『の・ようなもの』今更レビュー|森田芳光監督の撮りたかったもの詰め合わせ

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『の・ようなもの』

森田芳光監督が名刺代わりに世に放った、鮮烈な劇場用映画デビュー作。

公開:1981年  時間:103分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:       森田芳光


キャスト
志ん魚(しんとと):   伊藤克信
エリザベス:      秋吉久美子
志ん米(しんこめ):  尾藤イサオ
志ん水(しんすい):   でんでん
志ん肉(しんにく): 小林まさひろ
志ん菜(しんさい):   大野貴保
扇橋(師匠):  九代目入船亭扇橋
おかみさん:       内海好江
志ん米の妻       :吉沢由起
志ん菜の姉:      小宮久美子
由美:         麻生えりか
由美の父:        芹沢博文
由美の母:        加藤治子
まりや:        五十嵐知子
真代:         風間かおる
佐紀:          直井理奈
笑太郎: 三遊亭楽太郎(三遊亭円楽)
ディレクター:     鷲尾真知子

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

(C)1981N.E.W.S.-CORPORATION

あらすじ

東京の下町。まだ二ツ目である若手落語家・志ん魚(伊藤克信)は23歳の誕生日、友人たちの声援を受けながら初めてソープランドへ。

そこで読書好きのインテリという一風変わったソープランド嬢エリザベス(秋吉久美子)と出会い、その後も彼女とデートを重ねるようになる。

一方、志ん魚は自分が指導することになった女子高の落語研究会に所属する由美(麻生えりか)にも好意を抱くように。

やがて志ん魚は彼が慕う先輩・志ん米(尾藤イサオ)が真打ちに昇進したことに強くショックを受け、自分の将来について考え始める。

今更レビュー(ネタバレあり)

森田芳光監督の劇場用映画デビュー作。製作費3千万円の調達に途中で頓挫しかけ、実家を抵当に入れてどうにか捻出したという。

日本ヘラルド映画原正人氏に直談判し撮影前から配給を引き受けてもらい、まだ無名監督というのに秋吉久美子尾藤イサオといった大物俳優を大胆な役で起用する等、新人監督離れした器の大きさを見せてくれる。

売れない落語家の青春時代を描いた映画で、カチッとしたストーリーがあるわけではない。

30年以上も観ていなかった映画なので、代名詞ともいえる、主人公が終電のなくなった夜の町をひたすら独白しながら歩く「道中付け」のシーンくらいしか覚えていなかった。

だが、改めて観ると、その実験的な取り組みのいくつかは、今見ても斬新に見える。「デビュー作には監督の全てが詰まっている」という法則にも肯ける。

何といっても、本作は主演の伊藤克信の存在が大きい。

当時、大学の落研に所属しており、日テレ『大爆笑!全日本学生落語名人位決定戦』で敢闘賞を受賞。その栃木弁の面白味と落語の腕を買った森田芳光が、就職内定していた伊藤克信を口説き落として主役の志んとと役に抜擢。思い切ったものだ。

 

でも、確かにこの役には、もはや彼以外思い浮かばない。その後、森田監督作品を中心に出演作を重ねるが、志ん魚以上にフィットする役があっただろうか。

それに、当時の伊藤克信は、黙ってさえいれば、なかなか精悍な顔立ちだ。

秋吉久美子演じるソープ嬢のエリザベス「あんた、アル・パシーノに似てるわよ(あの頃はパチーノじゃなかった)と言われるが、どちらかと言えば彼は確実にデ・ニーロ顔だ。

噺家のドラマというのは珍しくはないが、クドカン『タイガー&ドラゴン』西田敏行『しゃべれども しゃべれども』伊東四朗など、落語を聞かせる噺家の師匠がひとりいてくれないと、落語のドラマとしては奥行きがない

この映画にも九代目入船亭扇橋が師匠として登場するが、高座の場面はなく、また志ん魚をはじめ、門下生たちも大して落語がうまくない設定。

落語の道で成長していく話という訳でもなく、落語映画としてくくった場合、深みはあまりない。もっとも、森田監督のねらう方向性はそっちではないのだろうけど。

誕生日に弟子仲間のカンパをもらって志ん魚が向かったソープランド(映画では昔の名称)で、気に入られてプライベートでも親しくなるエリザベス(秋吉久美子)

だが、志ん魚は指導に行った女子高の落研で知り合った由美(麻生えりか)と惹かれ合い、彼女と交際するようになる。

(C)1981N.E.W.S.-CORPORATION

二股をかけている訳ではなく、むしろ、関係を清算しようとした志ん魚に、「友だち同士でたまに会う関係でいいじゃないの」と未練がましいのはエリザベスの方。

  • 師匠には「お前は古典はむいてないから、現代落語をやりなさい」と勧められる。
  • エリザベスは親友(室井滋)の誘いで雄琴に引っ越すことになり去っていく。
  • 高校生の由美とその父(なぜか芹沢博文)からは、「落語が下手だ、もっと勉強しろ」とダメ出しされる。
  • 大して才能がないと思っていた兄弟子の志ん米(尾藤イサオ)は、20年かけてようやく真打に昇進。

自分の生き方を打ちのめすような出来事が次々と巻き起こり、その荒れた心の中を鎮めるように、夜明けまで堀切から吾妻橋界隈まで道中付けしながら歩く志ん魚との組み合わせがいい。

まだ、何者にもなっておらず、自分にもいつか頭角を現すときがくるのだろうかと、不安を抱えながら好きな道で生きていく志ん魚の姿が、虚勢を張ってこのデビュー作で勝負に出る森田芳光監督自身にオーバーラップする。

1980年頃の都内の懐かしい風景が堪能できるのも嬉しい。終電が出て灯が消える堀切の駅に、どこの田舎町かと思えるような旅情が漂う。

傷心を夜風に当てて癒しながら歩く志ん魚。鐘ヶ淵から水戸街道隅田川へと下っていく。仁丹塔国際劇場台東体育館、極めつけは吾妻橋朝日麦酒工場か。現存しないものばかりだ。

道中付けのシーンではないが、私が一番エモかったのは、東京湾越しに見る東京タワー。今のような浮かび上がるライトアップではなく、点線が塔の形に心細く光ってるショボいヤツ。

ホイチョイ『バブルへGO!』でも再現されていたけど、現物を映像で見られるのは珍しい。

(C)1981N.E.W.S.-CORPORATION

弟子たちの中では、志ん水役のでんでんが若くてびっくり。この映画で俳優に転身したそうだ。

でんでん志ん米(尾藤イサオ)が中心となっての弟子たちの乱痴気騒ぎや、団地でラジオの公開放送をやる売れっ子の笑太郎(三遊亭楽太郎)との勝負など、後の『そろばんずく』を思わせるナンセンスなノリ。

映画の最後はビアガーデンで開催される志ん米の真打昇格パーティ。エンドロールの裏で、会が終わり、会場から少しずつ人が去っていく様子が映し出されている。フェリーニ『8 1/2』のエンディングのような、祭りの後の、もの寂しい雰囲気。

なお、森田監督の没後、2016年に本作の続編である『の・ようなもの のようなもの』が公開されている。

伊藤克信はじめ、尾藤イサオ、でんでん、小林まさひろ、大野貴保当時のメンバーのほか、森田監督作品に馴染みのある松山ケンイチ北川景子が出演。さすがに、35年も経てばあの空気感は出せていないが、作品愛には満ちていた。