『華麗なるギャツビー』
The Great Gatsby
フィッツジェラルドの米国文学を映画化した、ロバート・レッドフォード版(1974)とレオナルド・ディカプリオ版(2013)を徹底比較
公開:1974 年 時間:144分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: ジャック・クレイトン
脚本: フランシス・フォード・コッポラ
原作: F・スコット・フィッツジェラルド
『グレート・ギャツビー』
キャスト
ジェイ・ギャツビー:
ロバート・レッドフォード
ニック・キャラウェイ:
サム・ウォーターストン
デイジー・ブキャナン: ミア・ファロー
トム・ブキャナン: ブルース・ダーン
ジョーダン・ベイカー:ロイス・チャイルズ
マートル・ウィルソン: カレン・ブラック
ジョージ・ウィルソン:
スコット・ウィルソン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
『華麗なるギャツビー』
The Great Gatsby
公開:2013 年 時間:143分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: バズ・ラーマン 脚本: クレイグ・ピアース 原作: F・スコット・フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』 キャスト ジェイ・ギャツビー: レオナルド・ディカプリオ ニック・キャラウェイ:トビー・マグワイア デイジー・ブキャナン:キャリー・マリガン トム・ブキャナン:ジョエル・エドガートン マートル・ウィルソン: アイラ・フィッシャー ジョージ・ウィルソン: ジェイソン・クラーク ジョーダン・ベイカー: エリザベス・デビッキ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 世代的にはどうしてもレッドフォードを贔屓目に評価してしまうのだが、それを抜きにしても、ディカプリオ版のギラギラとド派手彩色の映像と現代音楽との融合は、フィッツジェラルドの原作との相性はイマイチ。
- やはり落ち着いてロングアイランドのエメラルド色の埠頭の灯を眺めながら、悲運の男女のドラマに浸れる旧作に一票。
あらすじ
1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドの豪邸で暮らす大富豪ギャツビーは、毎夜のように盛大なパーティを催していた。
隣人ニックはパーティに招待され、謎に包まれたギャツビーの過去を徐々に知るようになる。ダコタの農家に生まれたギャツビーは、第1次世界大戦中にデイジーという女性と出会い恋に落ちる。
しかしギャツビーがフランス戦線へ送られた後、デイジーはシカゴの富豪と結婚。帰国したギャツビーはその事実を知り苦しむが、再び彼女の愛を取り戻すことを決意し、歳月をかけて大富豪にのし上がっていく。
今更比較レビュー(ネタバレあり)
どっちが華麗なるギャツビーか
ただ恋を成就させるため、巨万の富を築いた男。ジェイ・ギャツビー。
原作は、虚栄に満ちた人生の儚さともの悲しさを描いたF・スコット・フィッツジェラルドによる米国文学の傑作『グレート・ギャツビー』。日本ではマンダムの男性化粧品のブランド名としても馴染みが深い。
過去に何度も映画化や舞台化されている作品だが、今回はその中でも代表作といえるロバート・レッドフォード主演の『華麗なるギャツビー』(1974、ジャック・クレイトン監督)【旧GB】と、映画としては最新のレオナルド・ディカプリオ主演の『華麗なるギャツビー』(2013、バズ・ラーマン監督)【新GB】を比較してみたい。
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意外なことに、両作品ともかなり原作に忠実に作られており、長さも約140分とほぼ同じという点は興味深い。ただ、受ける印象は大きく異なる。
本物の重厚感か、ギラギラの派手さか
まず、映像そのものから伝わるものがまるで違う。
当然、21世紀に撮られた新GBは絵がきれいで明るい。それに比べると旧GBはさすがに画質や色合いに古めかしさを感じる。だが、世の中何でもシャープでクリアなものが優れているわけではない。
特徴的なシーンとして、例えばロングアイランドの海を隔てて見えるエメラルド・グリーンの桟橋の灯。これは、ギャツビーが恋人デイジーとの幸福の日々を想う、重要な情景だ。
旧GBで映し出される緑の光は、ホタルのように小さく頼りないが美しく点滅し、涙を誘う。一方新GBの緑の光は、力強く、またいかにも合成で撮られたような眩しさで、情緒に欠ける。
一事が万事。新GBで描かれる、ギャツビーの壮大な屋敷や広い庭で繰り広げられるパーティは、スケールこそ大きく見えるが、どれもCGによる作り物のようで、最新の技術で手軽にこしらえた感じが否めない。
かたや、旧GBにおいては、屋敷の中も広大な庭も、CGなどない時代ゆえ当然本物であり、その重厚感にはとても歯が立たない。
◇
或いは、物語の重要な舞台となる、ロングアイランドとマンハッタンの中間地点にあたる灰の谷という寂れたエリアの自動車修理工場。ここには、メガネをかけた博士の巨大な顔が上から道路を見下ろす看板が放置されている。
