『フランケンシュタイン』
Frankenstein
ギレルモ・デル・トロ監督が、長年恋焦がれてきた古典的名作『フランケンシュタイン』をついにリメイク。
公開:2025年 時間:150分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督・脚本: ギレルモ・デル・トロ
原作: メアリー・シェリー
キャスト
ヴィクター・フランケンシュタイン:
オスカー・アイザック
怪物: ジェイコブ・エロルディ
ハインリヒ・ハーランダー:
クリストフ・ヴァルツ
エリザベス・ハーランダー: ミア・ゴス
ウィリアム・フランケンシュタイン:
フェリックス・カマラー
レオポルド・フランケンシュタイン:
チャールズ・ダンス
盲目の男: デイビッド・ブラッドリー
アンデルセン船長: ラース・ミケルセン
ラーセン航海士: ニコライ・リー・カース
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
己の欲望に駆られたヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)は、新たな生命の創造という挑戦に乗り出す。
そして、その果てに誕生した「怪物」(ジェイコブ・エロルディ)の存在が、人間とは何か、そして真のモンスターとは何かを問いかけることとなる。
レビュー(ネタバレあり)
イケメンのフランケンなのか
NETFLIX独占配信作品だが、劇場でも限定公開。アカデミー賞でも作品賞等9部門でノミネート。
フランケンシュタインといえば、大きな体躯に広い額、奥まった目にツギハギのような縫い目、ゾンビのようにのそのそとした歩き方。分かり易くいえば『怪物くん』のフランケンがステレオタイプのイメージだろう。

だが、ギレルモ・デル・トロが長年の夢だったという『フランケンシュタイン』のリメイクでは、そのイメージが覆される。
◇
クリーチャー(怪物)と呼ばれるその生き物は、まるでギリシャ彫刻のような美しい肢体と精悍なマスク。
演じるのは、『嵐が丘』(2026)でマーゴット・ロビーの相手役を務めるジェイコブ・エロルディ。こんなイケメン・フランケンとは驚いた。
もっとも、この怪物をフランケンシュタインとは誰も呼ばない。その名は、怪物の創造主である主人公のヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)のものだから。
第1章「ヴィクターの話」
映画は冒頭、北極の氷上で不死身の怪物にデンマーク海軍の探検船が襲われる。怪物の標的はヴィクターだ。
瀕死の重傷を負っているこのヴィクターははじめ被害者のような顔で登場するが、第1章「ヴィクターの話」を観れば、こいつが戦死者の遺体を集めて怪物を作り上げたマッドサイエンティストであることが分かる。
高名な外科医で異常なまでに厳格な父と、弟の出産で命を落とした母。屈折した家庭環境は医者を目指していたヴィクターの人格形成にも影響し、彼は死体を繋いで電流を流すことで生命を創り出す研究に夢中になる。

このあたりのゴシック・ホラーの雰囲気はさすがギレルモ・デル・トロはセンス抜群で、実に良い。ヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』のウィレム・デフォーが演じる科学者も、こんなヤバい感じだったか。
ヴィクターの研究の支援者を名乗り出るハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)は、いつもなら配役からも一番の悪党ポジションのはずだが、本作では<怪物>に志願するも全身梅毒に侵されておりヴィクターに却下され、あっさり事故死。ちょっと退場が早くて寂しい。
ハーランダーの死とほぼ同時にヴィクターの実験装置では、戦死者の遺体のリンパ腺に落雷からの高圧電流が流れ、ついに怪物が誕生する。

デル・トロの異形の者への愛情
「ヴィクター、ヴィクター」と〇〇の一つ覚えのように創造主の名を連呼するほかは何も言葉を知らない怪物の誕生に、ヴィクターは喜ぶ。
だがすぐに、こいつを鎖でつないで、猛獣の調教師のように鞭で折檻するようになる。このあたりから、ヴィクターの本性がハッキリとみえてくる。
◇
そして、死んだハーランダーの姪で、ヴィクターの弟ウィリアム(フェリックス・カマラー)の婚約者エリザベス(ミア・ゴス)が、重要な役を担い始める。昆虫好きで戦争を嫌う彼女は、怪物の存在を知ると優しく接し、慈愛を注ぐのだ。
ギレルモ・デル・トロの異形の者への偏愛からすれば、このクリーチャーは怪物というにはあまりに人間に近いが、それでもエリザベスと二人でいる場面などは、『シェイプ・オブ・ウォーター』に相通じるものがある。
結局同作に限らず、デル・トロが多くの監督作品の中で怪物を愛し好意的な目線で描き続けてきたのは、その根底にメアリー・シェリーによる古典ゴシック小説「フランケンシュタイン」への長年の憧憬があるからか。
◇
怪物が水に浮かぶ落ち葉を彼女にプレゼントしたり、エリザベスの名を呼ぶようになるあたりも心憎い演出。ミア・ゴスは『X エックス』三部作のおかげでスクリーム・クイーンのイメージしかなかったけど、こういう役もありだなあ。

「ヴィクター、ヴィクター」と低く響く声でゆっくりと話す端整なマスクの怪人。『プロメテウス』でマイケル・ファスベンダーが演じてたアンドロイドみたい。この手のキャラがヴィラン扱いにならないところはデル・トロの異形愛。
このジャンルの作品で、怪物と人間どっちが勝つかというプロットになっていないのは、原作由来なのか監督のアイデアなのか。
第2章「怪物の話」
いずれにせよ、前半でヴィクターに屋敷ごと燃やされて殺されかけた怪物は第2章「怪物の話」で、今度は怪物目線から真相を語り出す。
ろくに言葉を知らなかった怪物が、目の見えない老人(デイビッド・ブラッドリー)の助けを借りて、すぐにいろいろなことを習得してしまう。
それと共に、ヴィクターの屋敷を訪れ、自分が死体から生まれた、「何者でもなかった存在」だと知り、絶望する。

はじめに怪物にハーランダー殺しの濡れ衣を着せたのはヴィクターだが、狼に襲われて老人が死んだ時も、自分の身代わりになってエリザベスが凶弾に倒れた時も、人間たちは怪物が殺したのだと誤解し、彼を攻撃した。
それ故、怪物が創造主のくせに自覚のないヴィクターを恨み、復讐する気になっても全く不思議ではない。にもかかわらず、怪物はヴィクターに「伴侶をつくってほしい」と懇願するのだ。
最後は感動の和解
死ねない肉体で孤独なのはつらい。だからこその願いだったが、ヴィクターはむげにこれを断る。
その後の紆余曲折を経て二人の回想を終えると、物語の舞台は最初の北極の探検船へと戻ってくる。そこには瀕死の重傷のヴィクターが横たわっている。

そして驚いたことに、ヴィクターは忌の際に、怪物に対して心からの謝罪をするのだ。そして怪物もそれを受け容れ、二人はすべてを水に流して心を通じ合わせる。
ラストシーンは一人で去っていく怪物と陽光のショットで、どこか希望を感じさせるものではあるが、人間界とは離れて、怪物は孤独に生きていくのだろう。
◇
心優しい怪物が、出会った人間たちにはいろいろと傷つけられて、最後には一人の城に帰っていく。これってつまり、ギレルモ・デル・トロにとっての『シザーハンズ』ってことなのかもしれない。
ちなみに、ティム・バートンのフランケン映画は『フランケンウィニー』。犬だけど。
