『キッズ・リターン』
金子賢と安藤政信の二人の若者が互いに夢を追い挫折する姿を静かに優しく描く、北野武監督による青春映画の傑作。
公開:1996 年 時間:108分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
高校の同級生シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)はいつもつるんで行動し、学校をサボって自由奔放な毎日を送っていた。
ある日、カツアゲした高校生が助っ人に呼んだボクサーに打ちのめされたマサルは、ケンカに強くなるためシンジを誘ってボクシングジムに入る。
しかしボクサーとしての才能を見いだされたのはシンジで、マサルはジムを飛び出しヤクザの世界へと足を踏み入れる。
別々の道を歩むことになった二人は、それぞれの世界でトップに立つことを約束し、互いにのし上がっていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
バイク事故からの復帰作
北野武監督の6作目となる作品。前作『みんな〜やってるか!』のはじけ度合いには、監督名義がビートたけしとはいえ、先行きに不安を感じたものだが、ここで原点回帰する。というより、今までとは異なる死生観を表現している。
それは、死線を彷徨った1994年のバイク事故からの復帰直後の作品であることの影響が大きいのだ、と世間的には評されている。これまでの北野作品だったら、まず最後まで生きていることがないように思われる主人公の二人の若者が、本作では人生に希望を感じさせる形で生き長らえるからだ。
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本作は落ちこぼれ高校生の二人組、シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)の青春映画である。
常にオラオラ系で無茶な行動を起こすのはマサルの方だが、シンジはそれを制する訳でもなく、なぜか同級生のマサル相手に敬語を使いながら、一緒につるんで悪さをしている。
そこだけ見れば、東映のヤンキー映画のようになる筈なのに、暴力や非行はあっても、なぜか映像は静かで美しく、久石譲の音楽もまた格調高い。二人乗りするのもバイクではなく、通学用の自転車というのが、どこか微笑ましく、身の丈に合っている。
牧歌的な男子校ライフの序盤戦
カツアゲを繰り返すうち、被害者生徒が連れてきた友人が登場し、マサルは一撃で倒される。それがきっかけで、マサルはボクシングのジムに通い始め、すぐにシンジも付き合いで入会するようになる。
序盤、この辺までのくだりは牧歌的な男子校の学園生活ものっぽい。ゆるくヤンチャな日々を送るマサルとシンジ、いじられる教師たち。お笑い芸人を目指し、漫才の練習をしている同級生二人組の南極55号(北京ゲンジ)。
そしてもう一人、行きつけの喫茶店が同じという程度の接点しかないが、店の看板娘・サチコ(大家由祐子)にアプローチする高校生のヒロシ(柏谷享助)も、映画の中では二人と対比される役として重要な意味を持つ。
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高校の先生(芦川誠)が自慢の新車で登校し、「馬鹿ども、触るなよ」とマサルたちに言い放って去っていく。次のシーンでは、炎上して黒焦げになった愛車の前で茫然としている。この、4コマ漫画的なカット割りは北野武の好む手法だが、ついニヤリとしてしまった。
才能に恵まれたのはどちらだ
序盤までの雰囲気から、本作は『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)のように、暴力団は絡まないマイルドな映画なのかと思ったが、町の中華屋でようやくヤクザもんが登場。
組長(石橋凌)を囲む若頭(寺島進)と若い衆。組長は中華屋の店員カズオ(津田寛治)にも親しく声をかける。こりゃ、津田寛治だもの、どうみても、いずれ組員になるだろう。居合わせたマサルたちに因縁をつける若頭を組長がたしなめる。どこか危険なカッコよさ。
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このヤクザとの出会いが一回きりのカメオであるはずがない。ここから物語にようやく方向性が見えてくる。
ボクシングジムでも傍若無人な行動の目立ったマサルが、誰もスパーリングの相手をしてくれず、シンジを相手に練習する。そこで、マサルはシンジにボコボコにやられる。付き合いで始めたシンジの方が、ボクシングの才能が上だったのだ。
ジムの会長(山谷初男)たちはそれに気づき、実は繊細で体面を気にするマサルは、ジムを去り姿を消す。そしてある日、行きつけの喫茶店でシンジが偶然見たマサルは、中華屋で知り合った組長のもとで構成員になっていた。
キャスティングについて
