『ブルーベルベット』
Blue Velvet
デヴィッド・リンチ監督が本領発揮、耳を拾ったところから始まる倒錯世界
公開:1986年 時間:121分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: デヴィッド・リンチ
キャスト
ジェフリー・ボーモント:
カイル・マクラクラン
ドロシー・ヴァレンズ:
イザベラ・ロッセリーニ
フランク・ブース: デニス・ホッパー
サンディ・ウィリアムズ: ローラ・ダーン
ジョン・ウィリアムズ:
ジョージ・ディッカーソン
ウィリアムズ夫人: ホープ・ラング
ベン: ディーン・ストックウェル
トム・ゴードン: フレッド・ピックラー
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
急病で倒れた父の見舞いのため、のどかな田舎町ランバートンに帰ってきた大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)は、病院からの帰り道、草むらで切断された人間の片耳を拾う。
父の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)に知らせると、この件に深入りしないよう忠告される。
だが、刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から、キャバレーの女性歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)が関わっているらしいと聞かされる。
異様な体験に強く魅了されたジェフリーは、真相の手がかりを求めてドロシーの留守宅に忍び込み、やがて犯罪と暴力、倒錯した愛欲が渦巻くアブノーマルな夜の世界へと迷い込んでいく。
今更レビュー(ネタバレあり)
デヴィッド・リンチ本来の作風
前作『デューン/砂の惑星』は原作の難解なストーリーを観客に伝えなければという義務感と、ファイナルカット権を持たなかったために配給会社に勝手に編集されてしまったことの悪影響で、作品評価も興行成績も悲惨な結果となった。
だから、デヴィッド・リンチ監督は低予算でも自分の裁量権にこだわった。こうして出来上がった倒錯的なフィルムノワールは、監督のフィルモグラフィを振り返れば、リンチの本流ともいえる作品になっている。
◇
40年近く前の公開時、世間はまだ、デヴィッド・リンチ監督の本来の作風をよく分かっていなかった。
大ヒットした『エレファントマン』も次作の『デューン/砂の惑星』も、どちらかといえば亜流。デビュー作の『イレイザーヘッド』こそがもっともリンチらしいシュールな作品であり、『ブルーベルベット』はその流れを汲んでいるように思う。
落ちている片耳
映画は冒頭、ボビー・ヴィントンのスタンダード曲 ”Blue Velvet” とともに始まる。古き良き米国を感じさせるのどかな林業の町ランバートン。庭で水を撒く初老の男性が突如倒れこむ。
緊急入院した父を見舞いに、帰省した大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)が、病院からの帰り道、草むらに落ちた人間の片耳をみつける。

なんと怪しく独創的な導入部。
- 倒れた父と地中に蠢く甲虫に因果関係はないのか
- ならば、ねじれて水が詰まったホースは脳梗塞のメタファなのか
- 大学生にもなった息子は、なぜ草むらでわざわざ石投げをするのか
- そもそも、片耳が落ちてるって何で?
ツッコミたい点は多々あるが、それをスルーしないとリンチの世界は堪能できない。
でも、そのコツを理解するのは、もう少し後の話だ。こんなアブノーマル世界の映画、今ならA24がいくらでも製作してくれるが、当時はアングラな存在だった。
『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』と、後年の作品になれば我々にも免疫ができてくるのだが、本作の公開時にはまだ、順応できるのは少数派だったのでは。私も公開時は呆気にとられた。
今にして思えば、舞台となる不自然なほど健全でのどかな林業の町ランバートンの雰囲気は、数年後に大ヒットするドラマ『ツイン・ピークス』の原型に見える。
それはけして、本作主演のカイル・マクラクランが、同作で捜査官として活躍するからだけではないと思う。
キャスティングについて
さて、耳を拾ったジェフリーは、旧知のジョン・ウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)にそれを届ける。どうやら、何らかの捜査中の事案に関係がありそうだ。
そして、ジョンの娘サンディ(ローラ・ダーン)からの情報で、町のキャバレーの女性歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)との関わりを疑う。
ジェフリーはサンディの協力を得て、ドロシーのアパートに侵入し、彼女を脅迫している危険人物フランク(デニス・ホッパー)の存在を知り、自分もその倒錯世界に入り込んでいく。

