『ある日どこかで』今更レビュー|地味すぎるタイムリープ映画が、胸に沁みる

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『ある日どこかで』
 Somewhere in Time

クリストファー・リーヴとジェーン・シーモアによる、知る人ぞ知るタイムリープ・ロマンス。

公開:1980 年  時間:103分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督:      ヤノット・シュワルツ
脚本:      リチャード・マシスン
          『ある日どこかで』
キャスト
リチャード・コリアー: 

        クリストファー・リーヴ
エリーズ・マッケナ:ジェーン・シーモア
(晩年)      スーザン・フレンチ
ロビンソン: クリストファー・プラマー
アーサー:      ビル・アーウィン
フィニー教授:ゲオルク・ヴォスコヴェク

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

あらすじ

1972年、母校で自作舞台の初演を迎えていた新進劇作家のリチャード・コリアー(クリストファー・リーヴ)は、白髪の老婦人から古い金時計を渡される。

その8年後、母校を再訪した彼は街のホテルにかかっていた肖像画に心を奪われる。そこに描かれた美女エリーズ・マッケナ(ジェーン・シーモア)は、かつての老婦人の若き日の姿だった。

リチャードはタイムトラベルの本を書いた大学教授に相談し、1912年のエリーズに会おうとする。

今更レビュー(ネタバレあり)

カルトSFと聞くとまず思い浮かぶのが本作。SFというよりは、タイムトラベルを扱ったロマンス映画という方が近いかもしれない。

主演はクリストファー・リーヴ『スーパーマン』(1978)のクラーク・ケント役で一躍大ブレイクし、その直後がこの地味な作品というギャップもいい。

クリストファー・リーヴはいつも聖人君子というわけではなく、『スーパーマン』シリーズの合間に撮られた『デストラップ 死の罠』でも悪役を演じている。

だが、本作の主人公で劇作家のリチャード・コリアーは、まさに彼に似合いの善人である。但し、頑強で大柄な体格ではあっても、喧嘩に強くはないらしく、争いごとは苦手にみえる。

このリチャードが大学時代に自作舞台を成功させ、その打ち上げパーティに現れた上品な老女が、彼に懐中時計を手渡して「帰ってきてね」と囁いて去っていく。彼女の正体を誰も知らない。

そして8年が経過する。気まぐれにシカゴの母校に立ち寄ったリチャードは、近くの歴史あるグランドホテルに滞在し、そこの歴史資料室に飾られた女性の肖像画に目を奪われる。

一目ぼれしたリチャードだが、その女性が舞台女優エリーズ・マッケナ(ジェーン・シーモア)で、ホテルで公演をした1912年の写真であることを知る。更に、8年前に出会った謎の老女こそ晩年のエリーズその人だったことに驚く。

彼女がリチャードの学生時代の哲学教師の著書である『時の流れを超えて』を愛読していたことから、「帰ってきてね」とは過去にタイムリープしろという意味ではないかと信じ始める。

時空を過去に戻るタイムリープものではあるが、本作は恐ろしく地味な作品で、その気になって観ないとSFとは思えない。同じカテゴリーでは邦画では『時をかける少女』、洋画なら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』あたりが有名どころ。

『時かけ』大林宣彦監督が松任谷正隆にこの映画のイメージで曲を書いてくれといったというから、本作と儚いラブロマンスの雰囲気は近いが、SF的な演出は随所にみられる。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はエンタメ路線まっしぐらの超娯楽作だから、物静かな本作とはまるで毛色が違う。共通するのは<過去に戻ったら、現在のあの人がまだこんな子供だった>的なエピソードくらいか。

そもそも、過去への戻り方が極めて地味なのだ。何の飛び道具もない。1912年を思わせる年代物の衣装や小道具を集めて、当時と変わらないホテルの一室で、「今は1912年」とひたすら自己暗示にかけるだけ。

