『生きてるだけで、愛。』
公開:2018年 時間:100分
製作国:日本
スタッフ
監督: 関根光才
原作: 本谷有希子
『生きてるだけで、愛。』
キャスト
寧子: 趣里
津奈木: 菅田将暉
安堂: 仲里依紗
村田: 田中哲司
真紀: 西田尚美
磯山: 松重豊
美里: 石橋静河
莉奈: 織田梨沙
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子(趣里)は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木(菅田将暉)
の部屋で同棲生活を送っている。
自分でうまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさしていた寧子は、どうすることもできずに津奈木に当たり散らしていた。
ある日突然、寧子の目の前に津奈木の元恋人・安堂(仲里依紗)が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子に無理矢理カフェバーのアルバイトを決めてしまう。
今更レビュー(ネタバレあり)
関根光才meets本谷有希子
趣里が演じる躁鬱病で過眠症の主人公・寧子の、魂の叫びを描いたような力作。MVや広告映像の世界で知られた関根光才監督の長編劇場映画デビュー作になる。
関根監督の最新作、コロナ集団感染のダイヤモンドプリンセス号を題材にした『フロントライン』(2025)はとても良い出来だったが、本作や杏主演のサスペンス『かくしごと』(2024)とはまるで異なる路線だ。
監督は『太陽の塔』などドキュメンタリーも手掛けているので、『フロントライン』はそっちの感性を使って撮った作品なのかもしれない。
◇
本谷有希子原作の映画化には、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督)という傑作もあるが、佐藤江梨子が演じた激しい気性の主人公よりも、こちらの寧子の過激さはさらに上をいく。

過眠症だから、気が付けば一日の大半を寝て過ごす。当然定職にもつけない。そもそも時間通りに起きられない。些細なことが気になり、多くのことができなくなる。
高校時代には、学校生活がかったるいから、体中の毛を剃ってみる。勿論頭は丸坊主だ。映画ではさすがに、『あちらにいる鬼』の寺島しのぶのような剃毛を趣里にさせることはなかったが。
趣里しか考えられない
引きこもり同然の寧子は、雑誌社でゴシップ雑誌を書いている津奈木(菅田将暉)と同棲生活を送っている。夜にペプシを買いに行った津奈木が、自販機の壊れたパネルを見て回想する。
あれは二人が初めて飲み会で出会った夜のこと。躁状態の寧子は夜道を疾走し、この自販機に頭突きを食らわして流血したのだ。

ともに生き方が不器用な男女の同棲生活。ラブラブではないが、喧嘩する訳でもない。いつも寧子は津奈木につらく当たり散らすが、彼が全て受け流して優しく接するので喧嘩にならないだけなわけだが。
何事にも従順な津奈木は、『花束みたいな恋をした』で恋が順調だったころの菅田将暉を思わせる。あの映画で彼が演じた若者は、仕事の忙しさで有村架純が演じるカノジョとの関係がこじれる。
それと同じように、この映画の津奈木も、ゴシップ雑誌のゲスな記事書きに、心を喪失し始める。ちなみに、雑誌編集長には松重豊、この仕事に嫌気がさす後輩には石橋静河。
◇
メンヘラ女子を演じている趣里の気迫が伝わってくるようだ。彼女自身が打ち込んでいたクラシックバレエで挫折した時のことを、この役に重ねながら演じていたという。
この手のメンヘラ女子は映画においては恋愛に没入することが多い気がする。『愛がなんだ』の岸井ゆきのとか、『勝手にふるえてろ』の松岡茉優とか。
でも、寧子はそこまで熱愛はしない。ただ、何もできず駄目な存在の自分に傷つき、絶望しながら生きている。
心配する姉ですら、LINEでダメ出ししかせず、映画には顔も出てこない。いつも津奈木につらく当たるが、彼のおかげで孤独死せずに生きられている。
ウォシュレット怖いですよね
たまに手料理を作ってあげようと一念発起しても、スーパーで満足に食料が買えない。家に変えれば電子レンジでブレーカーが落ちる。そんな寧子をつけ狙う女がいる。津奈木の元カノの安堂(仲里依紗)だ。

津奈木と復縁したいこの女は、寧子を激しく口撃したあと、職をみつけてサッサと別れるようにと、彼女を強引に馴染みのカフェバーで働かせる。こうして、寧子の生活に変化が訪れる。
カフェバーは田中哲司と西田尚美の夫婦で経営、元引きこもりのバイト(織田梨沙)もいて、家族的な店だ。寧子の病気も分かって受け容れ、社会復帰をサポートしてくれる。理想的な環境。
◇
人の好いオーナーシェフに田中哲司と、ゲスなゴシップ雑誌編集長に松重豊では、配役が逆に思えたが、これはこれで悪くない。
この店で失敗を繰り返して寧子は次第に順応していく。ここから徐々に症状が軽くなっていき、自分に自信を持ち始めることを観る方も期待してしまう。

だが、店のトイレのウォシュレットが、地雷になるなんて誰が想像するだろう。
「あれが故障して噴射水圧で身体が裂かれたらどうしよう。みんな怖くないんですか?」
自分だけが違うことを、ここでも見つかってしまった。そして彼女はまた過激行動に出てしまい、せっかく手に入れた居場所を失ってしまう。これは切ない。
あたしはあたしと別れられない
終盤、フランカ・ポテンテの『ラン・ローラ・ラン』を彷彿とさせる走りっぷりで、壊れてしまった寧子は夜の町を全力疾走し、それを津奈木が追いかける。
次々に服を脱いで身軽になり、気がつけばアパートの屋上で全裸になっている。横浜は野毛の都橋商店街ビルが見下ろせる吉田町の古いアパートは、絶好のロケーションだ。ちなみに、寧子が美しく駆け抜けるのは、JR東神奈川と新子安の間の跨線橋。
このアパートの屋上シーン、寒い夜空の下で寧子が自分の胸の内を津奈木にぶちまけるシーンは圧巻だった。全裸であることとは関係なく、ここは趣里の女優魂に痺れた。

「あたしがこんなに感情ぶつけてんのに、楽されるといらつくんだよ。いつもとりあえず頷いてやり過ごす」
自分と同じだけ疲れてない津奈木を、寧子は責める。
「何で生きてるだけで、疲れるんだろう。あんたが別れたかったらそれでもいいけど、あたしはさ、あたしと別れられないんだよね。あたしと別れられて、いいなあ津奈木」
この台詞は原作の文字で読むよりも、趣里の心からの叫びが胸に刺さった。ひりひりした。原作の表紙には北斎の富獄三十六景の中でも有名な神奈川沖の波頭の絵が描かれている。
映画には登場しないが、五千分の一秒のシャッタースピードで撮った同じアングルの風景写真が、北斎の絵と合致した。北斎と富士山は、五千分の一秒で理解し合えたのだ。これが、映画の中での趣里の台詞に生まれ変わる。
「私たちが分かりあえたのなんてほんの一瞬。でもそのほんの一瞬で、あたしは生きている」

この映画の菅田将暉は常に受け身だ。彼の芝居を知る者には物足りないかもしれない。でも、彼が抑える演技をしたことで、趣里が引き立った。ただのメンヘラ女の我儘な台詞ではない。
でも、仲里依紗の方が、重症なんじゃないか?