『市子』考察とネタバレ|ビジュアルと題名はJホラー、中身は更に重たい

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『市子』

プロポーズした翌日に忽然と姿を消した市子。生き抜くために彼女が探し求めたものは。

公開:2023 年  時間:126分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本・原作: 戸田彬弘
   戯曲「川辺市子のために」
キャスト
川辺市子:      杉咲花
(幼少期)     奥野此美
長谷川義則:    若葉竜也
北秀和:      森永悠希
小泉雅雄:     渡辺大知
後藤刑事:     宇野祥平
川辺なつみ:    中村ゆり
川辺月子:     徳網まゆ
(幼少期)     小林咲花
吉田キキ:     中田青渚
北見冬子:     石川瑠華
田中宗介:      倉悠貴
山本さつき:    大浦千佳
(幼少期)    網本唯舞葵
幸田梢:       岡陽毬

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)2023 映画「市子」製作委員会

あらすじ

川辺市子(杉咲花)は三年間一緒に暮らしてきた恋人・長谷川義則(若菜竜也)からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。

途方に暮れる長谷川の前に、市子を捜しているという刑事・後藤(宇野祥平)が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。

市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼なじみ、高校時代の同級生など彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。

やがて長谷川は部屋の中で1枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れる。

レビュー(まずはネタバレなし)

杉咲花の顔を大写ししたポスタービジュアルが印象的な本作。『52ヘルツのクジラたち』『朽ちないサクラ』と、主演映画が立て続けの売れっ子女優の杉咲花であるが、ボソっと呟く大阪弁が特徴的な本作の主人公・川辺市子が、彼女のイメージには特にフィットする。

本作の監督である戸田彬弘が主宰する劇団チーズtheaterの旗揚げ公演作品『川辺市⼦のために』がベースにはなっているが、演劇と映画とはだいぶアプローチを変えているそうだ。あいにく公演は観ていない。

映画の導入部分がいい。2015年。市子(杉咲花)はアパートの部屋で生駒山での遺体発見の報道を聞く。

その部屋に、仕事から原付に乗って長谷川義則(若菜竜也)が帰ってくる。だが、部屋はもぬけの殻。開け放たれた窓から市子が逃げたのだ。薄暗いトンネルを走って逃げていく後ろ姿がもの寂しい。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

長谷川は前日に市子にプロポーズをしたばかりだった。彼女は嬉し泣きをしていた。喜んでくれているように見えた。では、なぜ忽然と失踪してしまったのか。観る者は、長谷川と一緒になってその答えを探っていく。

プロポーズと遺体発見報道。手がかりはそんなものしかないが、説明的な台詞を極力排して、美しいカットの繋ぎで魅せる展開には期待感が高まる。

本作は市子の失踪理由を解明するだけのミステリーではなく、むしろその答えを知ったあとに考えさせられるヒューマンドラマだ。

突如長谷川のもとに現れた刑事の後藤(宇野祥平)は、市子の捜索を進める中で、長谷川に矢継ぎ早にこう尋ねる。

「彼女は風邪ひいた時、病院行ってた?携帯持ってた?仕事は?」

そこから自ずと導き出される答えがある。古くは松本清張『ゼロの焦点』から、近年なら『ある男』まで、結婚相手や恋人の失踪後に全く知らなかった相手の過去に驚くというパターンの映画は、けして珍しくはない。

だが、市子の背負っている過去には驚きがあり、また、あまりに不憫でもある。彼女の行為を善悪で論じることは容易いかもしれないが、戸田彬弘監督のねらいは市子の壮絶な半生を伝えることであり、観客が安全な場所から是非を問うことではないのだろう。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

本作は、市子の小学校時代や高校時代のシーンを間に挟みながら、その都度現在のパートに戻り、大人になった彼女の友人・知人に長谷川と後藤刑事が聞き込みをしていくというプロセスをとっている。

小学校時代のエピソードでは、杉咲花に似た雰囲気の子役がいないので戸惑うが、悩むのは無理もなく、当時、市子は月子と呼ばれている。スナック勤めの母なつみ中村ゆり、母に付きまとうソーシャルワーカーの小泉渡辺大知。団地暮らしで貧しそうな生活が見てとれる。

なぜ、市子が月子を名乗っているのかは明かされないまま、高校生のエピソードになる。恋人にはイケメンの田中宗介(倉悠貴)、だが彼女を慕う純情少年の北秀和(森永悠希)の方が、物語的には重要な存在。

杉咲花は幼く見える顔立ちゆえか、セーラー服姿で何の違和感なく女子高生に見える。いや、下手すると長谷川との同棲時代よりも高校生の方が自然かもしれない。

カレシ役の倉悠貴、母役の中村ゆり、それに若葉竜也は揃って今泉力哉監督の『窓辺にて』に出演していた。市子が高校卒業後に知り合うパティシエ志望の友人・吉田キキを演じた中田青渚も、同じ今泉監督『街の上で』若葉竜也と共演。

