『凱里ブルース』
路邊野餐 Kaili Blues
中国映画の進化を体感しよう。新進のビー・ガン監督デビュー作。美しく不思議に流れる時間が心地よい。甥を引き取りに向かった旅の途中で、男は不思議な時空の村に迷い込む。40分長回しを気づかせない自然さ。
公開:2020 年 時間:110分
製作国:中国
スタッフ 監督: ビー・ガン キャスト チェン・シン: チェン・ヨンゾン ウェイ・ウェイ: ルオ・フェイヤン ユ・シシュ ヤン・ヤン: グオ・ユエ
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
凱里にある霧に包まれた小さな診療所に勤務し、幽霊のように毎日を送るチェン。刑期を終えて、凱里に帰った時には妻はすでにこの世になく、かわいがっていた甥も弟の策略で鎮遠に連れ去られてしまった。
チェンは甥と同じ診療所で働く年老いた女医のかつての恋人を捜す旅に出る。その途上で立ち寄った蕩麦(ダンマイ)という名の村は、過去の記憶、現実、そして夢が混在する不思議な村だった。
レビュー(ネタバレなし)
40分長回しワンカットの必然
中国の新世代映画監督を代表するビー・ガンの2015年製作の初長編監督作品。
新作の『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』で注目を浴びた3Dワンシークエンスショットの原点といえる40分の長回しワンカットが登場する。
だが、それはけして奇をてらったものではなく、本作の作品意図に沿った、とても自然で、有効な手法だった。
デビュー作ゆえ、出演者の大半が監督の親戚、友人という低予算の作品。だがその映像センスと優れた演出で、スイス・ロカルノ国際映画祭の新進監督賞と特別賞、フランス・ナント三大陸映画祭グランプリ、台湾の金馬奨で最優秀新人監督賞など多くの受賞を果たしたのも肯ける。
情報不足で投げ出される浮遊感が心地よい
主人公である医者のチェンは、老女医とともに凱里の小さな診療所に勤めているが、弟である父親に冷遇されている甥っ子のウェイ・ウェイを気にかけている。
どうもチェンには服役していた過去があり、そのせいで弟とも確執があるようだ。やがて、ウェイ・ウェイが売り飛ばされたと聞き、チェンは弟を問い詰める…。
◇
あらすじの欄で書いたように物語はあるものの、それが明確に順序だてて語られている訳ではない。極めて抽象的にぼかしていたり、中盤以降の回顧シーンで語られたりと、後になってだんだん分かってくるものも多い。
そういう中途半端な理解で、少し宙づりになった状態でいる浮揚感が、後段に出てくる時空の歪んだ不思議な村、ダンマイで過ごす時間と、融合していくのである。
この感覚を心地よいと思える人には、本作はとても相性がよいと思うが、論理的な解釈を期待してしまう人には、単なる長ったらしい作品に見えてしまうかもしれない。
長回しは中国の風土に合う
後半の極端な長回しを別にしても、わりと長回しのカットが多く、さらには詩人でもある監督のこだわりか、詩の朗読などが挿入されると、とてもゆったりとした時間の流れを感じる。
やはり、中国の風景に、長回しは似合う。『1917 命をかけた伝令』の戦闘シーン長回しとは成り立ちも効用も違うのだ。
バイクで走る主人公の目線で、曲がりくねった中国の山道を一緒に走っていくのも気持ちよい。
舞台となる凱里も旅先である鎮遠も、中国貴州省東部の自治州に位置し、野人伝説なんかも実在するものらしい。ジャ・ジャンク―の『帰れない二人』でもそうだったが、中国については、こういう映画をみるたびに、その広さと多様性を勉強させられる。
時の流れを象徴する、丸いものと回るもの
そしてそのシーンの中に、多様な小道具が印象的に配置され、単独では意味がなくても、何らかのメッセージを感じ取る。
象徴的なのは、ビリヤード台の球やミラーボール、ボタンや時計といった<丸いもの>。そして、風車やカセットテープ、タイヤ、時計(再び登場)といった<回るもの>。
これらは、時間や場所が円環のようにつながっていることを示しているように思える。
◇
主人公が迷い込んだような蕩麦という山間の町では過去と未来が交錯するし、渡し船で対岸に行き、つり橋を戻ったりとグルグル回る構造が見受けられる(川の向こうが冥界かと思ったら、そういう訳ではないらしい)。
これらの小道具やロケーションを活用しながら、一つ一つのショットにも芸術性を感じさせるものが随所にみられる。
例えばバイクのミラーに映り込む人物の顔だったり、徘徊する犬や燃える紙銭、ヤカンの湯気、一人しかいない列車の車内の寂寥感、洞穴のような住居、クルマのウィンドウの間欠ワイパーと映り込む時計。
