『運び屋』
The Mule
クリント・イーストウッドが実に10年ぶりに自らの監督作品に主演でカムバック。90歳で麻薬の運び屋となり、堕ちていく老人。
公開:2019年 時間:116分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリント・イーストウッド キャスト アール: クリント・イーストウッド コリン・ベイツ捜査官: ブラッドリー・クーパー 主任特別捜査官: ローレンス・フィッシュバーン トレビノ捜査官: マイケル・ペーニャ メアリー: ダイアン・ウィースト アイリス: アリソン・イーストウッド ジニー: タイッサ・ファーミガ ラトン: アンディ・ガルシア フリオ: イグナシオ・セリッチオ グスタボ: クリフトン・コリンズ・Jr
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)だったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。
商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。
レビュー(まずはネタバレなし)
自作に10年ぶりに主演のイーストウッド
クリント・イーストウッド監督は、本年で監督デビュー50周年だそうだ。俳優が映画監督に乗り出す例は珍しくないが、そのどちらにもここまで長期にわたり本格的に取り組み、しかも質の良い作品を提供し続けている映画人をほかに知らない。
それも、監督作だけで『恐怖のメロディ』(1971年)から数えて公開間近の『クライ・マッチョ』で40作品。だてに50周年というだけでなく、コンスタントに作品を撮り続けているのだから恐れ入る。
◇
さて、本作ではそのクリント・イーストウッド監督が、『グラン・トリノ』以来10年ぶりに自身の監督作品で主演を果たす。10年前で既に頑固な老人の役だったが、本作では更に歳を重ね、御年88歳の彼が90歳の老人を演じる。
今回も偏屈じいさんぶりは変わらないが、気骨ある男だった前作に比べれば、本作は家族にも見放された、扱いの難しそうな老害ジジイが主人公。
家族よりもデイ・リリーが大事
ユリを育てて販売する園芸の仕事がネットビジネスの台頭で破綻し、家屋敷も差し押さえられたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)。
カネに困った彼はオンボロのピックアップトラックに乗って、長年疎遠だった娘夫婦の家を訪れ、孫娘の婚約パーティからけんもほろろに追い返される。
そんなアールが全米を仕事で走り回っていた優良ドライバーだと知った怪しげな男から、簡単にカネになる仕事を紹介される。それが運び屋だった。
◇
原題のミュールと聞くと、『そして、ひと粒のひかり』(2004年)というコロンビア映画を思い出してしまう。妊娠して金に困った少女が、麻薬の袋を飲みこんで密輸を繰り返すという壮絶な物語だ。
あのようにして、体内やスーツケースに忍ばせた麻薬を密輸入する運び屋を、ミュール(ラバですね)というのだと思っていたが、本作のアールのように、ピックアップに大量の麻薬入りのバッグを積んで、大陸を運搬するドライバーも、ミュールというのか。まあ、邦題は分かりやすく『運び屋』だから、関係ないけれど。
クリント・イーストウッド監督の近年の作品『15時17分、パリ行き』・『ハドソン川の奇跡』・『リチャード・ジュエル』などと同様に、本作は実在の人物や事件をベースにした物語になっている。
モデルとなったのは、第二次大戦従軍後にデイ・リリーの栽培の達人として名を挙げた園芸家のレオ・シャープなる人物。事業が傾いた彼は、<エル・タタ>(じいさん)の愛称のミュールとしてメキシコの麻薬カルテルの下、大量のブツを運んだ。
「デイ・リリーと同じようにコカインは人々を幸せにする植物だから、運び屋をやった」と語ったそうだが、さすがに映画にはそんな台詞は登場しない。
堕ちていく、外面のよい老人
主人公アールは、極めて社交的で外面のよい人物として描かれている。毒舌で口は悪いが、お調子者で、女性相手には軽口も叩き、花の品評会でも人気者だ。
だが、仕事に打ち込む彼は、家庭を全く顧みなかった。娘アイリス(アリソン・イーストウッド、実の娘でもある)とは結婚式をすっぽかしたことで長年断絶状態にあり、妻のメアリー(ダイアン・ウィースト)からも総スカンを食らっている。
そんな孤立状態のアールが、家も差し押さえられ、ふと目の前に差し出されたカネになる仕事に乗ってしまう。それが運び屋だ。
