『マザーレス・ブルックリン』
Motherless Brooklyn
エドワード・ノートンのフィルム・ノワール。
公開:2020年 時間:144分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: エドワード・ノートン 原作: ジョナサン・レセム 『マザーレス・ブルックリン』 キャスト ライオネル・エスログ: エドワード・ノートン フランク・ミナ: ブルース・ウィリス ローラ・ローズ: ググ・バサ=ロー モーゼス・ランドルフ: アレック・ボールドウィン ポール・ランドルフ:ウィレム・デフォー トニー・ヴェルモンテ: ボビー・カナヴェイル
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 殺されたボスの事件調査に乗り出す、抜群の記憶力と思ったことがすぐ口に出てしまう珍探偵。エドワード・ノートン、企画から20年の長い構想。トム・ヨークの曲でブルックリンの渋みが増す。
あらすじ
1957年のニューヨーク、障害を抱えながらも驚異的な記憶力を持つ私立探偵のライオネル。
唯一の友人でもあるボスのフランクが殺害され、事件の真相を探るべく、ハーレムのジャズクラブ、ブルックリンのスラム街と、わずかな手がかりを頼りに、天性の勘と抜群の行動力で、大都会の閉ざされた闇に迫っていく。
やがて、腐敗した街で、最も危険な黒幕にたどり着くが…。
レビュー(まずはネタバレなし)
愛すべき変わり者探偵
エドワード・ノートンが監督・脚本・主演の才人ぶりを発揮したノワール・サスペンス。久しぶりに彼の演技を堪能できたような気がする。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』以来か。
◇
エドワード・ノートンの演じる主人公の探偵ライオネルには、二つの大きな特徴があり、まずは驚異的な記憶力。聞いた言葉は一字一句忘れることなく引き出せるのだ。
そしてもうひとつは、チック症の影響で思ったことをすぐに口に出してしまうこと。それも韻を踏んだ言葉遊びみたいな短いフレーズを、ビートを刻むようにビシッと言い放つ、時と場所をわきまえずに。
正確にはトゥレット症候群というようだが、劇中ではチックとしか説明されなかったように思う。
◇
この症状により、会話の流れを無視したり、ヒロインのローラ(ググ・バサ=ロー)との甘い雰囲気をぶち壊して奇声を発する。
そのため、せっかく50年代のニューヨークの雰囲気にどっぷり浸れるハードボイルドなのに、腰を据えて落ち着いて観ているわけにもいかないのだ。まあ、おかげで長い上映時間を眠くならずに観られる効用もあったが。
探偵事務所のボスであり、ライオネルの良き理解者でもあったフランク(ブルース・ウィリス)が、つかんだネタで強請ろうとした挙句、何者かに殺されてしまう冒頭部分。
この事件の謎を解明していく物語なので当然の成り行きだが、せっかくのブルース・ウィリスとの共演が、あまりにあっさり終わってしまったのは残念。さほど回想シーンもないし。
もっとも、ニューヨークを裏で牛耳るモーゼス(アレック・ボールドウィン)や、謎の人物ポール(ウィレム・デフォー)はさすがの存在感だったので、映画的には大満足のキャスティングだ。
時代設定の変更は大正解
映画化にあたり原作の時代設定を90年代からわざわざ50年代に変更している。
その是非は原作を読まないと何ともいえない。そこで、映画化まで時間がかかりすぎて、もはや入手困難だったが読んでみた。20年前の本の解説に、エドワード・ノートンが映画化予定と書いてあるのが切ない。
結論からいうと、50年代にしたのは大成功で、ハードボイルドのテイストは濃厚になった。とはいえ、フィリップ・マーロウやマイク・ハマーなんかとは、だいぶ違うキャラだが。
私がライオネルを見て思い出したのは、強迫性障害を患っている設定だった『名探偵モンク』(TVシリーズ)。でも、ライオネルは暴力を好まないのかと思い込んでいたら、結構荒っぽいこともするのだ。
◇
50年代設定の効用をもう一つ。まさにモダンジャズが盛り上がりをみせる時代であり、ジャズクラブの熱気をうまく映画にも取り入れられたことだろうか。トランぺッターの使い方もニクい。
