『さよなら渓谷』
吉田修一の同名原作を大森立嗣監督が映画化。渓谷のある町でおきた殺人事件から、物語は予想外の展開に。
公開:2013 年 時間:116分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 大森立嗣 脚本: 高田亮 原作: 吉田修一 『さよなら渓谷』 キャスト 尾崎かなこ: 真木よう子 尾崎俊介: 大西信満 渡辺一彦: 大森南朋 小林杏奈: 鈴木杏 渡辺の妻: 鶴田真由 かなこの元夫: 井浦新 渡辺の同輩: 新井浩文 刑事: 木下ほうか 三浦誠己 立花里美: 薬袋いづみ 水谷夏美(回想): 藤本七海 かなこ(回想): 瀧内公美
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
ポイント
- 内容だけ聞くとなかなか共感しにくい話ではあるが、そこにどこまで説得力を持たせられるか、そこに原作も映画も神経を使っている。そんなことあるかよ、と瞬殺で片付けずに観るのが正解。真木よう子の眼差しがいい。
あらすじ
緑豊かな渓谷で幼児殺害事件が起こり、容疑者として実母の立花里美が逮捕される。
しかし、里美の隣家に住まう尾崎俊介(大西信満)の内縁の妻かなこ(真木よう子)が、俊介と里美が不倫関係にあったことを証言。
現場で取材を続けていた週刊誌記者の渡辺(大森南朋)は、俊介とかなこの間に15年前に起こったある事件が影を落としていることを知り、二人の隠された秘密に迫っていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
さよなら渓谷またきて刺客
サヨナラホームランやサヨナラセールなんかと同様、渓谷の愛称みたいなものかと思っていたこのタイトル。だが、ここは素直に、住み慣れた渓谷にさよならして去っていく物語というのが正しい読み方のようだ。
吉田修一の小説には気が重くなるようなつらい題材が少なくないが、本作の原作である同名小説もその例に漏れない。監督は大森立嗣。タイトルにある渓谷は原作では東京近郊とあるが、ロケ地は秋川渓谷。
その近くにある住宅で汗だくになりながら昼間から布団の上で裸の身体を重ねる夫婦。夫は尾崎俊介(大西信満)、妻はかなこ(真木よう子)。
そこに無粋なノックの音。隣家の立花里美(薬袋いづみ)が宅配の着払いを頼みに来る。間が悪いなと思う場面だが、背後にもっと大きな動きが潜んでいる。
家の周囲には里美を追い回す報道陣の群れ。こどもの遺体が川辺でみつかり、母である里美は容疑者となっていたのだ。この導入部分は全体感を把握しにくい。
殺人事件の容疑者
主人公の夫婦の隣家では殺人事件騒動。すぐに里美には逮捕状が出て、TVのニュースからは顔のモザイクが消えるが、そんな事には大して関心をもたずに昼から抱き合う二人。一体どういう展開になるのか。
観る者を導いてくれるのは、現場を取材する記者の渡辺一彦(大森南朋)と後輩の小林杏奈(鈴木杏)だ。里美の証言から、不倫相手として尾崎俊介の名前が上がる。
渡辺たちは慌てて尾崎の周辺を洗い始め、彼が大学時代に野球部の有望なエースだったが、数名の部員とともにひっそり退部していることに疑念を持つ。
一方、刑事たち(木下ほうか、三浦誠己)は、尾崎を引っ張り、事情聴取を始める。構図としては概ね見えたような気になる。
隣家の悲劇と思わせていた殺人事件に、どうやら主人公の夫婦の夫がからんでいる。これは実行犯が里美か尾崎かはともかく、愛欲のもつれで起きた惨事か。そうなれば妻かなこの心中は穏やかでない。
野球部員の集団レイプ事件
だが、興味深いことに、逮捕された里美も、殺された少年も、本作では一度しか姿を見せない。物語のメインはその事件ではないのだ。渡辺たちが追いかけている退部事件。鍵はそこにあった。
「運動部系のネタってさわやか選手の特集か集団レイプ事件のどっちかで、中間がないですよね」
小林がいった後者が、尾崎の退部理由だった。この件は割と早い段階から匂わせているし、そもそも公式でも語られているので、ネタバレ扱いにしていない。
ここで登場する回想シーン、大学の部室に夜に部員たちとともに侵入し盛り上がっていた女子高生二人。途中で逃げた一人は瀧内公美のようだが、なかなか気づけなかった。
残る一人を集団レイプし、関係部員は退部処分。その後、尾崎は先輩の伝手でどうにか証券会社に入るも、退職し今に至る。当時の共犯の一人で悪びれずに過去を語る二代目社長に新井浩文というのが、ちょっと似合いすぎて怖い。
思えば、本作には尾崎を粘着質に取り調べる刑事の木下ほうかと、この新井浩文がともに出演しているのだ。今ではもうお目にかかれない布陣である。
