『あん』
客のこないどら焼き屋に突如雇って欲しいと現れる指の曲がった老婆。冴えない風貌とは裏腹に、そのお手製のあんは絶品だった。店は繁盛し始めるが、あることが原因で、客足は途絶える。
公開:2015 年 時間:113分
製作国:日本
スタッフ 監督: 河瀨直美 原作: ドリアン助川 『あん』 キャスト 吉井徳江: 樹木希林 千太郎: 永瀬正敏 ワカナ: 内田伽羅 佳子: 市原悦子 オーナー: 浅田美代子 ワカナの母: 水野美紀 陽平: 仲野太賀
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
縁あってどらやき屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。
ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやきの粒あん作りを任せることに。
徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
オストアンデル
河瀬直美監督が樹木希林を主演に迎え、ドリアン助川による同名小説を映画化。英国の王女とも赤毛の女の子と関係なく、どらやき屋の話だから、このタイトル。単純明快。
河瀬直美監督は2011年公開の『朱花の月』で、ドリアン助川を俳優として起用している。明川哲也名義だったから気づかなかった。
その彼が『あん』を執筆した際には、『朱花の月』にも出演していた樹木希林をイメージして徳江というキャラクターを書いたという。
◇
そう思えば、監督・原作者・主演女優は理想的な組み合わせだし、もう一人の主人公である、どら春の雇われ店長に永瀬正敏を持ってきたのも、うまい配役だ。
樹木希林の存在感が全面に出る映画ではあるが、永瀬の引きの演技が、物語同様、あんの甘さに対する適度な塩味のように効いている。
お菓子の国の魔女かと思った
冒頭、満開の桜の下に、閑古鳥が鳴いている冴えないどら焼き屋で、つまらなそうに皮を焼いている店長の千太郎(永瀬正敏)。そこに、求人票の年齢不問は本当なのかと、唐突に現れる76歳の徳江(樹木希林)。
元気そうだが、指が曲がっていて見苦しいし、高齢すぎるので謝絶する千太郎だが、50年作ってきたのよという徳江の置いていった自作のあんを食べて驚く。味も香りも絶品だったのだ。
店長は缶入りの業務用あんの使用をやめ、徳江からあん作りの指南を受けることに。夜明け前から仕込みが始まり、体力仕事だったが、努力は味の違いに明確に現れた。やがて、どら春は行列のできる店となる。
◇
手間暇をかけて徳江が小豆の声を聴き、じっくり急がず工程を重ねることで、おいしそうなあんができあがっていく流れが美しい。器用に真ん丸の皮をこがさずに焼く、千太郎の手さばきもなかなか堂に入っている。
ふらっと現れた謎の料理人のおかげで、傾いていた店が大繁盛するようになる。伊丹十三の『タンポポ』からピクサーの『レミーのおいしいレストラン』まで、この手の映画は珍しくない。
本作は、食べ物屋というよりは和菓子屋だが、まあ、同系列だろうと思って観ていると、途中から予想を大きく外れていく。そのあたりは、ネタバレ欄で後述したい。
キャスティングについて
本作の魅力は何といっても、樹木希林の名演に尽きる。名バイプレイヤーであり、ちょい役でも圧倒的な印象を残してきた彼女だが、本作は珍しく堂々の主演である。
若い頃から何十年も老婆役をやってきた彼女が、この役を自然に演じるのはたやすいのかもしれないが、台詞の一つ一つが、本当に生きている。
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そして、彼女の全身全霊を傾けた演技をしっかりと受け止め、抑制を効かせた永瀬正敏の佇まいもよい。けしてまじめな和菓子職人でもなく、むしろ甘いのは苦手。無骨で寡黙、ちょっと過去にワケありなところも、永瀬に似合う。
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更に、終始この二人の芝居ではさすがに地味すぎるので、どら春の常連の中学生ワカナに内田伽羅が出演し、若さをアピール。樹木希林の実孫ということは、本木雅弘がお父さんか。どことなく、目元の涼やかさが似ている。本作のオーディション参加も樹木希林の薦めだとか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
隔離された人生
さて、公式サイトでも何となく触れているし、ネタバレとは言わないものかもしれないが、予備知識なしで観た当時、私が驚いたことに触れたい。
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指の曲がった老婆という情報しか与えられていなかった徳江が、実はかつてハンセン病患者だったのである。それは、店のオーナー(浅田美代子)から、いきなり千太郎に突き付けられる。
「店長が無断で雇っている高齢の女の人は、知り合いがいうには、らい病じゃないかって。今はハンセン病っていうのよね」
