『落下の解剖学』
Anatomie d’une chute
ジュスティーヌ・トリエ監督の法廷サスペンス。これは事故か、自殺か、殺人かー。ザンドラ・ヒュラーのきつい眼差しが一番堪える。
公開:2024 年 時間:152分
製作国:フランス
スタッフ 監督・脚本: ジュスティーヌ・トリエ 脚本: アルチュール・アラリ キャスト サンドラ: ザンドラ・ヒュラー ダニエル: ミロ・マシャド・グラネール ヴァンサン・レンツィ:スワン・アルロー 検事: アントワーヌ・レナルツ サミュエル: サミュエル・タイス マージ・ベルジェ: ジェニー・ベス
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
人里離れた雪山の山荘で、視覚障害をもつ11歳の少年ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が、血を流して倒れていた父親を発見する。
子どもの悲鳴を聞いた母親サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。
当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。
自らの無罪を主張するサンドラだったが、証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ<真実>が現れる。
レビュー(まずはネタバレなし)
これは事故か、自殺か、殺人か
カンヌ国際映画祭のパルム・ドールに輝いた本作。
フランスはグルノーブルの雪に囲まれた山荘に暮らす家族、上階から転落死した夫を発見したのは、視覚障害をもつ少年。数少ない手がかりから、事実を解明していく法廷劇。
監督はジュスティーヌ・トリエ。女性監督がパルム・ドールを獲るのは、1993年のジェーン・カンピオン(『ピアノ・レッスン』)、そこから2021年のジュリア・デュクルノー(『TITANE』)に続く3人目の快挙。
共同脚本はジュスティーヌ・トリエと実生活のパートナーでもあるアルチュール・アラリ。小野田少尉の終戦を描いた『ONODA 一万夜を越えて』の監督でもある。
本作はいかにもカンヌが好みそうな、派手さのない端整な作り込みの映画といえる。
法廷劇に秀作は数多くあるが、ジュスティーヌ・トリエ監督がドキュメンタリーや法廷ものが好きなこともあってか、本作も話の展開には引き込まれる。
ただ、この作品を事件性の有無や真犯人に焦点をあてた法廷ミステリーのように期待すると、おそらく肩すかしをくらう。
本職の映画評論家の間では、本作はすこぶる評価が高いようだし、一般のレビューも今のところ総じて高評価と思われる。
だが、私はどこか「この作品を評価できないやつは、分かっていない」みたいな同調圧力を感じてしまう。そう、まるで昨年の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の公開時みたいに。
『エブエブ』には確かにユニークな面白さはあったが、万人受けでオスカーを総取りする作品だったのか、いまだに腹落ちしていない。
本作も現時点、作品賞でオスカーの候補ではあるが、個人的には「カンヌなら分かるけど」という感じ。出来は悪くないのだが、私の期待が高すぎたのかもしれない。
そして死体が雪の上に登場
映画は冒頭、山荘で女子学生の取材を受けている主人公のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)。
彼女は人気作家のようだが、自分のことはあまり語らず、学生の話を聞かせてほしいと煙に巻く。階段から落ちてくるボールが、これから起きる出来事を予兆させる。
取材中に、上階から大音量の音楽(50 Centの「P.I.M.P.」のインストver.)が流れてくる。夫がわざとやっているのだろうが、うるさくて会話にならず、取材は打ち切りとなる。
サンドラはその後、耳栓をして翻訳仕事を片付け始める。この辺の経緯は、後半の裁判でも証言される。
息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)は飼い犬のスヌープを連れて雪原を散歩に出かける。だが、家に戻ると庭に倒れているものがあり、それが父だと分かり悲鳴をあげる。これが、事の発端だ。
雪の中を倒れる男の死体、ポスタービジュアルはコーエン兄弟の『ファーゴ』を思わせる。
驚いて救急車を呼ぶサンドラ、だが夫は既に帰らぬ人となっており、警察がやってくる。当初は転落事故と思われたが、状況証拠としては無理がある。
転落直前の夫婦の会話、そして息子はその時にどこにいたか等、警察は事実の確認を始める。事故でなければ、自殺か他殺か。
他殺となれば疑われるのは自分だからと、警察の質問に素直に答えなかったサンドラは、次第に不利な立場に追い込まれていく。彼女が頼れるのは、旧知の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)ただ一人。
言葉の障壁と裁判の行方
言葉の障壁というのが本作では大きな要素になっているが、英語もフランス語も字幕を見てしまう多くの日本人(というか私)にとって、このもどかしさが欧米人ほどには伝わりにくいのではないか。
◇
ドイツ人である主人公のサンドラは、フランス人である夫のサミュエル(サミュエル・タイス)とロンドンに暮らしていた。だが、息子ダニエルが交通事故で視覚障害を患ってから、その医療費がかさむため、当地に移住してきた。
ドイツ語と英語なら堪能だが、フランス語で裁判の被告として対峙しなければならないサンドラには、ただならぬ苦労があるのだろう。