シンジ役の安藤政信は本作がデビュー作だ。近作の『弟とアンドロイドと僕』(阪本順治監督)や『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』(江口カン監督)を観ても、ルックスは今も昔も変わらずイケてる。
だが、本作の彼は、ボクシングに目覚めるまでは、実におとなしく、不良のくせに存在感がない。だから、マサルと別れてからの彼がボクサーとして成長していく姿の力強さとのギャップに痺れるのだろう。
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一方のマサルを演じた金子賢も、映画としては本作がデビュー作。シンジとは対照的に、何かと目立ちたがり屋で映画前半は彼の独壇場だが、ボクサーの才能がないことを知り、ヤクザの世界へ。
殴り合いは弱くても、カツアゲには才能があるのかも。新天地で彼の才能が開花できたかというと、微妙ではあるが。なお、現実世界での金子賢は、一時期、総合格闘家としても活動していた。
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こうして映画は中盤からシンジのボクシングジム生活を中心に、時おりマサルがヤクザ稼業でのし上がっていく姿を紹介し、また、思い出したように、社会人となったヒロシがブラック企業の営業マンとして苦労している姿を写す。
ボクシングジムのシンジ
ボクシングジムで練習に励むシンジを描く演出はなかなかよい出来で引き込まれる。
厳しいが人の良さそうな会長の山谷初男、彼らをジム通いさせるきっかけを作ったカツアゲでの助っ人ボクサーの石井光、ジム一推しのスター候補だが挫折するイーグル飛鳥(吉田晃太郎)。
なかでも、酒・タバコなど悪魔のささやきでシンジを取り込む、見込みのない先輩ボクサーのハヤシ(モロ師岡)がいい味をだす。あとから入会する不良三人組(やべきょうすけ若い!)の頼りない感じも面白い。
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町の片隅にあるジムの雰囲気と、決して練習一筋な者ばかりでない人間関係は、『BLUE/ブルー』(𠮷田恵輔監督)を思わせる。北野武は、いつかデ・ニーロの『レイジングブル』のような作品を撮りたいと思っていたそうだが、その思いは伝わってくる。
暴力団に入ったマサル
一方のマサルは、いつの間にか初めて見かけた時の使い走りから、ベンツにふんぞり返って舎弟に囲まれる身分に出世している。ヤクザ同士の争いで、組長(石橋凌)は隣の若頭(寺島進)に命じ何人か射殺させたあと、その銃をカズオ(津田寛治)に渡し、自首させる。この手際の鮮やかさよ。
だが、その組長が朝の平和な住宅街の自宅前で、クルマに乗り込むところを敵に銃撃される。自転車に乗ったおっさん(ト字たかお)だ。とてもそうは見えないヒットマンにやられる構図は『ソナチネ』(1993)と似る。
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そこから抗争が激化するのかと思ったが、本作はヤクザがメインのバイオレンス映画ではないので、微妙に内紛で収まる。トップにいる会長は下条正巳だ。『男はつらいよ』のおいちゃんイメージが強すぎるが、こういう役も合う。
俺たちもう終わっちゃったのかな
マサルとシンジとは接点のないヒロシは、結婚して勤めた秤の会社の営業をやめてタクシー運転手となるが、ここでもブラック企業ぶりは変わらず、過労でクルマを脱輪させ事故を起こす。彼は本作において、ひとり苦難の絶望路線を歩んでいく。事故のあとの生死は語られない。
同じように、夢破れてくじけてしまったように見えたマサルとシンジ。マサルは組同士の抗争で会長に失礼な口利きをしたかどで、若頭から制裁を受けた。シンジはハヤシの甘言に毒されたせいで減量に失敗し、試合に大敗しタオルを投げられた。だが、本作は二人に優しい。
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ラストシーンは、そこからしばらくの時が立ち、二人が昔のように自転車に二人乗りで母校の校庭に現れる。授業中の先生(森本レオ)の老け方から何年も経過しているようだが、実際にはせいぜい1~2年という設定だろうか。
「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」
「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねえよ」
二人の会話は本作の印象的な名台詞として、広く世間に知られることになる。生きることに希望を見出した、北野武監督の心情を写したものなのだろう。
そんな中で、死ぬものにも生きるものにもならず、高校時代と変わらずに同じネタで舞台に立っている漫才師の南極55号の存在が地味に面白い。