『GAGARINE ガガーリン』
Gagarine
老朽化したガガーリン団地を愛し、建て替えを阻止せんと抵抗する少年の青春ストーリー。
公開:2022 年 時間:95分
製作国:フランス
スタッフ 監督: ファニー・リアタール ジェレミー・トルイユ キャスト ユーリ: アルセニ・バティリ ディアナ: リナ・クードリ フサーム: ジャミル・マクレイヴン ダリ:フィネガン・オールドフィールド ファリ: ファリダ・ラウアジ ジェラール: ドニ・ラヴァン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
パリ東郊に位置する大規模公営住宅ガガーリン。宇宙飛行士ガガーリンに由来する名を持つこの団地で育った16歳のユーリ(アルセニ・バティリ)は、自らも宇宙飛行士を夢見る一方で、かつて自分を置いていった母の帰りを待ち続けていた。
ところがある日、老朽化と2024年パリ五輪のため、ガガーリン団地の取り壊し計画が持ち上がる。
住人たちの退去が進む中、ユーリは母との大切な思い出が詰まった団地を守るため、親友フサーム(ジャミル・マクレイヴン)や思いを寄せるディアナ(リナ・クードリ)とともに、取り壊しを阻止するべく立ち上がる。
レビュー(まずはネタバレなし)
ガガーリンの名をもらった団地
そりゃ誰でもこのタイトルなら、ソ連の宇宙開発ものの映画だと思うだろう。だって、「地球は青かった」のガガーリンだもの。まさか、ソビエトとは無縁のフランスはパリ郊外にある団地の名前だとは夢にも思わない。
でも、これはそういう映画なのだ。一応、人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたユーリ・ガガーリンと関わりがない訳ではない。当時のスーパースターだった、彼の名前を付けた集合住宅シテ・ガガーリン。
1963年の竣工時にガガーリン本人が訪問した様子が、映画の中でも使われている。住民一同、大喝采だ。
人類初の月面着陸を果たしたニール・アームストロングも『ファースト・マン』(デイミアン・チャゼル監督)をはじめ映画にも登場する英雄だが、それまでは、おそらくガガーリンが人気ナンバーワンの宇宙飛行士だったのだろう。
本国のみならず世界中に引っ張りだこで、東京にも訪れている。ガガーリン団地もその一環か(小浜市がオバマ氏を招へいするのとはちょっと違うけど)。
老朽化とオリンピックで取り壊し
さて本作の主人公は、ここガガーリン団地に暮らし、偉大なる宇宙飛行士と同じ名を授かった16歳の少年ユーリ(アルセニ・バティリ)。
老朽化と2024年パリ五輪のために取り壊し計画が持ち上がるガガーリン団地のために、孤軍奮闘する物語なのである。着想がユニークだ。
◇
1963年、パリ市郊外のイヴリー・シュル・セーヌ市に、14階建て 380戸の大規模な公営団地が完成する。巨大なT字型を成す、赤レンガ造りの特徴的な集合住宅。
戦後の住宅不足を補う近代建築の走り。キッチン・風呂・トイレ付きの暮らしは当時の最先端で、周辺住民にとって憧れの住まい。高度成長期の東京近郊の団地事情とどこか似ている。
だが、いかに古い建物を大事にする欧州とはいえ、さすがに鉄筋コンクリート住宅の老朽化は手に負えないのか、取り壊しの噂が絶えない。動かないエレベータに文句をいう少年少女。てっきり学校の校舎かと思ったら、これは団地の話。
ユーリは大人も見放す団地のメンテを一人で実践し、共用部の照明からドアホン、エレベータの電源設備に至るまで、プロ顔負けの手入れをする。
彼を残して家を出て行った母の形見の宝石類を手離して、団地の照明や電線など設備を廃品業者から入手するほどののめり込み(廃品業者はレオス・カラックス監督の盟友ドニ・ラヴァンじゃないか)。
思い出のつまったこの団地を解体から守りたい。ユーリには、親友のフサーム(ジャミル・マクレイヴン)や、ジプシー生活をしている、気になる娘・ディアナ(リナ・クードリ)といった援軍もいる。
だが、非情にも当局の査察によって、半年以内の退去・解体が勧告されてしまう。
団地に暮らす人々の日常
本作は実際に2019年に取り壊されたシテ・ガガーリンの解体直前にロケをしていることから、セットや特撮ではけして真似できない、本物にしか出せないリアルさと、建物自体から滲み出る無常観のようなものがカメラに収まっている。