だが、彼女が流暢にフランス語を話しているようにしか聞こえない私には、その障壁が今ひとつ実感できない。
逆にもどかしさを強く感じたのが、この裁判の行方である。
裁判そのものの展開は、フランス特有のスタイルもあるのだろうが、大変よく出来ている。弁護士のヴァンサンも頑張って応戦するが、原告側の検事(アントワーヌ・レナルツ)が、時に慇懃無礼に、時にコミカルに、サンドラを攻めまくるのがいい。
法廷ドラマの善し悪しは、検事の憎たらしさと弁護士の反撃力にかかっている。不利な展開になると、「それはあなたの主観ですよね」とひろゆき的に切り返しつつ、自分の印象操作に余念がない検事。キャラが立っている。
人気作家サンドラの裁判を、マスコミは面白おかしくかき立てる。
「自殺よりも、作家が夫を殺した方が、話は盛り上がるでしょう?」
どこの国でも、バカ騒ぎの仕方は同じのようだ。
結局、裁判での無罪・有罪の判決はどうあれ、それが真実かどうかは分からない。真相は、犯人と目撃者だけが知るものだから(それが他殺であるならば)。
この答えの見せ方を、本作はあえて曖昧にしている。観る者によって答えが違うともいえる。
それを楽しめる人には、本作は極上のサスペンスだと思う。全然曖昧じゃないと感じる人だっているかもしれない。だから一見の価値はある。
ありがとう、ザンドラ・ヒュラー
主演のザンドラ・ヒュラーは、ジュスティーヌ・トリエ監督作品には『愛欲のセラピー』に出演。『ありがとう、トニ・エルドマン』や『希望の灯り』といったドイツ映画固有のペーソスが似合う女優。『約束の宇宙』では堅物上司役だったか。
フランス映画のイメージはなかったが、こういう起用法なら、逆に彼女が適材だったと思う。今回アカデミー賞作品賞候補作では、『関心領域』にも出演の活躍ぶり。
人気作家であり、夫の死や自分を被告とする裁判、そして証人に立つ息子にも、弱さや動じる様子はみせずに気丈に演じるところが、サンドラのキャラでもあり、ザンドラ・ヒュラーにも似合っている。
日本映画なら、ここで妻として母としての泣きを見せて観客の同情を買うところだが、そうはしていない。
視覚障害の少年ダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールも好演していた。監督があえて脚本を明かさずに有罪・無罪が分からないなかで演技をさせたそうだ。是枝裕和監督も好む、子役演出の極意といえる。
視覚障害は、まったくの全盲ではなく、わずかに視力があるようだ。この設定がどこまでドラマの中で有効だったかというと、微妙だと思った。
医療費がかさむため移住するためだけの仕掛けではないだろうが、目撃していない目撃者という立ち位置のためだけにこの設定はやや作為的。
愛犬スヌープの演技は瞠目するものがある。ドラマの進行の中で、この犬の演技にかかっているシーンがあるが、どうやって撮ったのか、「撮影中に動物に危害は加えていません」と信じてよいのか、という迫真のカットだった。
カンヌのパルム・ドッグを受賞したのも納得。『ファースト・カウ』が公開中のケリー・ライカート監督の愛犬も、かつて『ウェンディ&ルーシー』(2008)で同賞を受賞しているが、審査基準のバーはここまで上がったか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
夫婦喧嘩を犬が食う
捜査の過程で警察が、転落のシミュレーションでデータを取ったり、着地した物置の屋根にDNAが付着していないとか、壁には血痕があるとか、いろいろ状況証拠から事件を解明していく。
序盤はそういう事件捜査もののミステリーだと思っていたのだが、後半に若干様相は変わる。
大きなポイントのひとつは、事件前夜におきた激しい夫婦喧嘩の録音内容。夫は、妻と同じように小説を書いているが、そのネタになるように、こういった会話を録音していたようだ。
その音声によれば、夫の小説の構想を使い妻が書いた作品が評価され、今や妻は人気作家。夫は子どもが障害を持つようになった事故の責任(自分が通学の送迎をしていれば防げた)を感じ、家事のほとんどを担当し、そのため執筆に時間がさけない。
こういった状況下で夫婦は激しく口論し、しまいには食器を投げ合うまでに。
喧嘩の内容などはどこの家庭にも転がっているものだが、男目線でみると、この夫が少々気の毒な気にはなる。そう感じさせるような女性活躍の設定にしているのも、ジュスティーヌ・トリエ監督のうまさなのだろう。
ラストの少年の台詞に感じたもの
真犯人が誰かは、ネタバレしようにも明確には開示されていない。裁判の行方は明確だったが、それはここでは触れない。
少年が証言した、アスピリンを犬に食べさせたことで類推される話。犬がそこまで何でもがっついて食べるのかどうかはよく知らないのだが、これが真実なのか、或いは母を助けようとして嘘をついたのか。
母サンドラはまったくの無実で、前夜の夫婦喧嘩など不利な状況証拠のせいで被告になったのか。或いは、自分のバイセクシャルな浮気行動を注意され、被害妄想の夫に殺意を抱き実行してしまったのか。
どちらも、あり得ると思わせる、本心を見せないサンドラの表情。過去に何か親しい関係を思わせる、弁護士ヴァンサンとの思わせぶりな距離感も気になるところ。
ラストシーン、裁判を終えた母が家に戻ってくるかを待つ少年ダニエル。
「ママが帰ってくるのかどうか怖かった」ではなく、「ママが帰ってくるのが怖かった」と言っていたような気がする。
それは母が犯人だからなのか、夫婦喧嘩の末に厳しい言葉で父を自殺に追い詰めたことを知っているからなのか、答えは我々に委ねられてしまった。