『シークレットサンシャイン』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『シークレット サンシャイン』今更レビュー|神様、安易に赦しを与えすぎ

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『シークレット・サンシャイン』
 밀양

イ・チャンドン監督の代表作。亡き夫の故郷に移った女が悲劇の末にすがったものとその見返りとは。

公開:2007 年  時間:142分  
製作国:韓国
 

スタッフ 
監督・脚本:      イ・チャンドン

キャスト
イ・シネ:       チョン・ドヨン
キム・ジョンチャン:   ソン・ガンホ
パク・トソプ学院長:  チョ・ヨンジン
チョンア(トソプ娘):  ソン・ミリム
ジュン(シネ息子): ソン・ジョンヨプ
イ・ミンギ(シネ弟): キム・ヨンジェ
カン長老(薬局店主):    イ・ユニ
キム執事(薬局店主妻): ム・ミヒャン
シン社長(不動産屋): キム・ジョンス

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

(C)2007 CINEMA SERVICE CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED

あらすじ

夫を事故で亡くしたシネ(チョン・ドヨン)は幼い息子を連れ、夫の故郷である地方都市ミリャンに引っ越してくる。

そこで自動車修理工場を営む男性ジョンチャン(ソン・ガンホ)と知りあった彼女は、彼の好意でピアノ教室を開き、順調な新生活をスタートさせる。

ところがある日、息子ジュン(ソン・ジョンヨプ)が何者かに誘拐されてしまう。

今更レビュー(ネタバレあり)

ひそやかな陽射し

傑作『オアシス』に続くイ・チャンドン監督の作品。

主演のチョン・ドヨンは当時大ヒットの恋愛映画『ユア・マイ・サンシャイン』(2005)で知られていたが、次作にあたる本作でカンヌの主演女優賞に輝き、彼女の<サンシャイン映画>としてはむしろこちらの方が有名になった感がある。

冒頭、抜けるような青空の下、田舎道にクルマを置いて途方に暮れる母子。やがてそこに自動車修理工が現れる。

修理工は経営者ジョンチャン(ソン・ガンホ)。彼との会話から、この女性シネ(チョン・ドヨン)はソウルから来て、亡くなった夫の故郷であるミリャンに息子と暮らそうとしているのだと分かる。

ミリャンとは実在の町で、ハングルの意味は知らないが、漢字では<密陽>と書く。つまり、シークレット・サンシャインだ。タイトルは舞台となる町の名であると同時に、隠喩でもあるのだろう。

(C)2007 CINEMA SERVICE CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED

ソン・ガンホの分かり易いキャラ

シネはこの町でピアノ教室を開き、生計を立てようとする。お調子者の独身中年男ジョンチャンは、あれこれ彼女の世話を焼き、生徒を紹介したり、頼まれもしないのに改装を手伝ったり。

彼女に気があるのが実に分かりやすい人物だが、憎めないキャラがソン・ガンホにぴったりハマる。

亡くなった夫の故郷で息子と共に新たな暮らしを始めた女が、その地で出会った人懐っこいタイプの男と恋に落ちていく。

チョン・ドヨンの前作からの韓国恋愛映画路線でいけば、そういう流れを想像しそうなものだが、そこは一筋縄ではいかないイ・チャンドン監督、素直に話が進むはずがない。

シネの人物像も案外複雑だと次第に分かってくる。

経歴を活かしてピアノ教室を始めたまではよいが、初対面の近隣ブティックの女店主に
「内装が暗くて損をしていますね。明るくすればお客が増えますよ」と言ったり、
「この町に定住したいから、いい土地があったら投資したい」と触れ回ったり。

更に、シネは夫の愛を疑っていないようだが、ソウルから訪ねてきた弟ミンギ(キム・ヨンジェ)は、「浮気をしていた挙句に事故死した義兄をなぜそんなに愛せるのか」と不審に思う。

突然の悲劇

そんな折、唐突に悲劇は起こる。カラオケで主婦仲間と騒いで夜に帰宅したシネは、息子ジュンがいないことに気づく。慌てる彼女に電話がかかってくる。

相手の声は聞こえない。だが、彼女の狼狽と震え事態の深刻さを語る。チョン・ドヨン迫真の演技。

救いを求めてジョンチャンの自宅兼工場に行くと、彼は一人カラオケを熱唱中でなぜか声をかけられず。やがて彼女が銀行預金を全額引き出すところで我々も誘拐事件だと確信する。

