『パンズ・ラビリンス』
El laberinto del fauno
鬼才ギレルモ・デル・トロの生み出したダークファンタジーの傑作。この異形の世界観に酔って欲しい。
公開:2007 年 時間:119分
製作国:スペイン
スタッフ 監督: ギレルモ・デル・トロ 製作: ベルサ・ナバーロ アルフォンソ・キュアロン フリーダ・トレスブランコ アルバロ・アグスティン 音楽: ハビエル・ナバレテ キャスト オフェリア: イバナ・バケロ パン、ペイルマン: ダグ・ジョーンズ ビダル大尉: セルジ・ロペス カルメン: アリアドナ・ヒル メルセデス: マリベル・ベルドゥ フェレイロ: アレックス・アングロ ガルセス: マノロ・サロ ペドロ: ロジェール・カサマジョール
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1944年、フランコ独裁政権下のスペイン。冷酷で残忍な義父から逃れたいと願う少女オフェリア(イバナ・バケロ)は、昆虫に姿を変えた妖精に導かれ、謎めいた迷宮へと足を踏み入れる。
すると迷宮の守護神パンが現われ、オフェリアこそが魔法の王国のプリンセスに違いないと告げる。彼女は王国に帰るための三つの試練を受けることになる。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
これぞダークなファンタジー
ダークファンタジーと言われれば、この作品が頭に浮かぶ、鬼才ギレルモ・デル・トロの代表作。アカデミー賞作品賞に輝いた『シェイプ・オブ・ウォーター』もファンタジーだが、デル・トロらしさの濃厚さやダークな味わいは本作が上回るだろう。
舞台は1944年のスペイン。内戦後に樹立されたフランコの独裁政治体制下、少女オフェリア(イバナ・バケロ)が、妊娠中の母親カルメン(アリアドナ・ヒル)と共に、森の中をクルマで移動している。
数台連なって走るクルマはロールスロイス。富豪の母子かと思えば、どうやら行先は山の中の軍の砦。ここで指揮を執る独裁政権陸軍のビダル大尉(セルジ・ロペス)が、内戦で仕立屋の夫を亡くしたカルメンの再婚相手なのだ。
だが、大尉の関心は、男の子だと信じている、妻の腹の中の自分の子供だけ。歓迎されていない娘のオフェリアは、森の中で不思議な迷宮をみつける。
スペイン人女性は幼少から顔立ちがはっきりしていて、私には年齢の見当がつきにくいのだが、少女オフェリアは当初8歳の年齢設定を、イバナ・バケロの抜擢で彼女の実年齢(当時11~12歳か)に引き上げられたようだ。
内戦下のスペインの監視社会で、息が詰まるような市民の生活のなか異世界の存在とコンタクトするようになる少女。『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ監督)の少女アナを思わせる。
夢みる少女じゃいられない
読書好きな夢見がちな少女オフェリアが気にっている童話。
むかしむかし、地底の世界に病気も苦しみもない王国があった。その国の美しい王女がある日、城をこっそり抜け出して人間の世界へ行く。だが陽光を浴びたとたん、記憶を失ってしまう。王様は悲嘆に暮れ、王女が地上から戻ってくる事をいつまでも、待っているのだった。
森にきてから彼女にまとわりつく大きなナナフシのような虫と思っていたものが、この童話に出てくる妖精に姿を変える。そして、彼女を迷宮の中へ誘い出し、森の守護神パンと引き合わせる。
パンはオフェリアの正体は、童話にあった地下王国の王女モアナだという。
父の待つ王国に彼女を連れ戻したいが、そのためには、ただの人間になってしまっていないか調べるために、三つの試練を与えるので、それを乗り越えなければならない。
◇
ここから、オフェリアの冒険が始まる。このファンタジーの世界に強引に引き込んでいく導入部分は、『ロード・オブ・ザ・リング』をはじめとするファンタジーアクションのお約束的な流れ。
昆虫が妖精に変異していく様子や、目に焼き付いて離れないヤギのような角を生やした守護神パンの造形は、他の作品にはみられないインパクトだ。ギレルモ・デル・トロのファンにはたまらない。
現実社会は迷宮よりもさらに厳しい
晩餐会用に誂えてもらったモスグリーンのワンピースやエナメル靴を雨やぬかるみで泥だらけにしながら、試練を乗り越えていく孤軍奮闘のオフェリア。
ビジュアルだけをみると、ゴスロリ映画の『エコール』(2004)などを思わせるが、内容的には少女趣味に走ることなく、ひたすらデル・トロお得意の異形への愛を感じさせる作品になっている。
◇
一方の現実社会は殺伐としており、まるで自身が独裁者かのように、オフェリアの母の再婚相手であるビダル大尉が、森の中の砦で権威を振りかざしている。
