『レッド・ドラゴン』
Red Dragon
ハンニバル・レクター博士の武勇伝はここから始まった。新旧公開作品と原作を読み解いて分かったこと。
公開:2002 年 時間:124分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ブレット・ラトナー 原作: トマス・ハリス 『レッド・ドラゴン』 キャスト ウィル・グレアム:エドワード・ノートン モリー・グレアム: メアリー=ルイーズ・パーカー ハンニバル・レクター: アンソニー・ホプキンス ジャック・クロフォード: ハーヴェイ・カイテル フランシス・ダラハイド: レイフ・ファインズ リーバ・マクレーン:エミリー・ワトソン フレディ・ラウンズ: フィリップ・シーモア・ホフマン チルトン博士: アンソニー・ヒールド
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
『刑事グラハム/凍りついた欲望』
『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』(改題)
Manhunter
公開:1986 年 時間:119分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: マイケル・マン 原作: トマス・ハリス 『レッド・ドラゴン』 キャスト ウィル・グレアム: ウィリアム・L・ピーターセン モリー・グレアム: キム・グライスト ハンニバル・レクター: ブライアン・コックス ジャック・クロフォード: デニス・ファリーナ フランシス・ダラハイド:トム・ヌーナン リーバ・マクレーン: ジョアン・アレン フレディ・ラウンズ: スティーヴン・ラング チルトン博士: ベンジャミン・ヘンドリクソン
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
元FBI捜査官ウィル・グレアムが、猟奇事件の捜査を要請され、刑務所にいるレクター博士を訪ねる。グレアムとレクターの記事を見た犯人は、レクターと連絡を取り、その記者を殺害。グレアムは殺害をつなぐ手がかりから犯人を追い詰める。
新旧比較レビュー(まずはネタバレなし)
未年のまえに辰年あり
アンソニー・ホプキンス演じる殺人鬼にして精神科医のハンニバル・レクター博士が広く世間に知られるようになったのは、『羊たちの沈黙』(1991、ジョナサン・デミ監督)の大ヒットからのことだ。
今回紹介する二作は、いずれも、作家トマス・ハリスによる、その前日譚にあたる『レッド・ドラゴン』の映画化である。
『刑事グラハム 凍りついた欲望』(1986)は、傑作『ヒート』(1995)を生んだマイケル・マン監督がメガホンを取り、映画初出演となる名優ブライアン・コックスがレクター博士を演じている。
だが、レクターの知名度はまだ高くなく、映画は鳴かず飛ばず、後に『羊たちの沈黙』にあやかって『レッド・ドラゴン レクター博士の沈黙』と改題されビデオ再販となる。
◇
一方、『レッド・ドラゴン』(2002)は、『羊たちの沈黙』(1991)、『ハンニバル』(2001)の次に登場したシリーズ第三弾。監督は『ラッシュアワー』のブレット・ラトナー。
レクター役には当然アンソニー・ホプキンス。その他、主人公ウィル・グレアムにエドワード・ノートン、レッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド役にレイフ・ファインズを配する豪華な布陣となっている。
なお、本原作は2013年にドラマにもなっている(『ハンニバル』という紛らわしいタイトル)。こちらでレクター役を演じたマッツ・ミケルセンも評価が高い。
羊が沈黙する前の物語
映画がヒットすると、その続編として前日譚を考えて世に出すパターンは、古くは『明日に向って撃て!』から最近では『エスター』まで枚挙に暇がない。
だがユニークなことに、トマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』はシリーズ第1作にもかかわらず、レクター博士がまだ脇役扱いだったせいか、映画の方はヒットした『羊たちの沈黙』の前日譚扱いになっている。
◇
本作の面白味は、あれだけキャラの濃いレクター博士が助言者の位置に留まっている奥ゆかしさにある。
すでにそのキャラが有名になっている『レッド・ドラゴン』ではアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士を効果的に使えるのに比べると、知名度の低かった頃の『刑事グラハム 凍りついた欲望』が不利な感は否めない。
物語の主人公は元FBI捜査官ウィル・グレアム(邦題はグラハムだが)。
満月の夜に連続して起きた一家惨殺事件の犯人(噛み付き魔、原作では<歯の妖精>)捜査に協力してほしいと、かつての同僚、FBI特別捜査官のジャック・クロフォードに要請される。
グレアムがFBIを退職したのは、かつて殺人鬼のレクター博士の犯行を鋭く見破るが、逮捕の際に瀕死の重傷を負ったことが原因だった。だが、捜査に行き詰ったグレアムは、監獄に収容されたレクター博士に助言を求めることになる。
新旧キャスティング
本作の主要な登場人物の紹介をかねて、新旧作品の配役を比較してみたい。
まずは主人公のウィル・グレアム。『刑事グラハム』(以下、旧作)ではウィリアム・L・ピーターセン、『レッド・ドラゴン』(以下、新作)ではエドワード・ノートンが演じている。
ウィリアム・L・ピーターセンは、本作で注目され、ドラマ『CSI:科学捜査班』で主任を長年演じる。異常犯罪捜査の専門家にしては、ちょっと頑強すぎる。