『デューン/砂の惑星』の主人公としてはあまりに脆弱にみえたカイル・マクラクランだが、本作のジェフリー役には、精神的な未成熟さと健全なキャラがいい塩梅にマッチしている。『ツイン・ピークス』のハマリ役への布石といえるかもしれない。
◇
ドロシー役はイザベラ・ロッセリーニだったか。つい先日観た『教皇選挙』での存在感に感服したばかりだが、当時はまだ『ホワイトナイツ/白夜』に出演した程度。文字通り身体を張って、汚れ役みたいなくたびれた母親像を演じきっているのは凄い。
サンディ役のローラ・ダーンは、以降リンチ作品の常連となるほか、『ジュラシック・パーク』シリーズにも出演。その後の活躍を踏まえると、世間知らずのお嬢さんキャラを演じている本作はちょっとミスキャストに見える。
コマドリが幸福を運ぶと信じている<光>の象徴キャラのサンディは、<闇>のドロシーとは対極の存在。
そして、ドロシーの夫や子供を誘拐し、彼女に歌や性行為を要求する危険人物フランクにデニス・ホッパー。キレた感じが良く似合う。ドロシーの纏うドレスの切れ端のブルーベルベットをしゃぶり、彼女に母親像を求める変態プレイ男。
忘れちゃいけないのが、ドロシーの部屋で密会していたジェフリーを捕まえたフランクが、彼を連れていく怪しげな店のオーナー、ベン(ディーン・ストックウェル)。ゲイっぽいベンの店にはなぜか太った女性ばかり。怪しさ満点だ。
どこまで広がる倒錯世界
- ここでベンが美声を披露して歌うロイ・オービソンの”In Dreams”が、実はテープを流しているだけの口パクだったり
- フランクの仲間の悪徳警官と思われた黄色いスーツのトム・ゴードン(フレッド・ピックラー)が、なぜか立ったまま殺されていたり(でも、死体なのに動くんだけど)
いかにもデヴィッド・リンチらしい人を喰った演出が散見され、どこまでマジメに見ていいのか悩んでしまう。

サンディと仲良く捜査を続けるジェフリーを懲らしめようと、ボーイフレンドのマイク(ケン・ストヴィッツ)がジェフリーの家の前で二人を捕まえる。
そこに幽霊のような足取りで、全裸のドロシーが唐突に現れる。まるで『シザーハンズ』のジョニー・デップだ。
フランクに襲われたドロシーがジェフリーに会いに逃げてきたようだが、この全裸シーンには、米国の観客も非難轟々だったとか。これといった必然性なく、全裸で登場だからか。
まあ、そんなことを言い出したら、ジェフリーの父親の重篤な症状も、フランクの口髭の変装も、ゴードンが立って死んでいることも、耳が落ちていることだって、大した必然性はない。

ジェフリーとドロシーが知らぬ間に愛欲の関係になっていたことを目の当たりにしたサンディは泣き叫び傷つくが、最後には強引にハッピーエンディングとなり、ドロシーには誘拐されていた息子が戻る。
正当防衛とはいえ、フランクの額を刑事から拝借した銃で撃ち抜いたジェフリーには何のお咎めもなしなのか、至って平和なラストでは、幸福の象徴コマドリが、甲虫を食べている。これで闇は駆逐されたのか。
◇
耳を削がれて殺された、ドロシーの夫のことは、誰も話題にすらしない。重症だったジェフリーの父親と同じく、物語には添え物にすぎないのだ。だって、この映画は、母親への倒錯映画なのだから。