『ピクニックatハンギング・ロック』今更レビュー|ボッティチェリの天使だわ

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『ピクニックatハンギング・ロック』
 Picnic at Hanging Rock

ピーター・ウィアー監督の出世作、公開から50年経っても色褪せぬ岩山の天使たち

公開:1975年(日本公開1986年) 
時間:116分  製作国:オーストラリア

スタッフ 
監督:        ピーター・ウィアー
原作:        ジョーン・リンジー

 『ピクニック・アット・ハンギングロック』
キャスト
ミランダ:  アン・ルイーズ・ランバート
アップルヤード校長:レイチェル・ロバーツ
セイラ:     マーガレット・ネルソン
ミス・マクロウ:  ヴィヴィアン・グレイ
マリオン:      ジェーン・ヴァリス
アーマ:        カレン・ロブソン
イディス:   クリスティーン・シュラー
マイケル:       ドミニク・ガード
アルバート:     ジョン・ジャラット
マドモアゼル・ポワテール:ヘレン・モース

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

あらすじ

1900年2月14日のバレンタインデー。寄宿制女子学校アップルヤード・カレッジの生徒が、二人の教師とともに近くのハンギング・ロックと呼ばれる岩山へピクニックに出かける。

規律正しい生活に縛られている生徒たちにとって、ピクニックはつかの間の息抜きであり、皆が楽しみにしていた。

岩山では磁気の影響のためなのか、教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起きる。

マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの四人は岩場の磁気を計測しようと岩山の頂上へと登るが、途中で怖くなったイディスは引き返す。

その後、岩山に登った三人とマクロウ先生がこつ然と姿を消してしまう。

今更レビュー(ネタバレあり)

4Kレストア版の公開情報などまったく知らずに、突然映画館で本作の劇場予告に出くわした時には結構驚いた。

ピーター・ウィアー監督には失礼ながら、この映画がリバイバル上映されるほど、固定人気のある作品だとは思っていなかったのだ。

でも、ハンギング・ロックの岩山に囲まれて美しい乙女たちがピクニックを楽しんでいる光景に久しぶりに再会すると、なるほど独創的な雰囲気を持った作品だったことを再認識させられた。

今はなき六本木WAVEの地下にあったシネヴィヴァンで本作を観たのはもう40年前になるのか。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

オーストラリア映画と聞くと、土埃と油の匂いのするメル・ギブソンの出世作しか思い浮かばなかった当時学生だった私は、本作のミランダ(アン・ルイーズ・ランバート)の正統派の美貌と、作品のもつ格調の高さと岩山の大自然の不思議な組み合わせに、すっかり圧倒されてしまう。

特に、全編に随所で奏でられるパンフルート(で合ってる?)の叙情的な調べは、本作のイメージを決定づける。パンフルートの似合う映画としては『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』と双璧だと、当時の手書きのレビュー記録に残っている。

日本では40年ぶりの公開だが、そもそも本作の誕生は更に10年遡る。ピーター・ウィアー監督の本国での初ヒット作なのだ。『刑事ジョン・ブック 目撃者』のヒットで、この映画も日本で公開される運びになったのだろう。

1900年2月14日のバレンタインデー。寄宿制のお嬢様学校アップルヤードの女生徒たちが、教師の引率で岩山にピクニックに出かける。

アップルヤード校長(レイチェル・ロバーツ)の厳しい規律の指導から、つかのま解放された女生徒たちが、この岩山で自由な一日を過ごす。そこで羽目を外して悪さをするわけではない。自由に寝っ転がったり、岩山を歩き回ったり。

だが、四人で行動していたミランダ、マリオン、アーマ、イディスのうち、文句ばかりの太めのイディス以外の三人と、ミス・マクロウ(ヴィヴィアン・グレイ)が、忽然と岩山で姿を消してしまう。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

残った生徒たちは引率の教師とともに夜になって学校に戻るが、その後山狩りをしても、彼女たちの姿は見つからない。この失踪事件が実際に起きたものなのかは、原作出版当時から議論になっていたようだ。

このミステリアスな失踪騒動の行方が、この作品で最も気になるところなのだが、真相は分かり易く解明されることはなく、またピーター・ウィアー監督にもそのつもりはない。ミステリーではないので、解釈は観る者の好きにやってくれという突き放された感じ。

