『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』
37°2 le matin
今なお愛されるジャン=ジャック・ベネックス監督の代表作。愛に奔放に生きたベティの生き様。
公開:1986 年(1992年)
時間:120分(178分)
製作国:フランス
( )内は未公開シーンを加えた「インテグラル」版
スタッフ 監督: ジャン=ジャック・ベネックス 脚本: フィリップ・ジャン キャスト ベティ: ベアトリス・ダル ゾルグ: ジャン=ユーグ・アングラード エディ: ジェラール・ダルモン リサ: コンスエロ・デ・ハヴィランド
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
閑散とした海辺のバンガローで単調な日々を送っていたゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)のもとに、美しい女・ベティ(ベアトリス・ダル)が現れた。
ベティの野性的な魅力に惹かれたゾルグは、彼女が行き場のない身であることを知ると、自宅に住まわせることにする。激しく惹かれあうようになった二人は毎日のようにセックスに耽り、愛を確かめ合う日々が続く。
ある日ベティは、ゾルグが過去に書きためていた小説を偶然発見し心酔するようになる。ゾルグの才能を稀有のものと確信し、作品の書籍化のために奔走するも各出版社の反応は冷たく、ベティの迸るような情熱は空回りし続け、失意に陥る。
ゾルグは穏やかな愛情で彼女を包もうと懸命に努めるも、ベティのストレート過ぎるほどの感情表現はエスカレートして行く。
今更レビュー(ネタバレあり)
ベネックス監督の置き土産
2022年1月に亡くなったジャン=ジャック・ベネックス監督の『ディーバ』と並ぶ代表作。ベネックス監督はデビュー当時、リュック・ベッソンやレオス・カラックスとともに<恐るべき子供たち>と呼ばれ、その芸術性と先鋭さで80年代のフランス映画界を牽引した。
21世紀に入ってからは目立った活躍はないが、本作はそのカルト的な人気から、日本初公開から25年を記念して2012年にデジタル・リマスター版がリバイバル公開された。
◇
本作は愛と性に奔放に生きる女性ベティと、作家志望の青年ゾルグとの衝撃的な愛の行方を描いている。当初公開版から60分近い未公開シーンを加えた「インテグラル版」、更に日本では猥褻シーンと映倫に判断された部分を1シーンを除き無修正に復活させた「ノーカット完全版」など、ベネックス監督の強い思い入れもあり、現在入手できる版に至るまでには相当の苦難があったようだ。
今回、私が鑑賞したのは178分のインテグラル・リニューアル完全版。ただ、面白いことにディレクターズカットである長尺のインテグラルよりも、一時間短い当初公開版の方がベティの心情が伝わってきて好きだというファンもいるらしい。このあたりが映画の奥深さだろう。
冒頭にいきなりベティ(ベアトリス・ダル)とゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)の激しく濃厚なベッドシーンがしばらく展開される。この調子で三時間、愛欲の日々を見せられるのはたまらんなあ、と思っていたが、ここまで濃厚なシーンは冒頭だけだったので安心する。
とはいえ、ベティの裸のシーンは数多く登場するし、意外なことにゾルグが一人全裸でブラブラさせているシーンはそれ以上に目につく。けして猥褻には感じないが、これが苦労して勝ち取った<無修正>の正体かと思うと、ちょっと笑える。
ペンキ塗り立てバンガロー
物語は何度か舞台を移すが、まずは海辺のコテージでの二人の出会い。近隣のバンガロー群の雑用仕事で生計を立てている作家志望のゾルグのもとに、まるで裸にエプロン姿のようなベティが転がり込んでくる。二人は激しく惹かれ合い、セックスとテキーラにまみれた怠惰な日々を過ごすようになる。
家主の命令で一帯のバンガロー全軒のペンキ塗りを命じられたゾルグ。一軒目ははしゃいで手伝ったベティだが、まだ仕事は大量にあると知り激昂。ピンクのペンキを家主のシトロエンに撒き散らす。
この海辺の章は明るく奔放で、本作の中では最も楽しいパートだ。陽光を浴びてきらめく水色とピンクのペンキが高揚感をもたらす。ベティはゾルグの書き溜めていた大量の原稿を読破し(意外に読書家なのだ)、彼の才能を確信する。
こんな所で文豪の卵をペンキ塗りの雑用に埋もれさせてはいけない。ベティは口うるさい家主を二階から突き落とし、火のついたランプを家に放り込み、家を全焼させて、町から二人で飛び出していく。
カラックスの『ポンヌフの恋人』に対抗するかのような、派手な炎上シーンだ。何をやらかすか分からない直情的な女、ベティ。その破天荒ぶりは、更にエスカレートしていく。
巴里の空の下