この看板自体は両者ともよく似ているのだが、それを効果的に画面のなかに取り入れようとする新GBは作為的で鼻につき、また灰の谷全体の街並みも、どこか舞台セットのような嘘くささを感じる。旧GBは看板の扱いもさりげなく、自然だ。
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シニア世代には、旧GBの映像の方がドラマに入り込めるし、本物の重厚感があって美しいと感じるのではないか。もしかしたら若い世代には、ギラギラと彩度が高くコントラストの強い新GBの方が好みなのかもしれないが、私には人口着色料の多用に思える。
レッドフォードかディカプリオか
キャスティングについても、世代で好みが分かれるところだ。謎めいた大富豪のジェイ・ギャツビーに相応しいのは、ロバート・レッドフォードかレオナルド・ディカプリオか。
どちらも名優だけあってギャツビーに見えるのは確かだが、ギャツビーといえばロバート・レッドフォードと刷り込まれてしまっている世代なので、私は旧GB派になってしまう。
序盤で隣家に越してくるニックの前になかなか姿を見せないギャツビーが、自宅パーティの場面で初めて顔を見せるシーン。
パーティ中に殺し屋のような執事に個室に通され、少し怯えているニックに笑顔で挨拶する、ロバート・レッドフォードのギャツビーの登場がいい。ここは観客もドキドキする。
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一方新GBでは、夜のガーデンパーティで、いきなりニックの前に顔をだすレオナルド・ディカプリオのギャツビー。バックには打ち上げ花火があがり、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れる。
これは派手過ぎだ。『ロミオ+ジュリエット』(1996)に続きディカプリオを起用したバズ・ラーマン監督の悪ノリ演出全開。
他のキャスティングについて
ギャツビーの隣人ニックは実は主人公といってもよい役だが、旧GBで演じたサム・ウォーターストンの印象は薄い。多くの観客は、レッドフォードとデイジー役のミア・ファローしか思い出せないだろう。
新GBではそのニックにトビー・マグワイアを起用。ニックの存在感は新GBの方が大きい。そもそも、新GBは作品自体、ニックがタイプを打ち回想録を書いている形式をとっているくらいだ。ちなみに、この構成は『ムーラン・ルージュ』(2001)と同じである。
女優陣はどうか。ギャツビーを待てずに大富豪トム・ブキャナンと結婚し、後悔しているデイジーに(旧)ミア・ファロー、(新)キャリー・マリガン。
彼女の親友ジョーダン・ベイカーには(旧)ロイス・チャイルズ、(新)エリザベス・デビッキ。
そして、自動車修理工の夫を持つトムの愛人マートル・ウィルソンに(旧)カレン・ブラック、(新)アイラ・フィッシャー。
男性陣ではあまり時代の差を感じなかったが、女性陣は、新GBの顔ぶれはみな現代風に思えた。当時新人だったエリザベス・デビッキなどは、あの今風な美しい顔立ちと高身長で、新時代を感じさせる。
音楽その他
音楽については、新GBではバズ・ラーマン監督が『ムーラン・ルージュ』でも見せた、古い時代設定に現代音楽の組み合わせ。
これは古い演奏とダンスを再現した旧GBと大きな違いだと思うが、まったく同じ演出でリメイクしても意味がなく、最新のダンスミュージックを採り入れた新GBには面白味を感じた。これは悪くない。
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最後に、語れなかった点をいくつか。どちらも原作に忠実な展開と前述したが、新GBでは心情部分を語るのに原作にはない台詞を補っている部分が多く、内容を理解しやすい(説明過多にもなっていないと思う)。
また、旧GBはリアルさ追求なのか撮影環境のせいなのか、登場人物がずっと大汗をかいて演技している。映画ではあまりの暑さにNYにフローズンのモヒートを飲みに行くくらいなので、汗をかいていても納得なのだが、ちょっと異様だ。ちなみに新GBでは汗ひとつかいていない。
ギャツビーの哀愁が濃厚なのは
新GBのディカプリオは、デイジーを夫トムから奪い返そうと直談判した際に、トムに自分の過去や本業を暴かれそうになり、家柄の違いを愚弄され激昂し彼を殴る。
その後に混乱したデイジーが部屋を飛び出し、やがて交通事故を引き起こすわけだが、ギャツビーが本性をみせカッとなるシーンはこの一瞬だけだ。だが、原作にも旧GBにもこのようなシーンはない。
◇
両作品とも、ギャツビーを乗せた黄色いクルマを運転したデイジーが、トムの愛人であるマートルを轢き殺してしまい、妻を殺された夫ジョージがトムの嘘を鵜呑みにしてギャツビーを射殺する。
デイジーはギャツビーとの愛を忘れ、何もなかったようにトムとの元のさやに収まる。そういう悲しい話だ。
だが、感情を露わにすることなく、終始紳士的なままデイジーを庇い、死んでいくレッドフォードのギャツビーの方が、一瞬でも本性を見せたディカプリオよりも一層哀れに見える。
あっけなくギャツビーを忘れるデイジーのファムファタールぶりも、旧GBの方が辛辣だ。
◇
というわけで、初めて本作を観る分には、新GBでも楽しめると思う。だが、ギャツビーの生きた時代や心情を理解しようと思えば、やはり正統派の旧GBが相応しい。
ロバート・レッドフォードのほかに、白やピンクのスーツを着てこれだけサマになる男がいるか。一度刷り込まれたギャツビーのイメージは、消えそうにない。