<一回目>では、勝手もわからず、怪しげなメキシコ人の連中の言いなりでケータイを持たされ、指示場所に積み荷ごとクルマを走らせる。何のことやら意味不明ながら、簡単に大金を手に入れたアール。
家族でただ一人自分を慕ってくれる孫娘ジニー(タイッサ・ファーミガ)の結婚パーティに金を出し祖父としての体裁を保ち、あわよくばと家族の復縁も試みるも、妻と娘は心を閉ざしたままだ。
「家族だって、あなたの大事な花と同じ、丹精込めて手入れしなければ駄目になってしまうのよ」
ダークサイドからは、戻るに戻れない
さて、仕事は一度きりのつもりだったアールだが、当然これで終われるはずがない。差し押さえられた家を取り戻すべく滞納税金を支払ったり、火事で焼けてしまった退役軍人クラブのバーの再建費用を出したり。
運び屋の回数を重ねるうちに、金遣いは派手になる。廃車同然のぼろいフォードのトラックは、高級な新車のリンカーンのピックアップに変わる。米国だからか、90歳だというのに免許返上の気配はまるでないのが、ちょっと怖い。
◇
人はこうしてダークサイドに落ちていくのだなあ。こんな気位の高そうな老人でも、貧すれば鈍すで簡単に犯罪に手を染め、もはや元の生活に戻れなくなる。
興味本位で覗いた積み荷に大量の麻薬をみつけ、更には警察の尋問をはぐらかし、警察犬の鼻を痛み止めの塗り薬(メンソール系?)で効かなくさせて窮地を脱する狡猾さも見せる。
「俺は戦争にだって行っているんだ」と、屈強で危なそうな連中にも決して怖気づかない。カーラジオに合わせて気持ちよく歌いながら、ボスの命令に背いて勝手なルートを走る。
クリント・イーストウッドが演じるいつものキャラのようであるが、情けないほど犯罪に染まっていくところがいつもと違う。そこにはヒーローの面影はない。
こちらは悪を追う、共演者たち
本作で正義の役を担っているのは、『アメリカン・スナイパー』でもイーストウッドと組んだブラッドリー・クーパーだ。彼が演じるコリン・ベイツ捜査官が麻薬ルートを追いかけ、大物の運び屋を摘発しようとする。
上司であるローレンス・フィッシュバーンとの警察内部のやりとりが、いかにもステレオタイプな描写で、これは興ざめ。手抜きとしか思えない。この二人を使って、あれほどつまらないシーンがよく撮れたものだ。せめてロケ地を署内の廊下以外にすればよかったのに。
相棒のトレビノ捜査官のマイケル・ペーニャとローレンス・フィッシュバーンは『アントマン&ワスプ』で共演したことに気づく。
レビュー(まずはネタバレなし)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
12回目となり、緊張は高まっていく
運び屋家業は<12回目>まで回を重ねる。ベイツ捜査官たちの捜査の手は着実に獲物を追い詰めつつあり、観客がハラハラと見守るなかでアールはハイウェイを走り続ける。
タレコミ屋の情報でモーテルを張り込むベイツたちはアールの至近距離まできたものの、まさか大物運び屋が老人とは気づかない。追う者と追われる者が、朝のダイナーで顔を合わせる。
「家族のことを大切にしろよ。俺はしくじったから」とアールがベイツ捜査官に世間話にまぎれて語る。大きな動きなどない、ただのカウンターでの会話シーンだが、観る者には、本作で一番の緊張感が伝わる。
麻薬カルテルのボスだったラトン(アンディ・ガルシア)は、「あのじいさんには好きなようにやらせろ」と大目に見てくれたが、ラトンが腹心の部下に射殺され代替わりし、時間厳守の厳しい管理下におかれるアール。
最後に取り戻したもの
そんな折に、妻が重病で入院したとの連絡が入る。仕事で戻れないんだ。その言葉で唯一の理解者だった孫娘を失望させたアール。だが、ついに仕事を投げだして妻の病院に駆け込む。
「これまでどうやってあんな大金を稼いだの?」
そう尋ねる妻は真実を語っても、信用してくれない。
「でもね、そばにいるために、お金なんて要らないのよ」
◇
妻は亡くなるが、アールは、戻るべき家庭をようやく再び手に入れる。妻の病気による予定外の行動が、アールの逮捕を早めたのかは、何とも言えない。ただ、最後に仕事より家族を選んだことに、後悔はなさそうだ。
ベイツに逮捕されたアールの表情には、どこかホッとしたものが読み取れる。
「私は有罪だ。」
自分の裁判で弁護士を制してあっさり自分の罪を認めるアール。土壇場で少しだけ気骨ある正義感が滲み出た。
これだけやりたい放題だった運び屋を、ラストで英雄にしてしまうのではないかと懸念していたが、さすがに節度あるエンディングだったと思う。