『クライマッチョ』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『クライマッチョ』考察とネタバレ|落ちぶれたロデオ・スター

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『クライ・マッチョ』 
 Cry Macho

クリント・イーストウッド監督デビュー50周年・40作目となる本作は過去作の集大成的な作品。落ちぶれた英雄が、男の強さを語る。

公開:2022 年  時間:104分  
製作国:アメリカ
  

スタッフ 
監督:     クリント・イーストウッド
脚本:        ニック・シェンク
原作:     N・リチャード・ナッシュ
            『クライ・マッチョ』
キャスト
マイク:   クリント・イーストウッド
ラファエル:  エドゥアルド・ミネット
マルタ:     ナタリア・トラヴェン
ハワード:     ドワイト・ヨアカム
リタ:     フェルナンダ・ウレホラ
アウレリオ:オラシオ・ガルシア・ロハス

勝手に評点:3.0
  (一見の価値はあり)

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

あらすじ

かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)だったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれていき、家族も離散。いまは競走馬の種付けで細々とひとり、暮らしていた。

そんなある日、マイクは元の雇い主ハワード(ドワイト・ヨアカム)から、メキシコにいる彼の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を、前妻リタ(フェルナンダ・ウレホラ)から連れ戻してくるよう依頼される。

親の愛を知らない生意気な不良少年のラフォを連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイクだったが、その旅路には予想外の困難や出会いが待ち受けていた。

レビュー(まずはネタバレなし)

アニバーサリー作品なのは分かるけれど

クリント・イーストウッド監督デビューから50年、40作目という記念碑的な作品。年齢的にもこれが最後の主演だろうと思われた『運び屋』(2018)から再びスクリーンに戻り、更には原点復帰するような<西部劇>スタイルの新作は、彼の映画人生の集大成ともいえる内容になっている。

それにしても、本作を待ちきれなかったファンは東京国際映画祭の初公開に押しかけたのだろうが、公開初日の都内シネコンで、何と観客が私ひとりの完全貸切上映とは寂しい限り。

彼の新作が不人気ということではなく、数日前から再び感染者数激増のコロナ影響によるものだろうが、一人の映画愛好家として、映画館を応援しなければという気持ちが一層強まる。

さて、本作。もはや神の境地にあると言ってもいいクリント・イーストウッド監督のアニバーサリー映画とあっては、映画業界に籍を置く者は異口同音に美辞麗句を並べて褒め称えるのではないか。

私はなんのしがらみのないので好き勝手に言わせてもらうが、この作品は無名の監督が老いた俳優で撮ったのだとすれば、凡作だと思う脚本が弱すぎるために、感極まるポイントが有効に機能しないのだ。

だが、観るに値しないかというと、そうではない。だって、無名な監督の作ではないから

クリント・イーストウッドの監督作ならきっと面白いと信じられる人や、彼が元気にスクリーンで頑固な老人を演じていたずらっ子のようにニヤリと笑う姿を見たい人なら、観ておいて損はない。あと何本、映画の神様イーストウッドが我々に新作を見せてくれるかはわからないのだから。

『グラン・トリノ』から『運び屋』、或いは監督作ではないが『人生の特等席』も含め、ここ10数年でクリント・イーストウッドが演じてきたのは、一貫して気骨ある老人男性。そのワンパターンを退屈な反復とみるか、車寅次郎的な安心感とみるかは人それぞれだ。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

簡潔かつテンポの良い滑り出し

映画は冒頭、一人の男がボロ車でテキサスの荒野をやってくる。主人公マイク・マイロ(クリント・イーストウッド)は雇い主ハワード(ドワイト・ヨアカム)から解雇を言い渡される。

マイクはかつてロデオの英雄だったが、落馬で怪我をして以来、転落人生であることが、彼の部屋に貼られた複数の新聞記事で簡潔に伝えられる。

一年後ハワードはマイクに、別れた妻リタに引き取られ、メキシコで暮らす息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を奪還してほしいと依頼する。

「息子は虐待されているに違いない。お前のようなカウボーイが迎えにいけば、あいつは戻ってくる」

かつて金銭面で世話になった恩人のたっての依頼とあれば、断れない。誘拐スレスレの仕事は気が進まないが、マイクはメキシコの国境を超える。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

ボロ車でメキシコに入り国道を走らせるマイクの脇を、彼に並走するように馬の群れがついていく姿が絵になる。

厄介仕事を引き受けたかつてのロデオ・スター、ここまでの展開は実にテンポよく無駄がない。スピーディにサクサクと撮影を進めるクリント・イーストウッド監督らしい作風だ。

彼はハワードの元妻リタ(フェルナンダ・ウレホラ)の暮らす大邸宅でパーティに紛れ込むが、すぐに彼女の部下たちに捕まる。

「あんたで三人目よ。息子を取り返しにあの男が差し向けたのは」
なんと、ハワードめ、騙しやがったな。不良息子のラフォには手が付けられないとリタは嘆くが、マイクは闘鶏場で彼をみつけ、説得の末、連れ出すことに成功する。ここから、老人と少年、ニワトリ一羽の珍道中が始まる。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

いろんな意味で集大成

誘拐となれば『パーフェクト・ワールド』(1993)、少年との旅なら『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)あたりが脳裏をよぎる。イーストウッドが馬に乗るのは『許されざる者』(1992)以来30年ぶりだとか。

