『EO イーオー』
IO
ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキ監督が、ロバの目を通して描く人間の愚かさ
公開:2022 年 時間:88分
製作国:ポーランド
スタッフ 監督: イエジー・スコリモフスキ キャスト カサンドラ: サンドラ・ドルジマルスカ ヴィトー: ロレンツォ・ズルゾロ マテオ:マテウシュ・コシチュキェヴィチ 伯爵夫人: イザベル・ユペール
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
愁いを帯びたまなざしと溢れる好奇心を持つ灰色のロバ・EOは、心優しい女性カサンドラ(サンドラ・ドルジマルスカ)と共にサーカスで幸せに暮らしていた。
しかしサーカス団を離れることを余儀なくされ、ポーランドからイタリアへと放浪の旅に出る。
その道中で遭遇したサッカーチームや若いイタリア人司祭、伯爵未亡人らさまざまな善人や悪人との出会いを通し、EOは人間社会の温かさや不条理さを経験していく。
レビュー(ネタバレあり)
EOっていえば
ロバの映画ということくらいは予想できたが、タイトルとポスタービジュアルから想像していたものとは相当違う作品だった。
『EO』とくればまず頭に浮かぶのはディズニーランドの3D映画で片手を力強く突きだすマイケル・ジャクソン。だが、ロバの名前というのなら、同じくディズニーのクマのプーさんの仲間、ロバのイーヨーに由来しているのかもしれない。
◇
ポスターに大きく写るロバの正面からの顔は、これもディズニー映画のように饒舌に人間の言葉を話し始めそうにみえる。
だが、本作にはそういう作為的な演出はないし、ロバのEOも何も言葉を発せず、ただ嘶くのみである。
思えばイエジー・スコリモフスキは2010年の作品『エッセンシャルキリング』で、主演のヴィンセント・ギャロに劇中一言も台詞を言わせなかった監督だ。そんな人が動物に台詞を与えるわけがない。
ロバよどこを目指す
本作の主人公ロバのEOは巡業サーカスに飼われている動物で、団員の女性カサンドラ(サンドラ・ドルジマルスカ)に可愛がられて暮らしていた。
だが、動物虐待禁止の市民抗議や法制度の執行で、EOはサーカス団から引き離される。動物にとって幸福な生活が待っているようにも見えたが、EOは大好きなカサンドラのことが忘れられず、ある日、柵を飛び越えて脱走してしまう。
そこから先は、『飼い主をたずねて三千里』か 『マリリンに逢いたい』か、ただただ目的地を目指していくロバのロードムービーの様相だ。
イエジー・スコリモフスキ監督の作品は、『エッセンシャルキリング』と『アンナと過ごした4日間』は観ている。ともに10年以上前なのでひたすら暗鬱な映画だった印象しか残っていない。さすがポーランド映画。
なお、スコリモフスキ監督が本作を撮る大きなきっかけになったというブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』は、配信もなく残念ながら未見。
その瞳があれば台詞はいらない
動物保護を訴える人々の意に反して、当の虐待(ここではサーカスの調教だけど)を受けているEOが憂き目に遭うというナンセンスさが根底にある。
そしてカサンドラが恋しいEOは脱走するが、最後には再会できてめでたしめでたしといった、動物ものにありがちな感動展開ではない。
だが、台詞もないのにEOの動向に目が離せない。表情だけで心情が伝わる(気になる)。目は口程に物を言う。
ロバとか馬の目って、何であんなに優しくておどおどして、それでいて多くを語るのだろう。この独特の雰囲気は、ほかの動物にはなかなか出せない。犬や猫の眼力はもっと攻撃的だし、牛や羊の眼差しはここまで饒舌ではない。
この作品を見ると、動物に声優をつけて安易に人間の台詞を与えることで、台無しにしてしまっている作品がいかに多い事かと思い知らされる。
もっとも、台詞がなければよいというものではない。
雰囲気は似ていたが、ケイシー・アフレックが幽霊になる『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』は難解なだけだった。
羊が人間になったような『LAMB ラム』も、ただのゲテモノ映画に見えた。
やはり、本物の動物を使用するのが決め手なのだろう。本作のEOなどは、本物というだけでなく、6頭ものロバを起用するというこだわりようだ。
EO周辺で起こる数奇な事象
一人で山や町を彷徨うEOの心情は手に取るように分かるが、本作はただ動物の旅に寄り添うだけの映画ではなく、EOの周囲にはいろんなトラブルや不可思議な事象が次々と巻き起こる。
- 無人の町をウィンドウショッピングしていたら市の職員に捕獲されたり、サッカーの試合会場で地元ポーランドのチームファンに勝利のロバだと歓待された挙句にフーリガンに襲われたり
- 重傷を負ったあと、獣医に救われたのはいいが、ウマと一緒に食肉にされそうになって、人を蹴り倒して逃走し、トラック野郎に拾われたり
- 数奇な運命のなかに、謎の惨殺があったり、イタリアの司祭に出会ったり、突如イザベル・ユペールが伯爵夫人で登場したり
およそ脈絡のない出来事が続くあたりは、ロバのロードムービーだものと割り切って楽しむしかない。
◇
夜の森の中でEOが浴びるレーザービーム、AIBOのような四足歩行ロットの登場、回想と思しき赤いフィルター越しの映像。現実とEOの脳内イメージが混在となる不思議さ。
そうかと思えば、ドン・キホーテが風車に向かうかのようにEOが風力発電塔を目指す姿や、ダムの放水をバックに小さな橋を渡る姿など、ハッとするような美しい情景も時折り現れる。
エッセンシャルキリングなのか
以下はネタバレになってしまうのでご留意願います。
序盤でサーカス団から解放されたEOを慕って、可愛がってくれたカサンドラが牧場まで会いに来てくれる。彼女はすぐに去ってしまうのだが、それを追いかけるようにしてEOは脱走する。
再会のシーンを旅の始まりに持ってきたことも、結局その後EOはカサンドラと会えないことも、ドラマ的な盛り上がりを削ぐことになる気がしたが、スコリモフスキ監督はそこを目指しているわけではないのだろう。
終盤に牛の群れに紛れ込んで牧童に追われて列を進んでいくEOがラストカットで到達する場所は、暗転と不穏な音で終わり殺処分を暗示させる。
「本作品の撮影においていかなる動物にも危害を加えていない 」とその直後に示されるため、ちょっと救われた気になるが、よく考えれば暗く寂しい映画だ。
なるほど『エッセンシャルキリング』は、こういうことを人間で描いてみた作品だったのだなと、今更ながら感慨に耽る。公開時に観た時は苦手な作品と思ったが、同作も観返してみたくなった。
当初の愛らしくどこか間の抜けたロバの正面写真からの想像とは大きく離れていたが、美しい映像や心に沁みる音楽とともに、何か心に引っかかる作品だった。