その点、エドワード・ノートンは、インテリっぽさと神経質な感じがフィットする。異常犯罪捜査の専門家。黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』(2016)の西島秀俊もそんなプロフィールの役だったっけ。
◇
そして独房で優雅で知的な生活を送る殺人鬼ハンニバル・レクター博士。新作のアンソニー・ホプキンスは、もはや本物にしか見えず、別格の存在感。
ただ旧作のブライアン・コックスも不敵な雰囲気はよく出ており、いつもとちょっと違うレクターとして、これはこれで悪くない。
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ウィリアム・ブレイクの描く竜の姿に自分を重ねて、残忍な犯行を重ねるレッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド。旧作のトム・ヌーナンと新作のレイフ・ファインズではだいぶキャラが異なる。
スキンヘッドにストッキングをかぶったトム・ヌーナンのダラハイドは、アブノーマルな感じ濃厚。一方、レイフ・ファインズは肉体を鍛錬し、背中一面にはドラゴンの刺青ありで、武闘派っぽい。
後述するが、ダラハイドの内面の苦悩を描いている新作の盛り上がりには、ストッキング男よりも鍛錬のレイフ・ファインズが似つかわしい。
そしてダラハイドと親しい仲になる盲目の同僚女性リーバ・マクレーン。旧作はジョアン・アレン、新作はエミリー・ワトソン。
殺人鬼を好きになってしまうキャラ設定に、同年公開の『パンチドランク・ラブ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)でも男運のない役のエミリー・ワトソンが似合いすぎる。
彼女の目の見えない設定の演技も見事だった。瞳の焦点を動かさないのは勿論、その状態でパイの中心に楊枝を立てて、ナイフで一切れカットする手さばきは大したものだ。
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グレアムを捜査に引き戻したFBI特別捜査官のジャック・クロフォード。旧作はデニス・ファリーナ、新作はハーヴェイ・カイテル。実際に警察署勤務の異色キャリアを持つファリーナと、『アイリッシュマン』(マーティン・スコセッシ監督)のカイテルか。これはどちらも渋いっす。甲乙つけがたし。
グレアムにつきまとう、有能だがタチの悪い新聞記者フレディ・ラウンズ。旧作は『アバター』シリーズのラスボス・マイルズ大佐役で有名なスティーヴン・ラングである。まだ若くあそこまで屈強ではなく、レッド・ドラゴンに痛めつけられるけど。
新作はフィリップ・シーモア・ホフマン。当然ながら憎まれ役としていい味をだすのだが、ちょっと本作では、やりすぎで笑いになってしまった気がする。
新旧比較レビュー(ここからネタバレあり)
前半は旧作も健闘していた
さて、新旧両者を見比べてみると、前半までは『刑事グラハム 凍りついた欲望』も健闘していたように思う。
フロリダのビーチまできてグレアムに捜査協力を依頼するクロフォード。卓越した洞察力で、死体の眼球に犯人の指紋が付いていると推理するグレアム。そしてレクター博士の独房を訪ねるまでの展開もテンポよく、分かりやすい。
感心したのは、レクター博士が独房からとあるオフィスに電話をして、まんまとグレアムの自宅住所を聞き出す手口。これは新作よりも旧作の方が一枚上だった。
ただ、旧作のレクター博士の独房はあまりに殺風景で狭く、新作に比べると粗末すぎる。あれではレクター博士の威厳が十分に伝わらない。
もっとも、新作の方は岩壁に囲まれた重厚な書斎のようで、なんで犯罪者があんな独房に住めるのか、不思議ではあるが。博士の氏素性がよく知られた新作ならまだしも、初登場の旧作であのスイート独房に住まわすことは難しい。
◇
そう考えると、新作は何かと得をしている。
冒頭で、美食家のレクター博士がまだ収監される前に、楽団員に内緒で彼らに同僚の人肉をふるまうシーン。
その後にグレアムが博士の犯行と察知し、撃ち合いになる場面までは新作オリジナル(厳密には、『羊たちの沈黙』の原作にチラッと登場)だが、あのエピソードはすでにレクター博士がキャラ立ちしている新作だからこそ。
体育館のような広い空間を、天井からの鎖につながれてグルグルと散歩させられるレクター博士の演出も同様に、余裕のなせる業。
旧作は後半一気にトホホな展開
中盤以降になると、旧作はいっきにアラが目立ち始める。これはダラハイドの内面的な苦悩を丁寧に描くことを放棄してしまったせいだ。
幼少期から祖母に虐待を受け、ウィリアム・ブレイクの竜の絵に精神を支配されたダラハイドが、自分を恐れず好意を持ってくれたリーバだけは傷つけたくないと、葛藤する。
そしてドラゴンを克服しようと、美術館に侵入し、ブレイクの絵に接近すると、それをムシャムシャと食べてしまう。これは驚き!
旧作はこの辺の描写が省かれたため、結局自分を制御できなかったダラハイドが、リーバとともに死のうとする展開に説得力がない。
挙句、旧作ではダラハイドはリーバを救おうとするグレアムに撃たれて死んでしまうのだ。そしてそのままハッピーエンド。おいおい、最後にもう一波乱必要なことは、原作を読んでも明白ではないか。
◇
新作は、そのダラハイドの最後の悪あがきまできちんととらえ、おまけに、最後にはレクター博士の独房に、美人の新入り捜査官が訪ねてくるという場面で終わる。
こうして竜から羊にバトンは渡されるわけだが、新作の作り込みに比して、旧作はどうにも原作の読み込みが足りない。改題だけでは、ダメなのだ。