『刑事ジョン・ブック 目撃者』ハリソン・フォードの活躍するサスペンス・アクションかと思ったら、実はラブストーリーだったというように、はぐらかしがうまいのだ。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

100万年の時をかけて自然が生み出したハンギング・ロック。磁界の歪みなのか、岩山に入ると時計が12時で止まる。

雄々しく屹立する岩山は男性の象徴なのか、それに惹きつけられるかのように、女生徒たちは上へ上へと岩を昇っていき、姿を消す。

姿を消した生徒たちはブーツやストッキングを脱ぎ裸足になり、女教師マクロウはコルセットを外し、ズロース姿になっていたという。

失踪直前まで行動をともにしていたイディスだが、記憶は朧げで大した手がかりはない。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

岩山で彼女らに居合わせた、大佐の甥のマイケルと、仲の良い使用人のアルバート。彼女らの身を案じたマイケルは夜を徹し岩山を捜索するが、心配したアルバートが翌朝岩山に行くと、記憶を失って傷だらけで倒れている。

握りしめたマイケルの手には、女生徒の衣服の切れ端。捜索を引き継いだアルバートは、ついにアーマをみつける。だが、結局残りの三人はみつからず、死亡と推定されて捜索は打ち切られる。

口やかましくがめついアップルヤード校長は、失踪騒動のおかげで転校する生徒が増えたと嘆き、きっと強姦され殺されたのよと、心配する様子もない。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

はたして失踪の真相は何なのか。校長の言うように、何者かに捕まり、乱暴され殺されたにしては、あまりにそれを匂わせる材料に乏しい。

何かの儀式の生贄にされたのかもしれないが、それなら『ミッドサマー』のような凄惨な場面の一つ二つ見せてくれないと、納得できない。

では、学校生活に嫌気がさして逃亡したというのはありか。

規則にがんじがらめの毎日が嫌になって集団逃亡するのは動機としては分かるが、1週間岩山にいて無傷のアーマが生還し、彼女も、マイケルも完全に岩山での記憶をなくしているというのが説明できない。

そうなると、やはり神隠しにあったのだという、超常現象説に頼らざるを得なくなる。

オーストラリアだから、すぐにアボリジニの土着文化に結び付けるわけではないが、あの神聖なる岩山はやはり神が宿る場所なのだろう。

バレンタインの日に聖地に訪れた彼女たちは、神隠しにあった。だがそれは、不幸な結果ではなく、むしろ束縛からの解放に思える。

岩山に入るまで、暑くても手袋をはずさせず、学費滞納の生徒は、ピクニックに行かせないような狭い了見の学校にいるより、岩山で裸足になり、コルセットを外して、女はこうあるべきという息苦しい生き方から自由になりたい。白鳥になって好き勝手に飛び回りたい。

そんな女性たちの潜在願望を、岩山は叶えてくれたのだ。だから、「こんな岩山なんて大嫌い、なにが面白いの!」と何かと文句ばかりのイディスは、天に召されなかったのだろう。

でも、アーマだけがなぜ再び現実社会に召喚されたのかはよく分からない。

(C)PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975

更にいえば、孤児院で兄アルバートと生き別れ、学費未納で孤児院に帰されてしまうセイラマーガレット・ネルソン)があまりに不憫だ。

そうとは知らず、すぐそばに暮らしていたアルバートとも会えず、猫背矯正のために背中につっかえ棒で磔にされたうえ、最後には絶望して校舎から投身自殺してしまうなんて。

原作を読めば、何か手がかりが得られるかもしれない。面白いことに、ジョーン・リンジーの原作が邦訳されたのは公開から長い歳月を経た、2018年なのだ。カルト人気のおかげだろうか。

原作の丁寧な描写は映画を補足する部分はあるが、謎についてはとりたてて追加情報を与えてくれない。何でも、当初にオーストラリアの出版社が最終章を削る提案をしたらしい。

このおかげで、この失踪の真相も、実話かフィクションかも長年謎のままとなり、それが小説と映画のヒットに繋がっている。謎のまま各自で思いを巡らすのが正解ということらしい。