『祈りの幕が下りる時』
東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ、ついに完結。さらば、新参者・阿部寛、愛しき人形町よ。
公開:2018年 時間:119分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。被害者は滋賀県在住の押谷道子(中島ひろ子)。殺害現場となったアパートの住人・越川睦夫も行方不明になっていた。
やがて捜査線上に浮かびあがる美しき舞台演出家・浅居博美(松嶋菜々子)。しかし彼女には確かなアリバイがあり、捜査は進展しない。
松宮脩平(溝端淳平)は捜査を進めるうちに、現場の遺留品に日本橋を囲む十二の橋の名が書き込まれていることを発見する。その事実を知った加賀恭一郎(阿部寛)は激しく動揺する。それは失踪した加賀の母に繋がっていた。
今更レビュー(ネタバレあり)
さらば、新参者…
東野圭吾によるヒット作<加賀恭一郎シリーズ>の『麒麟の翼』に続く映画化作品。主演は勿論、阿部寛。原作としては現時点の最新刊、「さらば、新参者…」というキャッチコピーの通り、映画ではシリーズ完結編の位置づけになっている。
TBS日曜劇場『新参者』と同じく舞台となるのは人形町界隈だが、ドラマとは風合いが大分異なる。
◇
『麒麟の翼』の土井裕泰監督は『赤い指』(2011)や『眠りの森』(2014)といったドラマ特番で加賀恭一郎を手掛けているが、本作のメガホンを取ったのは、同じTBS所属の福澤克雄監督。これまで加賀恭一郎シリーズには関わっていないためか、どこか違和感は否めない。
原作は、世間の目を逃れてひっそりと旅を続ける親子の登場が、松本清張の『砂の器』を彷彿とさせると言われていたが、福澤克雄監督自身、『砂の器』(加藤剛の映画版じゃなくて中居正広のドラマ版)を手掛けていたからか、この部分の演出力には惹きつけるものがある。
事件の捜査の展開を明朝体のテロップで補足するスタイルも、どこか古式ゆかしい<刑事もの>の映画スタイルを思わせた。
東野圭吾なのに池井戸潤っぽさ
一方で、福澤監督と阿部寛は同じく日曜劇場『下町ロケット』でもタッグを組んでおり、本作にもどこか池井戸潤原作ドラマ特有のベタな演出を感じた。
全くの私見だが、こういった予備知識なく公開時に観た印象は、目がくぼんで無精ひげの加賀恭一郎(阿部寛)が滝藤賢一に見え、そして本庁勤めの従弟の松宮脩平(溝端淳平)が及川光博に見えた(ミッチーはこの後、別な役でホントに登場したので混乱したが)。
無意識に日曜劇場『半沢直樹』の配役に感じさせてしまうほどに、池井戸ドラマっぽさは残っている(薄まってはいるけど)。
『麒麟の翼』と同様に、捜査本部のお偉いさんの腰巾着のようなポジションに、安易にお笑い役(春風亭昇太)を投入するのも、全体のバランスを崩している。
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キャラ設定も、微妙に違う気がする。本作の加賀恭一郎は、事件に首を突っ込むまでは、実に軽い。
松宮と老舗の蕎麦屋に行き、「ちなみに、これお前のオゴリだから」と言ってみたり、ヒロインである舞台演出家の浅居博美(松嶋菜々子)に会って「やっぱ超キレイだな」と呟いてみたり。これまで築いてきた強面で捜査一筋だった切れ者キャラはどこにいったのだ。
彼に刑事のスイッチが入るのは、松宮がふと漏らした「遺留品に日本橋を囲む十二の橋の名」を聞いたときだが、そこでおふざけモードから豹変して怖い顔になるのも極端すぎて、噴飯ものである。
時は金なり常盤橋
ただし、物語自体は実によく出来ているし、スケールとしても映画化にふさわしい。
冒頭に、仙台の居酒屋で働き始める女性・田島百合子(伊藤蘭)のエピソード。夫と息子のいる家庭を捨て、この町に流れてきた百合子は、狭いアパートで孤独に息を引き取る。
彼女には親しくなった常連客の男がいたが、失踪してしまった。そして、その男が居酒屋の女主人(烏丸せつこ)に知らせた百合子の身内が、息子の加賀恭一郎だったのである。
◇
現在に時は移る。明治座に幼馴染の演出家・浅居博美を訪ねた押谷道子(中島ひろ子)がアパートから腐乱死体で発見される。捜査を担当する松宮から、「遺留品に日本橋を囲む十二の橋の名」を聞いた加賀は動揺する。
それは、2001年に孤独死した母に繋がっていく。加賀と病死した父親の隆正(山﨑努)との間に死ぬまであった確執は『麒麟の翼』で語られたが、それは、家を出て孤独に死んだ百合子を巡る父子の筋の通し方だった。
