『花まんま』
朱川湊人の直木賞原作を20年を経て初映画化。鈴木亮平と有村架純の演じる兄妹が経験した不思議な話。
公開:2025年 時間:118分
製作国:日本
スタッフ
監督: 前田哲
脚本: 北敬太
原作: 朱川湊人
『花まんま』
キャスト
加藤俊樹: 鈴木亮平
(幼少期) 田村塁希
加藤フミ子: 有村架純
(幼少期) 小野美音
中沢太郎: 鈴鹿央士
三好駒子:ファーストサマーウイカ
三好貞夫: オール阪神
山田社長: オール巨人
加藤ゆうこ: 安藤玉恵
加藤恭平: 板橋駿谷
繁田喜代美: 南琴奈
繁田宏一: 六角精児
繁田房枝: キムラ緑子
繁田仁: 酒向芳
勝手に評点:
(オススメ!)

コンテンツ
あらすじ
大阪の下町で暮らす加藤俊樹(鈴木亮平)とフミ子(有村架純)の兄妹。
兄の俊樹は、死んだ父と交わした「どんなことがあっても妹を守る」という約束を胸に、兄として妹のフミ子を守り続けてきた。
妹の結婚が決まり、親代わりの兄としてはやっと肩の荷が下りるはずだったのだが、遠い昔に二人で封印したはずの、フミ子のある秘密がよみがえる。
レビュー(まずはネタバレなし)
前田哲監督、失礼しました
はじめにお伝えしたいのは、本作は原作ファンの期待に十分以上に応える作品だったということ。
両親を亡くし二人暮らしで育った兄妹。だが妹には子供の頃から、過去に事故で亡くなった赤の他人の記憶があった。
朱川湊人の直木賞受賞短編集『花まんま』は好きな小説だった。受賞してから20年目に映画化というのも随分長いとは思ったが、観るつもりで原作も読み返した。
でも結局公開時には劇場に足を運ばなかった。だって、劇場予告があまりにベタな昭和ドラマを想像させたから。

「おまえは加藤フミ子や。繁田喜代美やない」
「わたしは私や!」
泣かせたいという感動強要演出にげんなり。原作をズタズタにした『そしてバトンは渡された』の再来かと嫌な予感がすると、なんと同じ前田哲監督のメガホン。だから敬遠していたのだ。
◇
でも、蓋を開けたら、全然違う。これが、あの『バトン』と同じ監督なのか?
ベタな泣かせ演出など感じさせない。小気味よくポンポンとぶつけ合う関西弁のおかげもあって物語は明るく進むが、キモの部分はしっかりと泣かせる。理想のバランスだ。
兄貴はほんま損な役回りやで
兄の俊樹(鈴木亮平)は自分が苦労して妹のフミ子(有村架純)の面倒をみてここまで来たのだと豪語する。
幼い頃に死んだ父(板橋駿谷)と母(安藤玉恵)に、「お兄ちゃんなんだから、妹を守ってやるんだぞ」と散々言われてきた、その約束を守っている。
20年前の原作だから発想が古いかと思っていたら、「今はジェンダーの時代やで」などと俊樹が口答えするではないか。
そもそも、婚約者の中沢(鈴鹿央士)に「フミ子さんをください」といわれ、「昭和か、キミは」と返すくらいだ。令和時代への焼き直しはできている。

両親がいないはずのフミ子が、なぜか次のシーンでは彦根の邸宅で老いた父(酒向芳)や兄姉(キムラ緑子、六角精児)に結婚の報告をしており、「おめでとう、喜代美」と祝福されている。
二人は別人なのか、同一人物なのか。原作未読の人が混乱するのはこのシーンくらいだろう。その謎解きは回想シーンに委ねられる。

兄やん、一生のお願いや
この公式サイトには、ご丁寧に全登場人物の相関図と過去と現在の詳細年表が載っている。
この作品はそんなものが必要なほど複雑ではないし、こんなものを観賞前に誤って踏んでしまったら興ざめだ。劇場予告編もそうだが、この映画の出来の良さに対して、広告宣伝が的外れすぎる。
(以下に触れる内容は公式サイトの記載レベルにとどめたつもりですが、何も知りたくない方は、読み飛ばしてください)