だが、紙袋の半分以上は新聞紙の贋金。犯人は不動産投資話を聞きつけての犯行だろうが、シネにはそんな資金はなく、見得を張っていたのだ。

ここから先はネタバレになるので、未見の方はご留意ください。

さて、犯人が誰だったのかということは、本作においては大きなポイントではない。

後日、「貯水池で発見された死体を確認してほしい」とシネの家にやってくる警察、そしてあっという間に逮捕される、息子の通っていた幼児教育施設のトソプ学院長(チョ・ヨンジン)

振り返れば、怪しさ十分の犯人であった。こうして息子ジュンは火葬され、「あんたに息子も孫も殺された」と、不幸続きのシネを義母がなじる。

神様の愛が必要

そして、本作の真骨頂はここから始まる。

シネのピアノ教室の眼前にある薬局。彼女がこの町に来た時には、夫を亡くした彼女をみかけて「先生のように不幸な人には神様の愛が必要」と店主の妻キム(キム・ミヒャン)が宗教に勧誘。

当時は相手にもしなかったシネは、息子を殺されたあとも、「神様の愛が大きいなら、なぜ何の罪もないジュンの命を奪ったの?」と疑問を口にする。

だが、そんな強がりを言っても、シネの傷ついた心は神の救済を求めていた。

塞ぎこんでいたシネが、教会の祈祷に信者として積極的に参加するようになると、見たことのないような笑顔を取り戻す。この変わり身はすごい。

彼女を取り巻く信者たちの幸福感に満ち満ちた感じには、近寄りがたいものがあるが、そんなことにはお構いなし。シネは着実に救われていく。彼女が心配で付きそうようになるジョンチャンも、いつしか信者の一員になりつつある。

神は私を赦したのです

そしてある日、シネは町で犯人トソプ学院長の娘チョンア(ソン・ミリム)がいじめられている姿を目にするが、見てみぬふりをする自分に気づく。

思えば、シネは連行されたトソプを警察署でみたときでさえ、何も言えなかった。彼女はそんな自分を責め、「汝の敵を赦し、敵を愛せ」という教えに従い、刑務所でトソプに面会ようとする。

「心の中で赦せばいい。なんでわざわざ会いに行く必要がある」

ジョンチャンが我々の思いを代弁してくれる。

だが、言い出したら止まらないシネは、ついに息子を殺した男と面会を果たし、そしてとっておきの彼女の赦しの言葉をトソプに捧げる。

邦画において刑務所での面会シーンは、ガラスに映った面会者の顔と受刑者の顔を並べるカットを得意げに見せるばかりでつまらないと先日も他作品のレビューで書いた。

本作はまともなバストショットの切り替えしと、珍しい陽光の入る面会室の組み合わせだが、この陽射しもまた、神の思し召しを現わしているのかもしれない。

「あなたの言葉に感謝します。私もこの刑務所に来て、神を心に持ちました。そして、神は私を赦したのです」

トソプの言葉と余裕の笑顔に愕然とするシネの表情が秀逸だ。

自分は信仰を重ね、ようやく男に赦しを与えてあげようとここまで来たのに、息子を殺したこの男は、とっくの昔に神に救われていたという。

何という皮肉。赦す前から、心に平安があったなんて。私を差し置いて、こいつを赦す権利が神にあるのか!

神に一矢を報いる

一度信じた神に裏切られ、信仰余って憎さ百倍のシネは、神への冒涜行為に走る。万引きしたCDの曲を公園での信者集会に大音量で流す。

「みんな嘘よ、嘘!嘘!嘘!」

凄い曲もあったものだ。キム・チュジャ「嘘」という曲らしい。ただ、信者はそれでも神の妄信をやめない。

次にシネは薬局店主で教会の長老カン(イ・ユニ)を色仕掛けで山にドライブに誘い出す。

だが青姦の直前、長老は「神に見られていては、やはりできない」と降参する。結局、彼女は神に一矢を報いることさえできなかった。

本作は終盤、精神的にダメージを負い自傷行為の末、入院していたシネが、町に戻りジョンチャンと再会する。

美容院で彼女の担当になったのは偶然にもトソプの娘チョンア。ここで何の反応もなければ、シネは再び信仰を取り戻したか、或いは病院で洗脳されたかだ。

だが彼女は突如烈火のごとく叫び、半分カットされた髪のまま町に飛び出す。素のままのシネなのだと分かる。

そして庭で残りの髪を切ろうとする彼女に鏡を向けてやるのがジョンチャン。ラストカットは庭の片隅に差す陽光だ。

『オアシス』のようにその光は蝶になって舞うこともなくひっそりと目立たないが、まさに密陽の町の名にふさわしく、それは静かに彼女を見守り続けるジョンチャンのようでもある。

恋愛映画というにはあまりに淡いが、そこがイ・チャンドンの流儀なのかもしれない。