本作ではその内情が百合子本人の視点から示されるだけでなく、失踪した母親の死に目に会えなかった息子・加賀恭一郎が、その後16年間も一人で母の痕跡を探し続けてきたことが明らかになる。
生前、母と深い仲になっていたという失踪男性は、日本橋に頻繁に訪れていた可能性が高い。母の死に事件性があったわけではなく、どんな生活をしていたのか、少しで亡き母のことが知りたい。その思いだけで、加賀はひとりで男の足取りを追っていた。
優秀で知られた加賀刑事がなぜ本庁に引っ張られず、所轄の日本橋署でくすぶっているのか。これは過去作でも何度か投げかけられた疑問であったが、まさか、これが理由でこの町に居座っていたとは、仕掛けの大きさに驚く。
あと、調べていない関係者は誰だ
自分自身が関わっている事件の捜査となれば、通常は担当を外されるものであり、本作でも加賀の捜査への絡ませ方が難しそうだった。
その点では、過去のシリーズ作の方が正当な刑事ドラマのスタイルではあるが、「この事件は、俺の過去にまつわり過ぎる」と加賀が不審に思い始めるところから答えが見えてくるイレギュラーな展開は興味を惹く。
◇
母の恋人であった、失踪した男は一体どんな人物だったのか。そして絞殺事件の容疑者である演出家の浅居博美。十二の橋の名は、この二つの出来事をどう繋げていくのか。
すべての関係者にはアリバイがあり、捜査は行き詰まる。夜の日本橋福徳神社からYUITOを突っ切る細い路地を一人歩く加賀。
「あと調べていないのは誰だ? 俺か!」
その答えにたどり着いた瞬間、ガラスの壁に自分が映る。
父と娘の『砂の器』
映画は原作を二時間の尺に破綻なく綺麗に収めており、特に、加賀と松宮が小さな舟でこれらの川を下るシーンや、膨大な量の写真からある人物を探し出す過程など、映画ならではの効果が感じられる場面もあった。ホワイトボードに描かれた事件の人物相関図なども、理解の助けになっている。
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浅居博美役は松嶋菜々子のほか、14歳を桜田ひより、20歳を飯豊まりえが演じている。これはみんな好演だったが、一方で父親の浅居忠雄を小日向文世が一人で演じているのには無理があった。彼の演技は申し分ないが、若い頃の役のメイクは少々雑すぎる。ここは、若い俳優を起用して、老けメイクにした方が自然だったかと思う。
というのも、14歳の博美と父親との今生の別れの場面は、本作の白眉だったからだ。このシーンの桜田ひよりは良かった。二度見ても泣ける。ちなみに、ここで登場の音尾琢真もゲスな役が似合いすぎる。
小日向文世はうまいのに、あのカツラでちょっと笑えるのが惜しい。一旦去ったのに、またトンネルを駆け戻ってくるのはコントっぽい。
人は嘘をつく
『新参者』ファンとしては、「人はうそをつく」で始まるナレーションも嬉しいし、途中で入る菅野祐悟のテーマ曲が入るのもいい。前作からのJUJUのエンディング曲も、結構馴染んできた。ラストに時計屋の恵俊彰、煎餅屋の看板娘・杏、保険外交員の香川照之、このあたりまでのカメオ出演はさりげなさがあって好感。
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ただ、しつこすぎ、ベタすぎな演出も散見された。老舗蕎麦屋の砂場に「ここ高いんだよな」の台詞ではタイアップになっているのか疑問だし、「おっ、重盛の人形焼か」って、わざわざ店名言わせるか、普通。
明治座の当日券が加賀の目の前で売り切れになるのは、ドラマのパロディなので良かったのだが、ラストにいつもの鯛焼き屋でも同じネタを繰り返すのはさすがに野暮ではないかい。
阿部寛と松嶋菜々子の初共演というほどには、互いをぶつけ合うような対決が思ったより見られなかったのは残念だが、双方ともさすがの存在感で、シリーズ完結編の名に恥じない重厚な雰囲気にはなった。
「いい年齢して、強烈マザコンだ、俺は」
加賀がこんなに自分をさらけ出すのも珍しい。彼の人間味がとてもよく引き出された作品であり、シリーズ過去作品とこんなにスムーズかつ大胆な繋がりに仕上げるのは、さすが東野圭吾、恐るべき才能である。
この事件解決で本庁に戻った加賀の以降の活躍も見てみたいが、映画としては、ここで一旦すっきりと終わった感じはある。
それにしても阿部寛、本作の加賀のほか、『TRICK』シリーズの上田次郎などは10年以上同じ役を演じ続けたり、『ドラゴン桜』の桜木建二や『結婚できない男』の桑野信介は、10年以上ぶりの同じ役で続編を演じたりと、さりげなくすごいことをしてくれる俳優だ。次はどの役が復活するのだろう。