『ゴッドファーザー PARTⅡ』
The Godfather Part II
フランシス・フォード・コッポラ監督が贈るイタリア系マフィア一族の不朽の一大叙事詩、第二弾。
公開:1974 年 時間:200分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: フランシス・フォード・コッポラ 原作: マリオ・プーゾ キャスト ヴィトーのパート ヴィトー(ドン):ロバート・デ・ニーロ カルメラ: フランチェスカ・デ・サピオ クレメンザ: ブルーノ・カービー テッシオ: ジョン・アプレア ドン・ファヌッチ:ガストーネ・モスキン ドン・チッチオ: ジュゼッペ・シラート マイケルのパート <コルレオーネ> マイケル(ドン): アル・パチーノ フレド(兄): ジョン・カザール トム・ヘイゲン: ロバート・デュヴァル ケイ(妻): ダイアン・キートン コニー(妹): タリア・シャイア カルメラ(母): モーガナ・キング アンソニー(子):ジェームス・ゴナリス メアリー(子): ソフィア・コッポラ <ファミリー> フランク: マイケル・V・ガッツォ チッチ: ジョー・スピネル ロッコ: トム・ロスキー アル・ネリ: リチャード・ブライト <ファミリーの敵> ロス: リー・ストラスバーグ ジョニー: ドミニク・キアネーゼ ロサト兄弟: ダニー・アイエロ カーマイン・カリディ ギアリー議員: G・D・スプラドリン
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
1958年。亡き父ヴィトーの後を継いでファミリーのボスの座に就いたマイケル(アル・パチーノ)は、収入源であるラスベガスに近いネバダ州タホ湖畔に根拠地を移す。そんな彼は、ことあるごとに偉大な父を思い出していた。
1901年、シチリア島。9歳のヴィトーはマフィアに両親と兄を殺されて天涯孤独となり、単身ニューヨークへと渡る。リトルイタリーで成長したヴィトー(ロバート・デ・ニーロ)は、街を牛耳るギャングを暗殺したことをきっかけに移民たちの信頼を集め、頭角を現していく。
一気通貫レビュー(ネタバレあり)
前日譚と後日譚の交錯
アカデミー賞作品賞ほか三部門を受賞し興行的にも成功を収めた、燦然と輝く金字塔『ゴッドファーザー』の続編。
傑作の登場からほんの二年後に公開され、タイトルも『PARTⅡ』が加わっただけ。一般的には二匹目のドジョウねらいのやっつけ仕事で、間違っても前作を凌駕はしないものだろうが、本作は違った。
◇
単純な続編とは一味違う。本作では、コルレオーネ・ファミリーに継承される力の歴史が、二世代の別々の時代のストーリーとして描かれるのだ。
一つは、ロバート・デ・ニーロ扮する若き日のヴィトーがゴッドファーザーとしての地位を築くまで。そしてもう一つは、ヴィトーの三男、アル・パチーノが演じるマイケルが次世代のドンとして成長する姿。
二人の主人公、二つの時間軸が、途中何度も入れ替わりながら話を進めていく。どちらも一本の映画として成立するだけの出来栄えだ。二本立ての映画と思えば、200分の映画はむしろ短いくらいに感じる。
ヴィトー(マーロン・ブランド)が死に、マイケルがドンの座を引き継いだのが前作。本作はその前日譚(若き日のヴィトー)と後日譚をまとめて見せるような構成。『スターウォーズ』や『インファナル・アフェア』を例に出さずとも、前日譚と後日譚は普通分けて公開するものだが、そこはフランシス・フォード・コッポラ監督は、発想が斬新だ。
そして何と本作は、前作に続いてアカデミー賞で作品賞を獲得するという偉業を成し遂げる。同じ路線の焼き直しでは決してこうはいかなかっただろう。
まずは若きヴィトーの時代
『ゴッドファーザーPARTⅡ』は過去に何度か観ているが、前作から日を置かずに観たのは今回が初めてで、それゆえに理解も感動も深まったように思う。
それはつまり、登場人物の顔と名前、プロフィールがしっかり頭に入っているおかげだ。
あれ、この男は敵か味方か? ファミリーの家族構成はどうだった? などと思いを巡らせていると、肝心の物語に没入し損ねるので、やはり連続鑑賞が理想なのだろう。
若き日のヴィトーがアパートの隣人から「イタリア語分かるか?これをしばらく預かっててくれ」と拳銃数丁が入った袋を乱暴に渡される。それが前作でドンに長く仕える部下だったクレメンザとの出会いなのだ。これは個人的には今回の発見。
本作は前作で見られたような激しい機関銃の撃ち合いのような場面は減り、代わりに人間ドラマとしての悲哀が一層強まっている。
まずはヴィトーのパート。生まれ育ったシチリアのコルレオーネ村。村を仕切るマフィアのドン・チッチオ(ジュゼッペ・シラート)。彼を見て笑ったというだけで父が殺され、兄も殺され、残ったヴィトーだけは赦してほしいと懇願する母もチッチオ一味に殺された。