そもそも、若葉竜也が人の良さそうな人物を演じている時点で、軽妙な恋愛観の今泉ワールドの雰囲気に飲まれそうになるが、本作が扱うのはあくまでシリアスな失踪ドラマ。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

市子を必死で捜索する長谷川だが、回想シーン以外に彼女が登場することなく、映画は終盤へと進んでいく。彼女は何を背負い、なぜ失踪したのか。そしてまだ無事に生きているのか。

彼女の過去を知る者たちの証言を重ね合わせることで、浮き彫りになってくる重たい真実。『羅生門』『怪物』のように関係者証言が大きく異なることをねらった構成ではないが、その結末の受け止め方は観る者によって大きく異なるかもしれない。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

病院嫌い、ガラケー持ち、新聞配達。このキーワードから想像できるのは、身元を証明できるものがないということだ。市子には戸籍がなかった。

DV夫と離婚し半年未満で市子を産んだ母は、法的に前夫の子となって戸籍に載り娘に危害が及ぶことを恐れ、無戸籍のまま子育てをする。

その後、妹・月子が生まれるが、筋ジストロフィーの難病のため、市子が介護をする必要があった。団地の部屋に介護用のおまるがあったのはそのためだ。

ある夏の暑い日、なぜか姉を睨み続ける月子の呼吸器を、介護疲れの市子は無言で外してしまう。仕事帰りの母がそれを見てつぶやく。「市子、ありがとうな」 その控えめな悲劇の伝え方が胸に刺さる。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

月子の遺体を小泉(渡辺大知)が山中に埋め、市子は妹の戸籍をもらい受けて月子として暮らし始める。だが、やがてそれをネタに小泉が彼女を脅かし始める。

市子は衝動的に小泉を刺殺してしまい、それを見ていた級友の北秀和(森永悠希)が自殺偽装でうまく処理してくれる。

彼女はその後に母の前から姿を消し、孤独に罪を背負って生きてきた。そして数年後、夏祭りで長谷川と出会い、同棲をはじめ、ついに求婚される。

市子は月子の戸籍を使って結婚するつもりだったかもしれない。だが、山中での遺体発見の報道を聞き、それが月子の遺体だと分かるのは時間の問題だと悟る。だから、市子は幸福の絶頂から逃げるしかなかった。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

中村ゆりの演じる水商売の母は、普通なら娘につらくあたる毒親設定になりそうだが、必ずしもそういう描かれ方ではない。

重病患者である娘を殺すことを肯定はできないが、母もヤングケアラーの市子も、負担の大きい生活の継続は限界であり、苦渋の選択だった。

1枚の家族写真が語る、四人家族の幸福だった短いひと時のシーンが涙を誘う。

本作は終盤、市子の失踪背景が見えたところで驚きの展開を見せる。

一組の男女が自動車で海に飛び込み自殺を図る。話の流れから、この二人は北見冬子(石川瑠華)北秀和と推察されるが、冬子は自殺希望者サイトで知り合った市子に北を紹介された経緯があるのだ。

「あんた、うちのヒーローなんやろ?」

高校時代に北が市子に言った台詞を持ち出され、愛する彼女のために北は身を投げたのだ。何のために?それは当然、身寄りのない冬子が死んだあとに、市子がその戸籍を頂戴するためだ。ならば、冬子は市子に成りすまして自殺したと想像できる。

(C)2023 映画「市子」製作委員会

最後は冒頭のシーンに戻り、鼻歌で街を歩く市子の姿。この後、市子がどこに向かうのかは示されず映画は終わる

首尾よく手に入れた戸籍で、長谷川と結婚するとは考えにくい。自殺したはずの市子が違う名前で帰ってくれば、月子殺害の容疑で後藤刑事が見逃さないだろうから。

「本作は市子自身が自分の姿を探す物語と感じた」杉咲花が語っているように、彼女にも、そして監督にも、市子の内面が正しく把握できているわけではなさそうだ。

難病の妹と、母の元恋人の男を殺し、挙句の果てには自分を慕っていた級友男子を自殺に追い込み、そんな市子を悪魔呼ばわりする人もいれば、戸籍もなく人格否定されたように生まれ育ってきた彼女に憐憫の情を抱く人もいるだろう。

私はずっと同情的に市子を見てきたが、最後の鼻歌を聴いて、大きく疑念が生じてしまった。

あわれな長谷川は、最後まで市子と再会することなく、物語が終わり、そして市子は新たな人生を歩みだす。彼女の鼻歌は童謡「にじ」だそうだ。だから虹のカットが一瞬登場するのか。

家族みんなとの楽しい思い出と、この母の鼻歌はセットで記憶されているのかもしれない。雨がすべてを洗い流した後に、空にかかる虹のように、その人生は輝くのだろうか。