でも、映画の音楽はトム・ヨークがメイン。これは、良かったなあ。ちょっと聴いただけで、あれっ、レディオヘッドか?となる。サントラがほしい。
エドワード・ノートンが『インクレディブル・ハルク』一本でマーベル作品から降りたくなった理由も分かるような気がする。こういうこだわりの長尺ものが撮りたかったんだろうな。
レビュー(ここからネタバレ)
原作との比較あれこれ
せっかく原作も読んだので、少しばかり比較してみたい。時代背景を50年代に遡らせただけでなく、実は映画と原作では扱っている事件がだいぶ違う。
トゥレット症のライオネルが主役で、フランクがやられるあたりまでは同じだが、原作にはジャズクラブは勿論、モーゼスとポールの兄弟もローラも登場しない。
かわりにフランクの兄貴分と別の悪玉が出てくる全く別の話だ。原作の本質を活かしてここまで映画的にアレンジしたのは見事だと思う。
◇
さて、映画の話。フランクが死ぬ間際に残した言葉「フォルモサ」を頼りに、ライオネルは以前フランクがチェット・ベイカーを聴きに行ったというフォルモサという店を訪ねる。
調査は空振りだったが、持っていたマッチをバーテンダーに「そこはいい店だ」と言われ、やっと事件と関係のあったライブハウスにたどり着く。
結局、フォルモサとはFor Moseの聞き違いで、黒幕モーゼスのことをさしていた。
つまり、フォルモサという店は全く見当違いだったのだが、偶然にも調査が前進したので、話が分かりにくくなった。ちなみに、原作にはフォルモサなどひと言も出てこない。
事件の顛末や、いかに
かっこいい雰囲気にだまされてしまうが、結局この事件はどのように解明されただろう。
権力者の魅力に取りつかれたモーゼスは、過去に欲望のままにローラの母親をレイプし、カネと権力でうまく取り繕ったつもりだが、ローラというファーザーレスな娘が産まれる。
◇
そのネタをつかんだ一人がフランクだ。
ビリー・ローズ (ロバート・ウィズダム)は伯父としてローラを愛していたはずだが、彼女の父親はポール(ウィレム・デフォー)だと信じ込まされていたのだろうか。
ローラの出生証明書のサインをポールが偽装したというセリフは、モーゼス(アレック・ボールドウィン)ではなくビリーのサインを偽装という解釈でよいか。
◇
事実を知ったビリーは、カネか復讐か分からないが、モーゼスへの強請りに一枚噛んだのだ。
ポールはこのネタの提供者だろう。自分の都市計画実現のために、モーゼスに脅かしをかけたということか。
ともあれ、三人はこのネタをモーゼスにぶつけようとし、二人は消されたわけだ。
低所得者の黒人層を標的にした住宅開発計画を強引に推し進めるモーゼスの政治力と権力主義は、アレック・ボールドウィンが演じていることもあり、トランプ大統領とどうしても重なってしまう。
監督がそこをねらったかは分からないが、エドワード・ノートンの祖父ジェームズ・ラウスは低所得者層の住宅建設にも尽力した米国の都市計画者として知られた人物であり、本作にも少なからず影響を与えているのだろう。
フランク、フランコ、フランキー!
さて、一番厄介な問題は、フランクはどんな奴だったのかという点だ。いいネタをつかんで権力者からカネを引っ張ろうとした、ただの小悪党なのか。
フランクはいい歳なのに志願して従軍した。戦う目的が、守るべきものが分かっていたのだ。それは、仲間のいる探偵事務所なのか、はたまたローラなのか。
彼がライオネルに別荘を譲渡したのは、もし自分が死んでも、代わりにライオネルがローラを匿ってくれるだろうと読んでいたからか。
結局、ライオネルはフランクの教え通りに、「相手を尊重しつつも、痕跡を残さず復讐する」方法を実践した。
「ローラに事実を知らせ傷つけることだけはしたくない」とモーに訴え、モーの腹心の部下の不正ネタを耳打ちして恩を着せる。
だが、ローラには既に真実を伝えてあるし、翌朝には粋な方法で不正事実を懇意の記者に伝える。これが、フランクに教わったやり方だ。
◇
「ブルックリンは広い。でも、もっと広いものがある」
原作にこのセリフはないのだが、小説の中でフランクは、若い頃ニューヨークからメイン州に逃げ延び、そこで恋人に巡り合っている。
彼は小悪党だったが、母なきブルックリンっ子たちには愛情を抱いていたのだ。
さらば、フランク、フランコ、フランキー!