話は兄妹の幼少期に移る。6歳のフミ子はある日突然大人びてしまい、ジャポニカ学習帳に「繁田喜代美」と漢字で書いて埋め尽くすようになる(オカルトっぽい)。そして繁田家の家族の絵まで見せる(その絵が動くアニメもいい)。
自分には暴漢に殺されたバスガイドの喜代美(南琴奈)の記憶があるというフミ子は、俊樹に頼みこんで、記憶にある彦根の家を見に行く。
「兄やん、一生のお願いや。貯めとったお年玉や小遣い使うて、彦根に連れてって」
フミ子の幼少期を演じたおかっぱ頭の小野美音がうまい。目で芝居ができている。兄の俊樹役の田村塁希に連れられて二人で旅する姿は、関西弁のせいもあって『火垂るの墓』の兄妹を思わせる。
この10歳の兄も、「絶対会ったらあかん」と妹に約束させていた繁田家の人々にみつかってしまった時に、「僕たちは立派な親に育てられた子供で繁田とは何の関係もないんや」と正々堂々と語るところが頼もしい。
<花まんま>ってこういうものか
<花まんま>とは、子供がママゴト遊びで作る、ごはんやおかずに見立てた花を入れた弁当箱のことだ。原作にもきちんと描写されていたが、今回実物を見られたことは感慨深い。なるほどよくできている。

原作は短編集の中の一話であり、二時間枠の映画化するには話を拡充する必要があるが、この映画では、まるで長編原作があったかのように、見事に世界を広げている。脚本の北敬太による仕事だろうか。
◇
メインを張るのは当然、鈴木亮平と有村架純であり、また、脇を固める鈴鹿央士やファーストサマーウイカも含め、みんな関西弁で実に生き生きと、普段の鬱憤を晴らすかのような芝居をしている。
だが、この映画の泣かせの部分は、殺された喜代美の父親である繁田仁を演じた酒向芳の迫真の演技に尽きる。
娘を亡くして以降、飲み食いもせず廃人同然のこの父親が、言葉少なに見せる表情と落涙。
世間一般には、結婚式で鈴木亮平が語る妹へのスピーチが感動させるということになっているようだ。確かにこれも悪くない。実際に披露宴に招待されていたら、感動しただろう。
でも、私を泣かせたのは、作られた言葉ではなく、酒向芳の表情だなあ。

レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。
パクパクパク
フミ子がこしらえた花まんまを、繁田家に届ける俊樹。何のいたずらかと不審そうに弁当箱を開け、それが喜代美の作だとすぐに分かり、食べる真似をする父。
「パクパクパク」こんな台詞で泣かされるとは思わなかった。
◇
原作ではこれがクライマックスであり、映画はそこからどう盛り上げるのか興味があるところ。
だって、繁田仁とずっと文通していたことを知り、激昂している俊樹が、きっと最後にはフミ子の結婚式にこの仁を連れてきてサプライズだというのは、ミエミエだから。

- 中沢がカラスと会話できる研究者という謎設定(カラスナビには笑えたけど)
- 俊樹が結婚式当日に繁田をアポなしで迎えに行くと、温泉旅行に行ってしまったこと(でもすぐ再会)
- 猛ダッシュで彦根から大阪に向かうクルマが道路封鎖にぶつかること(『こんな道路にバナナかよ』という楽屋オチ?)
不可思議な場面はいくつかあるが、どうにか挙式には間に合う。
終盤のサプライズ
フミ子は仁とともにバージンロードを歩く。亡き父の記憶がないフミ子にとって仁は実の父のような存在であり、29年前に娘の喜代美が挙式の直前に殺された仁にとっても、念願が叶う瞬間となった。
挙式の際に俊樹が亡き両親の遺影を掲げている。『そしてバトンは渡された』の時には、この気遣いはなかった。

「どちらからお越しになられたんですか?」
披露宴が終わった途端に、フミ子は繁田家のことを忘れてしまう。記憶が消えていくという伏線はあったが、ここまで鮮やかに忘れるとは。
挙式を終えて、喜美子は天国に行ってしまったのだろう。寂しい幕切れだが、喜ぶべきか。これまでとは一転して繁田に無反応なフミ子に衝撃。
◇
でも、映画は最後にもう一つだけお楽しみを用意していた。
ああ、そうか。今じゃニコライ・バーグマンのおかげですっかり有名になったフラワーボックス。こういう使い道もあるとは。映画では、二種類のお弁当が楽しめました。