ピュアな西部劇ではないものの、TVシリーズ『ローハイド』でブレイクした彼がカウボーイハット姿で登場し久々に馬に乗る姿は、往年のファンも感慨無量だろう。

ついでに本編中の衣装にも、『ダーティファイター燃えよ鉄拳』(1980)や『ブラッド・ワーク』(2002)で着用したジャケットが使われているらしい。いろんな意味で、集大成なのである。

ラフォ少年を連れたメキシコの逃走、リタの命を受けて彼らを追うアウレリオ(オラシオ・ガルシア・ロハス)、孤軍無援かとおもったところに出会った田舎町のダイナーの女主人マルタ(ナタリア・トラヴェン)

生きる上で必要な<強さ>とは何かを、自分の愚かだった人生を振り返って、マイクは少年に語り掛ける。はたして、マイクは無事にラフォを父親の元に送り届けることができるのか。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

ラフォはなぜマイクに惹かれたか

中盤、メキシコの田舎町で出会ったダイナーのマルタ、そして彼女の孫娘たちが、警察に追われているマイクたちを匿い、そして心が通じ合うようになっていくくだりは、とてもいい感じだ。

バイリンガルのラフォを通じてしか、スペイン語圏の彼女たちと意思疎通できないもどかしさも良いし、耳が不自由な孫娘の幼女に対して、マイクは手話が使えるという不思議なバランスも面白い。そういえば、同じメキシコ国境をめぐる『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』のベネチオ・デル・トロも、少女とは手話だったな。

本作の主題が彼女たちとの心の交流なのであれば、優れた作品だと思う。だが、私が今一つしっくりきていないのは、ラフォの心情と行動に共感できない点だ。

彼は母に連れられアメリカを離れ、メキシコの強い男<マッチョ>に憧れて育つ。男狂いの母を見捨て、誰も信用せずに孤独に生きる少年だ。相棒は、闘鶏の<マッチョ>一羽だけ

そんな彼が、「父親が大牧場で君に戻ってきて欲しがっている」との甘言にウマウマとのせられて、すぐその気になるのは単純だが、理解できる。何せ、まだ13歳位の子供だ。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

だが、父親が愛情から息子を奪還したいのならよいが、母親同様に息子を所有物扱いし、満期を迎える投資を取り戻す手札としてラフォを手元に置きたいというのがこの依頼の動機なのだ。

そこに、恩義あるマイクが従って命がけで彼を奪還する話だろう。この父親ハワードは、最後まで魅力ある人物には描かれないために、ラストシーンに感動していいのか疑わしい

強さマッチョ>にしてもそうだ。少年は当初はただ事務的に仕事を引き受けただけのマイクに、そのカウボーイとしての強さに惹かれ、尊敬し始めなければいけない。

その重要なワンシーンは、マイクの荒馬さばきだと思うが、さすがに唯一マイクが野生馬を乗りこなすロデオシーンは、スタント代替がミエミエだ。

そりゃ老体自らロデオができるとは思わないが、ここに代役は寂しい。本人の乗馬シーンをもう少ししっかり見せれば、ラフォが憧れる存在としての説得力が増したと思う。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

ご都合主義にはまいった

物語がご都合主義なのも程度問題だ。マイクたちが逃げ込んだ町の保安官代理は、マイクがドリトル先生なみに(自嘲するのが笑)町の人々の家畜やペットを診てあげることで、すっかり骨抜きの善人になってしまう。それはいいが、もう少しハラハラさせてもよかった。

その分、追いかけてきた警察車両の警官たちに路上で取り調べられるシーンはハラハラさせるが、麻薬所持の車内チェックしかしないので、現物が出ずにすぐ退散。これはストーリー上には殆ど意味がなく、『運び屋』のセルフパロディにしか思えない。

だいたい、クルマのシートを切り刻んでおいて、麻薬が出なければ「では、気を付けて」で放免って、メキシコの警察仕事ってそんなものなのか

極めつけは、母親リタと手下のアウレリオの仕事ぶりか。リタは登場時には偉そうだったが、序盤以外には姿を見せず、追っ手も一人だけと中途半端な追跡ぶりだ。

しかもこのアウレリオは、せっかく彼らのクルマに追いつきラフォを奪還しようとしても、二度ともあっけなく返り討ちにあってしまうのだ、それもニワトリに!

本作で本当に強いのはニワトリの<マッチョ>だけなのかもしれない。さすが11羽用意して演技に臨んだだけはある。

結局、われらがイーストウッドは今回、アウレリオの落とした拳銃を拾っただけで、戦うことは一切なく、少年を無事に国境まで送り届けるのだ。戦うだけがマッチョではないということか。

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

そしてラストシーンでは

ラストシーン、メキシコからアメリカの入国って、子供だからってあんなに手ぶらでスルッと行けるものなのか? この入管場面でドキドキさせてきた作品は多かったと思うけれど。

マイクはアメリカに戻らない道を選ぶのならば、ラフォも連れてってあげればよかったのに。彼は父親の元へと帰っていくのだが、そこに幸福があるとはとても思えない。これでは、カネと義理のために請負仕事を片付けただけじゃないのか。

いや、頼んます、神さま、イーストウッドさま。記念碑は抜きで、本作で終わらず次回作でマッチョな生き様を見せてくれ。