その努力がついに実って、壁紙やカーテンが古臭くなって、当時に戻っていく。金をかけないSFの佳作はいくつか思い浮かぶが、ここまでSFの匂いがしない作品は珍しい。

さて、私はこの地味さやSFらしくなさを否定的に語りたいわけではない。むしろ逆である。

本作はリチャードとエリーズの時空を超えた悲恋を描いた作品だが、何の未来的な道具立ても派手な演出もない目立たない作品だからこそ、二人の切実なる思慕の情と、夢破れて現実に戻ってしまう悲哀が、一層際立つのだと思う。

それゆえに、一部のファンからは熱狂的に支持される作品になり得ているのだろうジョン・バリーのテーマ曲がまた泣かせる。

肖像画一枚であんなにも狂おしいほどに見知らぬ女性を好きになるものかという気はするし、恋には消極的に思えたクラーク・ケントが、こんなにも勇猛果敢に初対面の女性にアプローチするのかという驚きもある。

そんなギャップの意外性はクリストファー・リーヴに限らない。ヤノット・シュワルツ監督の前作は『ジョーズ2』、本作後が『スーパーガール』。彼のフィルモグラフィで本作だけが浮いている。

原作のリチャード・マシスンは映画化作品も多いが、『激突!』『ヘルハウス』等、ホラーやアクションSFが中心。ヒロインのエリーズを演じたジェーン・シーモアも、思い浮かぶのは『007 死ぬのは奴らだ』のボンドガール。

マシスンの原作も読んでみたけれど、本作を観る前なら私だって、「こんな地味な作品、映画化したって誰も見に来ないよ」と言っていただろう。この異色な組み合わせから、かくもロマンティックなカルト作品が生み出されるとは。

映画化にあたり、使用される楽曲が原作にあったマーラーからラフマニノフに差し替えられている。

ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」はクラシックに疎い私でも知っている曲だが、耳に馴染みがありすぎて、本作のイメージにはそぐわなかったように思う。

1912年を意識してリチャードが仕立てたスーツが当時すでに10年以上時代遅れだと見られているのは面白かった。

実在するクラシックなホテルでロケしているのは映画ならではの良さ。古いホテルはみな『シャイニング』みたいなホラーの舞台とは限らないのだ。

5歳の頃から父と一緒にこのホテルのロビーにいたというホテルマンのアーサー(ビル・アーウィン)が、1912年に確かにそこで遊んでいて父親に叱られている小ネタ自体は他愛もないが、この子役の男の子が実に子供らしくてかわいい。

タイムリープに成功したリチャードに湖畔で初めて対面したエリーズは「あなたなの?」と呟く。

原作では、そこで運命の男性に出会うという予言を聞いていたのだったと記憶するが、映画ではマネージャーのロビンソン(クリストファー・プラマー)に何かを言われたような説明だったか。

彼女をスターにするために怪しい男を摘み出そうとするロビンソンは悪役のように描かれているが、原作より少し善人らしい。名優クリストファー・プラマーは当時50歳前後だが、すでに威厳に溢れているなあ。

以下、ネタバレになるので未見の方はご留意ください。

終盤、次の巡業に行ってしまったと思われたエリーズが戻ってきて、ついにリチャードと結ばれる。

結婚を約束した二人は、この過去の時代で幸福に暮らすように見えたが、楽しくじゃれ合う中で、リチャードがスーツのポケットから、抜き忘れた1979年製の硬貨をみつけ、その瞬間に現代に戻されてしまう

エリーズの手を離れて時空を戻る姿の何という悲しさ。壁紙やカーテンが現代に戻った部屋に虚しさが漂う。ああ、キャッシュレスなら良かったのに。

もう、愛するエリーズのもとには戻れないリチャード。そしてエリーズも、再び彼に会うためには、60年を孤独に過ごさなければいけないのだ。

クリストファー・リーヴが逝去して、もう20年になろうとしているのだなあ。

キャリアの後半は車椅子生活を余儀なくされたため、彼が溌剌と動き回り、しかも愛する人と幸福な時を過ごしている姿が見られる作品となると、極めて数が限られる。その意味でも、本作は貴重な一本だ。永遠のカルトムービー。