キャスティングについて
渡辺は自身も学生時代にラグビーをやっていて社会人では怪我で断念。選手からスポーツを取り上げると、何も残らない空虚感を味わっている。だから尾崎にどこか共感していると嗅ぎ取った小林が、渡辺を責める。
「被害者の水谷夏美さんがその後幸福だったらと願いましたが、想像以上に悲惨ですよ。自殺未遂後に失踪してるし、きっともう生きていないでしょうね」
◇
本作は内容の重さから、出演者陣の芝居もみな胃が痛くなるような重苦しさに満ちている。
常に苦悩しているような表情で魂が抜けてしまったような尾崎(大西信満)とかなこ(真木よう子)の演技。何も喋らず目で語る真木よう子のウェットな眼差しがいい。
◇
この二人と相似形にあるような、渡辺(大森南朋)と妻(鶴田真由)の冷めきった夫婦関係。夫が勝手に転職したことを根に持ち不満をぶつけ続ける恐妻。
ラグビーをやめて弛んだ腹を見せるカットを大森南朋に頼めるのは、大森立嗣監督が兄だからこそか。
みんなが暗鬱となる中、ひとり明るく元気な小林記者を演じる鈴木杏には救われる。彼女ならではの役割だ。コメディリリーフではないが、鈴木杏がいなければもっと重苦しい映画になっていたはず。
◇
ヘビーな内容からなかなか共感が得にくい作品になっているのは否めないが、本作は吉田修一の原作を概ね忠実に映像化しており、脚本としてはよく纏まっているのではないかと思う。
では、どこが共感しにくいのかという点は、次項で語りたい。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。
そのキャッチコピーは情報漏えいです
本作の主人公は、幸せになったらきっと壊れてしまう関係をもつ男女である。幸せになることが許されていないと信じているのだ。それはどういう意味か。
「残酷な事件の被害者と加害者。15年の時を経て、ふたりは夫婦となった…」
これは、公開当時のキャッチコピーだ。まあ、よく書いたものだ。実も蓋もない。
これを書かないと、どんな映画化も分からないし、観客も来ないので、苦渋の決断だと大森立嗣監督は語っている。勿論、監督が決めた訳ではないだろうから同情するが。
映画も原作も、かなこがレイプ事件の被害者であること、なのに加害者の尾崎の夫婦として同棲していることは、きちんとステップを踏んでサスペンスフルに伝えている。
語るべきは、なぜそうなったかの心情であり、この事実自体はさほど重要ではないのかもしれない。だが、あまりに無神経なコピーと思う。
◇
かなこは、事件のあと、就職して婚約者ができるも事実を知られ破談になり、会社にも過去を流布され転職。やがて行きついたのはDV夫との結婚生活。殴る蹴るの仕打ちに耐えかね、病院で尾崎に再会する。
DV夫を演じるのは、まだとんがった時代の井浦新。近作『アンダーカレント』でも真木よう子と再共演しているが、ともに年齢を重ねてギラギラ感はだいぶ落ち着いた。
幸せになってはいけない
加害者の尾崎を受け容れられるはずがなく、ずっと拒絶してきたかなこ。一方、当時の事件を詫びる一方の尾崎。
だが、まったく異なる立場の二人は、ともに人生の辛酸をなめ、あの事件がバレることを心配せずにいられる相手にたどり着く。
「私が死んであなたが幸せになるのなら、私は絶対に死なない。あなたが死んで、あなたの苦しみがなくなるのなら、決して死なせない」
かなこは夏美という本当の名を捨て、あの時に自分を見捨てた友だちの名を名乗った。死ななかった者の名を。田舎町にたどり着き、ついに二人で一緒になり、ともに久しぶりの安眠を得る。
◇
突然巻き込まれた隣家の殺人事件に、かなこは夫を容疑者として差し出した。事実無根の内容だが、それをかなこが与えた試練だと分かった尾崎は、甘んじてそれを受け容れようとした。
かなこが証言を撤回し、釈放された尾崎と二人で渓谷の橋をわたる。緑に囲まれた吊り橋の上で男と並ぶ真木よう子は、まるで『ゆれる』のようだが、ここで落ちるのは彼女自身ではなくサンダル。
そこで彼女は何かが吹っ切れたか。このままでは、ふたりが幸せになってしまう。かなこは「さよなら」とだけ置き手紙に書き、尾崎のもとを去る。
◇
事件を追いかけ続けた渡辺は、極限まで追い詰められた者同士の尾崎夫妻に比べ、自分と妻は互いをまるで分かり合おうとしていないことに気づく。
「幸せになればいいじゃないですか!」
渡辺は尾崎にそういうが、そんな甘い考えは通用しないだろうな。
尾崎とかなこが一緒にくらすようになる過程を本作は丁寧に描いており、私にはありえない話とも言い切れないと思えた。だが、鈴木杏をはじめ女性の共感が得られる気はしない。