ジャ・ジャンクーの作品のように、主人公の演技の後ろで何かが起こっているような演出はないが、画面の隅々まで目を行き届かせておかないと、何かを見落としてしまいそうだ。それはラストシーンにも言えることだが。
レビュー(ネタバレあり)
架空の村、蕩麦(ダンマイ)の不思議
ここからはダンマイの村のシーンについて語りたい。
売り飛ばされたかのように遠くに行ってしまったウェイ・ウェイを連れ戻しに鎮遠に向かったチェン。老女医から昔の恋人に渡すよう授かった、シャツとカセットもある。
一人寂しく列車にいた時に、チェンは居眠りし刑務所を出た頃を回想し、時間が交錯し始めている。なぜか彼は途中下車し、寂しいトンネルをくぐってダンマイの村へと向かう。
母の夢に出てくる葦笙を吹くミャオ族を探しているのだが、その過程でバイクタクシーの青年と出会う。
◇
ここからの40分長回しシーンはなかなか不思議な体験だ。といっても、実は観ている時には、あまりそのことに関心は払わなかった。
バイクで山道を走るシェンと青年を追うカメラが突如離れて(バイクから降り)、抜け道のような通路を駆け下りて、道路を迂回してくる二人のバイクにまた出会う(つまりショートカット)。
この不自然なカメラワークで長回しをしていたのだと気づく。またその時点から村は不思議な異界に入ってしまったように思う。何せ、腕に時計の落書きをしているこの青年は、甥っ子ウェイ・ウェイが成長した姿なのだから。
チェンがこの村で行ったことは
この不思議な村で、チェンがしたことは奇行にみえる。
入り込んできた動機もイマイチ不明だが、突如仕立屋にボタン付けを依頼するのも不自然だし、閉店間際の美容室で洗髪させたり、老女医から昔の恋人に渡すよう授かったシャツを自分で着てしまったり、音痴と自任していたのに歌をステージで歌いだしたり。
チンピラ時代からの兄貴分の子供が殺された復讐に乗り込んだ頃のチェンは高橋悦治にみえたが、奇行に走るダンマイの彼は大倉孝二のようであった。
◇
成長したウェイ・ウェイがいるのであれば、美容室の女性は、亡くなった妻だったのかもしれない。
だから仕立屋で彼女を見かけると、慌ててシャツを着て、美容院に押しかけ、自分の過去を友人の話として語り始めた。
海が見たいと言っていた妻同様に、その女も内陸の育ち。ミラーボールのある実家で二人が過ごす回想シーンがあるが、その妻の顔は美容室の女と同じだった。
シャツとカセット、懐中電灯を握らせるシーンも考えると、シェンと美容室の女との関係の中には、老女医と恋人との関係もオーバーラップしているのかもしれない。
そして異界から去るチェン
ダンマイでの不思議な時間は、村を出る際にも再度カメラのショートカットがあり、そこで異界から離れることができる。
ここでチェンも我々も、旅の本来目的を思い出したのではないか。ウェイ・ウェイ連れ戻しと、老女医の恋人へのシャツ渡し。
結局、ウェイ・ウェイは売り飛ばされたのではなく、チェンの兄貴分だった裏稼業の男が引き取ったのだと分かる。チェンが裏稼業の足を洗って医者になった経緯にも無理があるが、その兄貴分が子供を失って時計修理屋になっているのも面白い。
◇
老女医の息子も、野人に襲われて死んでしまったのだと思われるが、成長したウェイ・ウェイが、彼女の恋人と似ているという話まであるようだ。ウェイ・ウェイは、みんなの心の支えなのである。
ラストのさりげなさを見習うべき
深読みすればいくらでもできる作品らしい。残念ながら、今回振り返りには至らなかったが、劇中に朗読された詩の内容も、読み込めば新解釈につながりそうな気がする。
そして、チェンは列車で凱里に戻る。
「汽車に時計の絵を描くんだ。そうして時を戻せたら、ヤンヤンが凱里から帰ってくるから」
ウェイ・ウェイ青年はそう言っていた。ヤンヤンは仕立て屋で働いているが、凱里の町に行き観光ガイドの職につこうとしているのだ。
◇
そしてすれ違う列車の車体からおぼろげに浮かび上がる、逆行する時計の絵。錯覚かと見間違えるようなさりげなさである。
なんて慎ましく、なんて美しいラストなのだろう。陰影のある絵作りはどこか実相寺昭雄的に見える。この時間の巻き戻しは、青年が描いてくれたものなのか、これによりチェンは元の時間に戻れるのだろうか。
このシーンを、もし邦画だったらもっとド派手に見せて、下手したら字幕も付けて、主人公も目覚めさせてしまうに違いない。このさりげなさは、ビー・ガンに学ぶべきだ。
いや、待てよ。監督の新作『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』と本作は類似点が多い。同作では、主人公は映画館で3Dメガネをかけて、おそらくは眠ってしまい幻想の世界に迷い込むのだ。
ならば、本作は、ダンマイに向かう列車で居眠りしていたチェンの夢物語というのが、真相なのか? うーむ、悩ましい。ラストの列車は凱里行きではなく、凱里発かも。