『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』
Avatar: Fire and Ash
アバター第3弾。大家族を守るために、今度は同じナヴィの敵に立ち向かうジェイクとネイティリ。
公開:2025年 時間:197分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: ジェームズ・キャメロン
キャスト
ナヴィ/ オマティカヤ族(森の民)
ジェイク・サリー: サム・ワーシントン
ネイティリ: ゾーイ・サルダナ
ロアク: ブリテン・ダルトン
キリ: シガニー・ウィーバー
スパイダー: ジャック・チャンピオン
トゥク: トリニティ・ジョリー・ブリス
ナヴィ/ メトカイナ族(海の民)
トノワリ: クリフ・カーティス
ロナル: ケイト・ウィンスレット
ツィレヤ: ベイリー・バス
ナヴィ/ アッシュ族(火の民)
ヴァラン: ウーナ・チャップリン
ナヴィ/風の部族(ウィンドトレーダーズ)
ペイラック: デヴィッド・シューリス
地球人(スカイ・ピープル)
マイルズ・クオリッチ:
スティーヴン・ラング
セルフリッジ: ジョヴァンニ・リビシ
アードモア将軍: イーディ・ファルコ
ガーヴィン博士:ジェマイン・クレメント
スコーズビー船長:ブレンダン・カウエル
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
パンドラの先住民ナヴィの生き方に共感し、自らもナヴィとなって彼らとともに生きる道を選んだジェイク・サリー(サム・ワーシントン)。
人類の侵略によって神聖な森を追われたジェイクと家族、仲間たちは、海の部族メトカイナ族と共闘し、多くの犠牲を払いながらも人類を退けることに成功した。
しかし、そんなジェイクたちが、今度は灰の部族アッシュ族と対峙することになる。アッシュ族は過去に、パンドラの調和を司る神のような存在である「エイワ」に何らかの裏切りを受け、絶望していた。
静かに、しかし激しく怒りを燃やすアッシュ族のリーダー、ヴァラン(ウーナ・チャップリン)に、ジェイクの因縁の敵であり、自らもナヴィとなったクオリッチ大佐(スティーヴン・ラング)が近づく。両者が手を組むことで、ジェイクたちサリー一家を追い詰めていく。

レビュー(若干ネタバレあり)
水の次は火と灰
ハイテク技術を駆使して壮大なエンタメ作品を作り上げ、歴史的なヒット作をものにしてきたジェームズ・キャメロン監督だが、CGやデジタル技術が発達した今でも、このシリーズには人間味にこだわり続けている。
勿論、多くの登場人物は人間ではないわけだが、俳優の動きや表情をモーション・キャプチャーでとらえ、その再現力の向上に、特に力を入れているという。
◇
確かに、『アバター』の頃にはまだ異形の生き物にしか見えなかったナヴィの人々は、本作では中に人間が入っているようにしかみえないレベルになっている。
まるで劇団四季の『ライオンキング』か『キャッツ』を観ているかのようだ。人間が演じているからこそ、人々に感動を与えられるとキャメロン監督が言うのも肯ける。
1作目『アバター』が森、2作目『ウェイ・オブ・ウォーター』が水で、本作『ファイヤー・アンド・アッシュ』は火が主題に採り入れられる。シリーズ5部作までたどりつけるのなら、次のテーマは土か金あたりか。
それはさておき、本作は当初、1作目の続編として壮大なスケールの物語を構想していたものが、二作品に分けられている。
2作目ともども3時間越えの大作なので、分けてもらって正解だったが、その経緯から、前作で展開した物語にケリがつく位置づけといえる。

さすがに3D映画の新境地を切り開き歴史的ヒットを飛ばした『アバター』のインパクトには及ばないが、技術的な進歩もあって、映像の美しさは回を追うごとにレベルアップしており、瞠目するものがある。
もはや絶滅危惧種になりつつある3D映画の灯を消さないためにも、このシリーズの存在意義は大きい。
大家族と新たなる敵
ジェイクと妻のネイティリは前作で長男のネテヤムを亡くしたが、次男ロアクと幼い娘のトゥク、そして養子のキリとスパイダーという5人の大家族で暮らしている。

キリは<エイワ>と一体化したグレース・オーガスティン博士(シガニー・ウィーバー)のアバターから生まれた娘。
スパイダーはジェイクの宿敵クオリッチの息子で人間(スカイピープル)だから、マスクがないと窒息してしまう。
映画を観ているうちに、そのあたりの記憶が甦ってきて、どうにか悩まずにすんだ。
◇
前作から続く基本構造は、先住民ナヴィが自然と共生して暮らす惑星パンドラに地下資源を求めるスカイピープルたちが、村を制圧するために、抵抗勢力の首領であるジェイクを始末しようとする。

ナヴィの異なる部族たちが力を合わせて地球人に対抗しようとするのは前作と同じだが、今回はそこに、ナヴィでありながら<エイワ>を崇めない、火と灰の部族アッシュ族が登場し、地球人と同じようにジェイクたちを苦しめる。
その女性リーダーであるヴァランが今回のメイン・ヴィランである(紛らわしいな)。演じるのはチャーリー・チャップリンの孫ウーナ・チャップリン。
この残虐で暴力的な女傑ヴァランのキャラが痛快で魅力に溢れる。次作以降も活躍するのだろう。

結局戦うんだよ
そして、ヴァランと敵とも味方ともいえない不思議な協力関係となるクオリッチもまた、ただの憎まれ役だった前作とは少々異なる、面白いポジションをとる。
これは、自分の息子スパイダーがジェイクのもとで暮らしていることとも関わってくるのだが、ダース・ベイダーのように終盤で善人キャラになって息子と復縁したら興ざめだと心配していたら、うまい塩梅に収まってくれた。
ジェームズ・キャメロン監督が、今の時代は『ターミネーター』の頃のような暴力に溢れて好戦的な作品は撮れないという趣旨のことを語っていたので、もう、戦わない映画になっていくのかと想像していた。
だが、まるで違った。平和主義を掟として厳守しているトゥルクン(クジラみたいな生物)たちでさえ、参戦させてしまうのだから。
生きるため、家族を守るためには、戦わないといけないという展開は、やはり必要なのだ。
だって、反撃してくれないと、映画のカタルシスが得られないし。『果てしなきスカーレット』だって、結局救命士と一緒に戦ってたもんな。

スカイピープル推しにはなりにくい
ジェイクはクオリッチと何度も戦い合う。
「お互い海兵隊同士、約束だぞ」
家族の人質をめぐる交渉に、こんな台詞が出てくるのが米国映画らしい。どっちももはや人間ではないというのに。
一方、<エイワ>を信じるネイティリと信仰を捨てたヴァランの女同士の対決の迫力も、海兵隊たちに負けていない。
◇
キャメロン監督は、劇場で映画を観る行為を、その上映時間は映画だけに没入するというコミットメントなのだと語っている。
197分の超長編にまったく眠くもならずつきあえるか不安だったが、楽勝でミッションコンプリートできた。さすがエンタの神様監督だけはある。
西部劇スタイルをとっていながら、我々は原住民にすっかり肩入れしており、地球人が撃退されるのを待ち望んでいる。香港映画なんかで、悪人扱いされて描かれている日本兵に感情移入しにくい感覚に近いか。
結局威力を持つのはスカイピープルの銃火器類かと思っていたところに、巨大イカの群れが登場するのは、えげつないと思いつつ、溜飲は下がる。
◇
次回作があるかは、興行成績次第か。エンドロールには、長年キャメロン監督の盟友として多くの作品を支えてきて、昨年他界したプロデューサーのジョン・ランドーの遺影。
