだろう。

今は知らないが、かつては『オズの魔法使』は、毎年イースターの時期には全米でテレビ放映されていたはずだ。彼女の演じた少女ドロシーに、子供の頃から慣れ親しんだ層は全米に相当数いるに違いない。

だから、そんな大スターであるジュディに、既にスターだった少女の頃から晩年に至るまで、こんな過酷な人生があったのかと、驚かされる。

(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

少女時代の奴隷契約の日々

少女(ダーシー・ショウ)の頃には両親の庇護も期待できず、所属先であるMGMの社長ルイス・メイヤーが、彼女の才能を発掘してくれたものの、奴隷のような契約で縛り上げ、体重制限は厳しく、不眠症に悩まされ、ろくに自由行動もない青春時代が続く。

反抗心から、撮影の合間にプールに飛び込むジュディが痛ましい。セクハラ的なシーンには至らなかったので#MeTooには該当しないのかもしれないが、パワハラは横行している。

大人になってからの苦労

そして、大人になったジュディ(レネー・ゼルウィガー)は何度も結婚離婚を繰り返し、育てた子供たちの親権を得て一緒に暮らすために、ロンドン公演に踏み出すのである。

ダーシー・ショウは少女の頃のジュディに似ているように思うが、レネー・ゼルウィガーが本人に似ているのかは、正直よく分からない。

勿論、熱演ではあるし、数々の受賞に値するものと思う。ジュディ・ガーランドが獲得できなかったオスカー像を、時代が変わりレネーが受賞するというのも、いい話かもしれない。

レネー・ゼルウィガー自身も、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズから『シカゴ』『コールドマウンテン』等と、輝かしい実績を残しながらも、何年かハリウッドを離れ半ば引退状態にあったりと、数奇で奔放な女優人生を歩んでいるように見える。そういう意味でも、適役だった。

ただ、ステージでのレネーの歌は、ジュディの息継ぎから歌詞の発声法まで研究して取り組んだらしいが、聴いていて、さほど引きこまれなかった。発声にもう一つ力が足らなかったように思ったのは私だけか。本人の歌い方が、そうなのだろうか。

他のキャスティングについて

ジュディの最後の恋人で若い夫となるミッキー・ディーンズ役のフィン・ウィットロックは、『ラ・ラ・ランド』エマ・ストーンの恋人を演じていた俳優だ。『ビール・ストリートの恋人たち』でちょっと頼りない正義漢の弁護士を演じていたのが記憶に新しい。

そしてロンドン公演において、ジュディの良き理解者であった興行サイドの女性ロザリン・ワイルダーを演じたジェシー・バックリーは、カウフマンの異色作『もう終わりにしよう。』の主演女優。これは顔をみてすぐにピンときた。

(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

レビュー(若干ネタバレ)

虹の彼方へ広がっていったもの

追い詰められてロンドン公演にのりだすジュディが、ステージでは舞台度胸で長年のファン層を魅了する話である。といってもそんなに単純ではない。

魅了もするが罵倒もするので、観客とも興行主(マイケル・ガンボン)ともひと悶着あるし、子供の親権を巡っての、元夫(ルーファス・シーウェル)との諍いも続く。

(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

不勉強だったが、今回知ったのは、ジュディは60年代のアメリカで同性愛者に対して理解を示していた数少ない著名人の一人だった、ということだ。

ジュディを出待ちする熱烈なファンの男性二人と彼女が深夜に食事をしようとするが店がなく、自宅に招くシーンがある。言われれば確かに二人はゲイと分かる仕草や物腰なのだが、これ見よがしな肉食系ではない。

一人はかつて同性愛で逮捕され、前回の彼女のショーに行けなかったのだとか。抑圧された思春期を過ごした反動で奔放に生きるジュディには、同性愛に対する偏見がないのだろう。

深夜の部屋で、男性の生ピアノで、即興でジュディが歌うシーンは、私にはラストのステージより沁みた。

虹の色がLGBTのシンボルカラーだとは無論知っていたが、その原典はジュディの<Over The Rainbow>だったとは。ジュディがこの二人のファンをAlly(仲間)と呼んでいるのも印象的だった。

そして最後のステージへ

トラブル続きで興行主から追い出されたジュディが、代役ミュージシャンのロニー・ドネガンに懇願して最後に一曲だけ歌わせてもらうシーン。

「みんな、あなたのショーのチケットを買った人たちだから」

と気持ちよく譲ってくれるロニーがいい。

それなのに、勝手に2曲目も歌って、しかもそれが<虹の彼方に>だなんて、盛り上げすぎだよ、ジュディ。この後、ロニーはステージをどう引き継げばいいのさ。

「心はどれだけ愛したかではなく、どれだけ愛されたかが大切」

「オズの魔法使」より

それから半年後に47歳の若さで急逝してしまったジュディに、この言葉が贈られている。

以上、お読みいただきありがとうございました。懐かしい『オズの魔法使い』もぜひ。