天涯孤独になったヴィトーは、移民船でエリス島に渡る。ニューヨークで成長したヴィトーは、やがてカルメラ(フランチェスカ・デ・サピオ)と結婚し、長男のソニーが生まれる。生活はただでさえ苦しいところに、町を仕切るドン・ファヌッチ(ガストーネ・モスキン)の横槍でヴィトーは職を失う。
なぜ同じイタリア人同士、助け合えないのか。彼は祝祭の日にファヌッチを尾行し、銃撃する。その日から、ヴィトーは街のイタリア系移民たちのゴッドファーザーとして人生を歩み始める。
シチリア訛りのイタリア語をマスターし、マーロン・ブランドを真似てしわがれ声で語るロバート・デ・ニーロ。役作りを徹底する男、ここにあり。ヴィトーが見せる正義の使命感は、二年後の『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督)に通じるようだ。
ヴィトーのパートの最後では、ドン・コルレオーネとしてビジネスを成功させた彼が、因縁の敵ドン・チッチオ(既に老人)に近づき、父の名を告げてかた斬殺する。きっちりカタを付けるのは、この世界の掟なのである。
父を継ぐマイケルの時代
そして、そんなヴィトーの性質を最も強く受け継いでいるのが、家業を任せられたマイケル。前作では安らいだ甘い顔も見せたアル・パチーノだが、本作では終始険しい表情である。
前作の終盤で五大ファミリーのドンを悉く暗殺し権力を得、ネバダでカジノホテル経営をしているマイケル。
更なる事業拡大を企むイタリア系の彼らを「アメリカ人のふりをして汚い商売をする奴」と強気に利権を要求するギアリー議員(G・D・スプラドリン)を懲らしめるのはかわいいものだが、前作で生き残ったコルレオーネ・ファミリーは多くの悩みを抱えている。
妹のコニー(タリア・シャイア)は実家に預けた息子に会いもせず、新しい男(トロイ・ドナヒュー!こんな冴えない男役もやるのか)を連れて現れ、荒んだ日常。それもマイケルが前夫カルロを殺したせいか。また、兄のフレド(ジョン・カザール)も弟の活躍の陰で、劣等感と嫉妬心に苛まれている。
NYの縄張りを任せているフランク・ペンタンジェリ(マイケル・V・ガッツォ)が利権をめぐりロサト兄弟(ダニー・アイエロ、カーマイン・カリディ)ともめかけている。相手のバックにはヴィトーの盟友だったハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)がいる。ロスを敵に回したくはない。
だがここから新たな悲劇は始まる。マイケルと妻のケイ(ダイアン・キートン)の寝室に撃ち込まれる機関銃。バーに呼び出され、敵に殺されかかるフランク。マイケルを狙っている黒幕はロスだと、徐々に分かってくる。
「フランクを殺ったのは誰だ?」
ロスに直接問いかけるマイケル。
「ベガスの町を作り上げたモー・グリーン。だが、ホテルは奪われ、彼は目を撃たれて死んだ。誰が殺ったか私は聞かないがね」
ビジネスパートナーには踏み込んではいけない領域があるらしい。マイケルとロスの緊迫したやりとりや対決は、マフィア映画として見どころが多い。
マイケルの苦悩、離散するファミリー
だが、ビジネスは思うように進んでも、マイケルの心は空虚である。海兵隊の英雄だった頃とは別人となり、平然と殺人指示をするマイケルに愛情を持てなくなったケイは、子供たちに未練を残しながらも、ついに家を出る。
「分かってないのね。流産したんじゃないわ、堕胎したのよ。あなたの子供はもう欲しくない」
マイケルには、妻の反抗も許せなければ、兄フレドの裏切りも許せなかった。図らずもマイケルの所在をロスに売る結果となった愚かな兄。
「母の生きているうちは、フレドは無事だ」
マイケルの意味深な言葉通り、母カルメラが死んだ直後に、フレドは釣りボートの上でマイケルの片腕アル・ネリ(リチャード・ブライト)に撃たれる。
父ヴィトーと同じように家族のためにドンの仕事に尽力するマイケル。だが、皮肉にも一人また一人と家族は減っていく。
ラストは、父ヴィトーが健在で、マイケルが海兵隊志願をしたころの回想シーン。父の誕生日に騒ぐ家族の一コマを思い出す。出演料でもめたマーロン・ブランドは出演しないが、父の不在は映画的にはかえって効果を生んだようにも見える。
兄貴風を吹かす長男ソニー(ジェームズ・カーン)、気立ての優しい次男フレド、養子だが兄弟同然のトム(ロバート・デュヴァル)、そして妹コニーには後に夫となるカルロ(ジャンニ・ルッソ)が紹介される。
ケーキを持って現れるテッシオ(エイブ・ヴィゴダ)も含め、みな楽しそうにしているが、過半の者は死に、その殆どはマイケル自身が仕組んだものだ。
父を目指して、自分がやっていることは、何なのだろう。その答えは次回作にあるのだろうか。