日本でも五輪開催のために取り壊された都営霞ヶ丘アパートのドキュメンタリー映画があったが、実際の解体から着想を得てフィクションの映画が撮られるのは珍しいのではないか。
永年この団地に暮らす人々が、屋上で楽しそうに踊ったり、みんなで皆既日食を観察したり、楽しそうに過ごすシーンと、後半に退去して遠くに散っていく様子との対比が切ない。
そして、みんなが去っていく巨大な建物のなかで、ただひとりユーリだけが砦を守るかのように、ひっそりと住み続ける。
◇
監督のファニー・リアタールとジェレミー・トルイユの二人は、当初シテ・ガガーリンを舞台に15分の短編を撮り、団地を題材とする全国の短編映画コンクールでグランプリを受賞。その後、市の全面協力を得て、本作に取り掛かる。地域や住民と共同で作った作品といえる。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
団地が宇宙船のようになっていく
宇宙飛行士に憧れているユーリは、ほぼ無人となった団地の中に籠ると、部屋の薄い壁を何枚もぶち抜き部屋を広くして、要塞のように改造する。
やがて室内菜園も作り始めると、マット・デイモンが『オデッセイ』(リドリー・スコット監督)で見せた宇宙基地のような雰囲気になる。
籠城してどうなるものでもないが、そんな彼の秘密基地に、親しくなったディアナや、彼をいじめていた不良のダリ(フィネガン・オールドフィールド)も訪れ始め、隠れ家生活も長期化してゆく。
◇
ディアナとユーリが次第に親密な関係になっていく様子も描かれている。
リナ・クードリは『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(ウェス・アンダーソン監督)ではモペットに乗った女学生だったけど、こちらでは自転車を乗り回す。だが、楽しい時期は長く続かない。
モールス信号でディアナとユーリが二人だけの会話を楽しむシーンはユニークだ。
クロエ・グレース・モレッツの『モールス』(マット・リーヴス監督)みたいに少年少女がひっそりと壁伝いに会話するのではなく、夜中に遠く離れたビルの屋上のクレーンと、無人の団地の窓で照明を使って会話するのである。
これはスケールがでかい。とはいえ、このシーンは美しく、またロマンチックでもある。建造物同士が光で会話をしているようで、宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」を思い出した。
本作では全編を通じてガガーリン団地を美しく撮ることに終始しており、作り手の愛情を感じる。有終の美を飾るようで、このような映画を残して解体されるのなら、建物も浮かばれるのではないかと思ってしまう。
建物解体の日の奇跡
本作のクライマックスは、いよいよ大量のダイナマイトで建物を解体させようという場面。遠くに散り散りになっていた住民たちも、この日ばかりはと再集結し、古巣との別れを惜しむ。住民のトランペットの響きが哀愁を誘う。
だが、建物にまだユーリが一人で隠遁生活を送っていることを誰も知らない。このまま爆破され、死んでしまうのか。ディアナだけは彼の行方を心配しているが、さすがに団地に残っているとも思えない。
◇
ユーリのそばには犬のライカ。初めて宇宙飛行した犬の名前と同じではないか。思えば、ライカは宇宙飛行で帰らぬ犬となり、ユーリ・ガガーリンも宇宙飛行の5年後に墜落死している。同じ名前の二人がここにいるということは、本当に爆死してしまうのか。
ここから先はファンタジーが入り込む。ユーリを取り巻く世界が無重力になる。ついに爆風で身体が浮いたのかと心配したが、どうやらそうではない。
そして『未知との遭遇』にでも出てきそうな、光の洪水が現れる。なんと、ガガーリン団地は、本当に宇宙船となるのだ。ああ、なんと胸の熱くなるエンディングなのだろう。
◇
宇宙飛行士ガガーリンの名を授かったパリ郊外の集合住宅シテ・ガガーリン。解体前の実際の建物でロケし、地域住民の協力のもとで作られた、建物愛に満ちた作品。団地好きにはたまらないファンタジー。
ガガーリン団地の解体前には、ここで生まれ育ったというフランスのラップデュオ「PNL」の巨大広告が掲示されたらしい。その上にこんな映画まで作ってもらえて、ガガーリン団地は幸せ者だよ。