次の舞台はパリだ。ベティの親友のリサ(コンスエロ・デ・ハヴィランド)が経営するアパートに住まわせてもらい、ベティはゾルグの大量の原稿を日夜タイプで打っては、パリじゅうの出版社に売り込みでそれを郵送する。
勝手気ままに生きる二人だが、ここパリでは交友関係がひろがり、リサとその新しい恋人のエディ(ジェラール・ダルモン)と親しくなっていく。だが、ベティの奇行は更に激しくなり、人に危害を及ぼすようになる。
◇
エディが経営するピザ・ストロンボリで働きだす二人だが、傲慢な女性客にヒステリーを起こすベティがフォークで客を刺すのが怖い(腐った食材や煙草の灰でピザを焼いて報復するゾルグの方が陰湿だけど)。
更には、送った原稿を酷評してきた編集者のひとりに殴り込みをかけ、ベティは落ちていた櫛で彼の顔を傷つける。運よく話の分かる警察官と出会い、ゾルグは編集者からの告訴取り下げに成功するが、ベティの行動はそろそろ危険水域に足し始める。
ピアノ店の経営
次の舞台はエディの故郷。エディの母が亡くなり、そのピアノ店の経営を任されるようになったベティとゾルグ。だが、この町でもベティの奇行は止まらない。死人のベッドは耐えられないとエディの母親が使っていたマットを深夜に捨てたり(翌朝登場の片腕フックのゴミ収集人が怖い)、夜中の町を裸同然の格好で走り回ったり。
ベティに振り回され放しのゾルグだが、二人の愛の絆は強く結ばれている。そして20歳を迎えたベティは、ある日ゾルグに妊娠したみたいと告げる。
ロゴデザインのカッコよさに気を取られて見過ごしがちだが、本作の原題<37°2 le matin>つまり『朝、37度2分』は女性が最も妊娠しやすい体温のことで、愛とセックスの完全燃焼点を表したものだという。
摂氏表示では米国市場に受けないからか、英語タイトルは<Betty Blue>、邦題もそれに倣う。
本作でのベティのイメージカラーはブルー、対するゾルグは衣装や衝動買いのベンツの色にも、イエローが多く用いられている。二色は補色に近い色合だが、ピアノ店で二人が伴奏する映画のテーマ曲のあたりから、美しく融合していく。
精神を病んでいくベティ
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
子供を生むことは、ベティにとっては大きな喜びだったのだろう。だが、突如ベティは失踪してしまう、妊娠検査結果陰性の通知書を残して。精神的なダメージの大きさは、戻ってきた彼女のピエロのようなメイクと泣きはらした顔で分かる。
◇
そこから二人は人生を踏み外していく。ゾルグは女装して警備会社を襲って大金を手に入れる。ベティは海岸で見知らぬ子どもを誘拐してしまい騒ぎになりかける。そしてついにある日、家に一人でいたベティは、自分の右目をえぐってしまい、病院に運ばれる。血だらけの部屋が凄惨だ。
大量の投薬でベティにはもはや意識はない。何をするか分からない彼女は、眼帯をして寝台にベルトで拘束されている。皮肉なことにこのタイミングで、ベティのこれまでの献身的な努力が実ってついに一社からゾルグの原稿に契約したいとの連絡が入る。だが、その吉報に喜んでくれるベティはもういない。
植物人間のようになったベティの病室に忍び込み、ゾルグは枕を彼女の顔に押しあてる。愛すればこそ、尊厳死を与えたい。ミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』の老夫婦にも通じる、愛の表現だ。
ラストシーンに登場する、二人が幸福だった時期に撮ったペンキ塗りの合間に撮った記念のスナップショット。ベティがこんな屈託のない笑顔を見せたのは、いつが最後だっただろう。178分の重みが伝わる。
キャスティングについて
本作のベティ役で衝撃的な映画デビューを果たしたベアトリス・ダル。
ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1992)では盲目で知的なタクシー乗客を演じるが、本作での目をえぐる自傷行為との因縁があるのかもしれない。
この当時の彼女は水原希子によく似ている。『彼女』(廣木隆一監督)で水原が妖艶に演じている主人公なども、ベティのイメージとダブってしまう。
◇
そしてゾルグ役のジャン=ユーグ・アングラード。こちらもベッソンの『サブウェイ』のローラー男からの大抜擢だ。
彼はクリント・イーストウッドが映画化もした『15時17分、パリ行き』の高速鉄道タリスでの銃乱射事件に実際に乗り合わせ、軽傷を負ったことでも知られる。彼は本作以降、『青い夢の女』(2000)でもベネックス監督と組んでいる。
本作は二人の男女の奔放な生き方に好き嫌いが分かれるところだろうし、苦手な人に三時間の長尺は耐え難いとも思うが、いかにもフランス映画らしい愛の描き方ではないか。
ジャン=ジャック・ベネックス監督。『ディーバ』とはまるで異なる映像体験であるが、カルト的なファンがいるのも肯ける。そういえば、『ディーバ』で人気の出た個性派俳優ドミニク・ピノンは、本作でゾルグに買い叩かれるドラッグの売人としてワンカット出演していた。