反乱分子とみられる市民はためらいなく射殺し、仲間を売るように拷問道具を揃える。勇敢に戦死したという父の形見の懐中時計を大切に持ち、それを自分の栄誉とともに跡継ぎに譲り渡すことだけに執着する人生。
男性優位を盲信し、虚栄心の塊のようなこの男にとって、目下最大の敵は、近隣に潜んでいると思われるゲリラ部隊。そして、ビダル大尉の側近で身の回りの世話をする女性・メルセデス(マリベル・ベルドゥ)と医師のフェレイロ(アレックス・アングロ)は、そのゲリラを支援している。
異形の世界へようこそ
このように、森の中でもいつ銃撃戦が起きるかわからない状況だが、オフェリアの関心事は王女に戻るための試練を乗り越えることである。
最初の試練にでてくる巨大なガマガエル(ジャバ・ザ・ハットよりは可愛げがあるか)との一戦だけでも、相当グロいというか、ネバネバ感が強くて、観ていて参ってしまう。少女ながらも、これを平然と乗り越えてしまうオフェリアは、やはり本物の王女なのかもしれない。
◇
次に出てくるのがペイルマン(本編中その名は出てきてたかな)と呼ばれる怪人だ。はじめは死んだように固まっているが、突如あることをきっかけに覚醒する。
両掌に埋め込まれた目玉と、目のない顔との合わせ技のビジュアルは衝撃的だ。その登場のさせ方はお化け屋敷のようで古典的ではあるが、十分怖い。子供でなくてもトラウマになりそうだ。
ただ、造形そのものや、モンスターの動きをみると、どこか円谷プロのキャラクターを思わずにはいられない。手足の長さからすると、ケム―ル人あたりが源流だったりして。
造形デザインへの日本の特撮の影響は『シェイプ・オブ・ウォーター』でも感じたことだが、日本のポップカルチャー好きなギレルモ・デル・トロなら、あながちないとは言い切れない。
守護神パンとペイルマン、それに『シェイプ・オブ・ウォーター』の異形の者、いずれも着ぐるみの中に入っているのはデル・トロ作品常連のダグ・ジョーンズ。そう思うと、どれも動きがどこか似ているような。
欧米では日本に比べてスーツアクターの扱いが高く、ファンも多いのだそうだ。前述のケム―ル人も演じていた、ウルトラマンのスーツアクター古谷敏がそう語っていたのを思い出す。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
パンは信用できる守護神なのか
パンは見た目は怖そうだが、話していると優しそうにみえ、パンの指示に従って、オフェリアは試練を乗り越えようとする。だが、あまりに饒舌すぎて、どこまで信用していいのか気になるところだ。
実際、オフェリアがパンとの約束を守らず、禁断の食事に手を出してしまい、結果妖精たちがペイルマンの餌食になってしまったと知った時、パンは激昂する。ここは怒って当然の場面ではあったが、この守護神はただの王女の従順な下僕ではなさそうだと知る。
◇
パンに授けられた魔法のチョークや、人間の胎児のような形をした高麗人参のような木の根など、小道具の使い方も秀逸で、妖しい世界観の雰囲気を醸成するのに一役買っている。
このエンディングをどう見るか
ダークファンタジーがハッピーエンドで終わってはいけないルールはないが、本作のエンディングは実にもの悲しい。
一旦は絶望視された地下王国に戻れるラストチャンスをパンから与えられたオフェリアは、母親の死と引き換えに生誕した弟を抱きかかえて、ビダル大尉のもとから逃げ去る。だが彼女は、弟を傷つけることが分かっているパンには弟を引き渡さず、結局その後大尉にみつかって、射殺されてしまうのだ。
◇
滴る彼女の血が地下にこぼれて、ようやく王国の父が現れる。
「無垢なる者のために、自ら血を流せるか」
その最後の試練を乗り越えたオフェリアは、王女として王国に戻れることになる。パンもそばで祝福している。ついに念願がかなった。
だが、これは死ぬ間際にオフェリアが見ている幻想なのだ。彼女の亡骸を抱き泣いているメルセデスをみれば、そう思える。『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』のように、死ぬ間際に幸せな夢に浸っているのだろう。
これは、ただの「文学少女の夢オチだった」で片付けられるものではない。確かに、現実目線でみれば、オフェリアがドレスを泥だらけにし、高麗人参のような木の根を煎じて母親に飲ませて熱を下げた、くらいの事実しかない。
だが、パンの迷宮の話がまったくの妄想だったといえるだけの材料もないだろう。信じるも信じないもあなた次第。まるでデル・トロの最新作『ナイトメア・アリー』だ。
◇
仮に地下王国の話が現実ではなかったとしても、内戦後の圧政に泣く市民生活に加え、特に望まれぬ義娘となった挙句、戦死した父に続きただ一人の身寄りである母までも亡くしてしまった哀れな少女が、現実逃避から生み出した妄想を、ただの夢オチとしてしまうのは、あまりに忍びない。