そこから、畳み掛けるように、「どこに住んでるのよ、その人」。電話も持たない徳江の住所は、かつて隔離施設だった場所だと分かる。
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店長は必死に抵抗するが、いくら完治しているとはいえ、そんな人を食べ物屋の店内には置けない。解雇を命じられてしまう。
だが、ここまで繁盛したのも徳江のおかげだ。店長が思い悩むうちに、いつしか客足は途絶えてしまい、自発的に彼女は職を辞する。
◇
この映画が、ハンセン病を扱った映画だとは思わなかった。徳江の病歴にオーナーが言及するまでに、原作ではもう少しステップを踏む。
以前勝手にバイトを雇ってオーナーに怒られた話があり、また、ワカナが「その指どうしたんですか」と徳江に尋ねるシーンも、原作では、病名が明かされるより前に登場する。なので、多少は心の準備ができた。
だが、映画では、いきなりオーナーが斬り込んでくるので、病名のインパクトが大きい。
浅田美代子は河瀬直美監督の『朝が来る』では人権擁護派の代表であり、樹木希林とはTVドラマ『時間ですよ』からの長いつきあいだと思うが、本作では憎まれ役に徹する。
世間は怖いが、一番ひどいのは
らい病という病気の存在を、私は子供の頃に手塚治虫の『ブラックジャック』で知った。それも、病名を診断した時に「レプラだ!」とらい病の上にルビを打ってブラックジャックが告げる場面は恐怖感を煽る描き方だった。
その台詞は、市販本では「ハンセン病だ!」に書き換わっているが、当時のコミックからも、世間のこの病気への誤解は窺い知れる。
◇
伝染する病気との誤まった認識から、一度罹患すれば完全に隔離され、家族にも会えず、名前も変えられ、子供を生む権利さえ奪われる。
悪名高い「らい予防法」が廃止されたのは、つい1996年のことだ。患者の方々が味わった苦しみはいかばかりかと思う。
一方で、どら春を出るときにアルコール消毒をするオーナーや、風評被害で来店をためらう人々を、自分は責められるだろうか。口先では道徳的なことを言えても、行動が伴うか、差別をなくすための人権啓発のビデオを観ているように、自問自答する。
「世間は怖い。だが、一番ひどいのは俺なんだ」千太郎のつぶやきが胸に刺さる。
隔離施設のいまと昔
本作の後半で、千太郎はワカナと、徳江の暮らす施設へ勇気をだして訪れる。誰も姿が見えない広大な住宅地は、東村山市に実在する多磨全生園がモデルになっているようだ。
鼻がもげたり、指が落ちたりしている人ばかりだったらどうしようと、少し怖がる二人は、高齢とはいえ元気に暮らす住民たちの姿をみて安堵する。そして、徳江の親友で洋菓子作りがうまい佳子(市原悦子)とも知り合いになる。
◇
徳江はワカナと同じくらいの年齢で発病し施設に入る。母に仕立ててもらった大切なブラウスは廃棄され、見送りしてくれた兄には、もう一生会えないと告げられ、国語の先生になる夢もあきらめた。
つらいことは多かったが、せめてもの救いは、彼女の人生はけして不幸ではなかったことだ。
◇
施設内で結婚相手にも出会い、佳子という親友と菓子部を作り、そして病気が治り、法も撤廃されてからは、外にも出られた。短期間ではあったがどら春で仕事に就くこともでき、またワカナたち女子中学生とふれあうことで、教師の気分も味わえた。
人の役に立つことだけが人生の意味か
社会に出られない徳江たちは、人の役に立つことができない。それは、生きる意味がないということなのか。
この問いかけにつぶれてしまうことなく、徳江は自分なりの答えを見つける。桜が咲くのも、月が光るのも、お前に見てほしいからなんだよ。そう声が聞こえてくるのだと、徳江は語る。
だから生きていられる。何かになれなくても、生きる意味はあるのだと。それは、原作者のドリアン助川が考え続けた問いかけでもある。
私は20年以上も前に彼がパーソナリティーとして若者の悩みを聞く深夜放送を愛聴していた。著作を読んだのは初めてだったが、さすが詩人を名乗っているだけあり、心に訴える文章を書く人だと思った。
◇
千太郎とワカナが二度目に施設を訪れると、数日前に徳江は亡くなったと佳子が教えてくれる。賑やかだった徳江の急逝は悲しいが、過度にウェットにならない見せ方はこの作品に合っている。
原作の手紙に代えて、映画では録音テープを残す。字がうまく書けない徳江に長い手紙は不自然だし、どうせ映画ならナレーションで処理するのだから、はじめから録音というのは妙案だ。
徳江は、散歩のときに初めて店先でみかけた千太郎が、かつて絶望の淵にあった自分と同じ目をしていたので声をかけたという。
隔離もされていないのに、希望のない彼を放っておけなかったのだ。それは鳥かごからカナリアを解放してあげたのと、似た思いなのかもしれない。
◇
虎は死して皮を残すが、徳江は何を残す。彼女がこの世に生きた証である<あん>を、自分なりに継承しようと千太郎は心に誓う。
施設にお墓代わりに植えられた桜の木の上に見える、どら焼きのような満月を見上げ原作は終わるが、映画のラストは、満開の桜の下、公園の露店で威勢よくどら焼きを売る千太郎だ。
河瀨直美監督は、明るく希望の持てるエンディングが好きなのだろうか。『朝が来る』でもそうだったなあ。