『エイリアン』 (リドリー・スコット監督)
『エイリアン2』(ジェームズ・キャメロン監督)
『エイリアン3』(デヴィッド・フィンチャー監督)
『エイリアン4』(ジャン=ピエール・ジュネ監督)
『エイリアン3』
Alien3
公開:1992 年 時間:114分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: デヴィッド・フィンチャー 脚本: デヴィッド・ガイラー ウォルター・ヒル ラリー・ファーガソン 原案: ヴィンセント・ウォード キャスト リプリー: シガニー・ウィーバー クレメンス: チャールズ・ダンス アンドリュース: ブライアン・グローヴァー アーロン: ラルフ・ブラウン ディロン: チャールズ・S・ダットン モース: ダニー・ウェッブ ゴリック: ポール・マッギャン グレゴール: ピーター・ギネス ジュード: ヴィンチェンゾ・ニコリ ビショップ: ランス・ヘンリクセン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
あらすじ
エイリアンと二度も死闘を繰り広げた宇宙航海士リプリーらが人工冬眠で眠る彼女たちの宇宙船は地球への帰還を目指していた。
しかしそこでひそかに隠れていたエイリアンが暴れ出し、リプリーら四人を乗せた脱出艇は刑務所惑星であるフィオリーナ161に不時着。
唯一生き残ったリプリーは受刑者たちにエイリアンの危険を伝えるが、脱出艇から惑星に乗り込んだエイリアンはさらなる進化を遂げながら人々を襲う。
今更レビュー(ネタバレあり)
デヴィッド・フィンチャーの黒歴史
一応、シリーズ三作目となる本作は、デヴィッド・フィンチャーの初監督作となっている。
だが、NETFLIXと『Mank/マンク』(2020)を第一弾とする4年間の独占契約を結んだ完璧主義者のデヴィッド・フィンチャー監督が当時語ったところでは、トラブル続きで勝手に再編集された本作を自身の監督作にはカウントしていないようだ。
たしかに、本作を観てみると、彼の気持ちにも肯ける。次作の『セブン』の冴えわたる演出をみれば、本作にはフィンチャーらしい冴えがあまり見られない。処女作には映画監督のすべてが詰まっているものだ。だから、彼にとっては不本意な出来なのだろう。
◇
客観的にいえば、初監督するのには分が悪い状況だ。シリーズ第一戦・第二戦で、リドリー・スコットとジェームズ・キャメロンという名投手が完全試合で勝利をあげたあとの三戦目だ。相当のプレッシャー。
前作でどうにか逃げ延びた四人を乗せた脱出艇が、本作冒頭では刑務所惑星に不時着し、リプリー以外みな死んでいるという衝撃的な導入部分(少女のニュートまで!)。
またも閉鎖的な空間での鬼ごっこでリプリーだけが生き残るのだろうと、さすがにマンネリ感は避けられないアウェイな状況。これだけ災難に見舞われ続けるリプリーが、『ダイハード』のブルース・ウィリスに見えてくる。
刑務所惑星というとジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』(1981)的な閉ざされた市街の恐怖かと思ったが、囚人たちはすぐに彼女を受け入れる。だがエイリアンと戦おうにも、この惑星には武器がない。みんなで知恵と工夫で戦うことがひとつの特徴となっている。
そこはチラ見せじゃないと
前回複数形になったタイトルだが、今回は”Alien 3”となっており、三乗の恐怖だよといいたいのだろうか。だが、いうほど怖くない。それは敵が一匹に戻ったということより、登場シーンから全身を鮮明に見せすぎていることによる。
ギーガー造形のエイリアンの怖さは、粘液だらけの得体のしれない物体を暗闇でチラ見せするからこそ生きる。照明のもとでクリアに動かされては、B級の怪獣映画だ。チラ見せの美学は三作目でも失われてはいけない。
数多い囚人と施設職員のうち、せっかく序盤でキャラ立ちさせた医師のクレメンス(チャールズ・ダンス)と所長のアンドリュース(ブライアン・グローヴァー)は、あまりに早々にあっけなく殺されてしまい唖然とした。
ここはもう少し引っ張って盛り上げようよ。クレメンスはどこかで生き返るのだと信じていたほどだ。
◇
エイリアンが犬に寄生するアイデアは良かったが、そうなると前述のカーペンターの『遊星からの物体X』(1982)のインパクトには敵わない。
一方で、壊れて廃棄処分となったアンドロイドのビショップ(ランス・ヘンリクセン)が、本作でもボロ雑巾のような上半身になりながら一瞬再生させられ力を貸す場面は、なかなかいい。
気分はターミネーター
なぜかエイリアンに襲われても殺されないリプリーが、不審に思って自分の体内をスキャンして調べると、一匹宿っているという展開は、今回数少ない新機軸。
結局それが原因で、彼女は周囲に「私を殺して!」と懇願し、最後には敵を倒した後にみずから自死を選ぶ。
◇
本作は前作のジェームズ・キャメロン監督は関わっていないと思うが、なぜか『ターミネーター』っぽいネタが後半に目立つ。
鉛の工場設備を活用し、鋳型にエイリアンを落として鉛で固めてしまおうという作戦もしかり、そしてラストに、自分が(敵の)唯一の生き残りだと溶鉱炉の中に飛び込んで自決する主人公というのも重なる。
リプリーが「アスタラビスタ、ベイビー」って言って消えて行っても不思議はない。
終盤に会社の連中がリプリーの体内に宿るエイリアンを地球に持ち帰ろうと現れるところ。その中にビショップ(但し、今度は人間だと言い張る)が再登場したのは驚きだが、リプリーを言いくるめようとしているのはミエミエ。
あいかわらず、一番怖いのは人間だよね、というメッセージは健在のようだ。