『梅切らぬバカ』
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」花だって人間だって、どう生かすかはそれぞれに違うのだ。
公開:2021 年 時間:77分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
山田珠子(加賀まりこ)は古民家で占い業を営みながら、自閉症の息子・忠男(塚地武雅)と暮らしている。
毎朝決まった時間に起床して、朝食をとり、決まった時間に家を出る忠男。庭にある梅の木の枝は伸び放題で、隣の里村家からは苦情が届いていた。
珠子は自分がいなくなった後のことを考えて悩んだ末に、知的障害者が共同生活を送るグループホームへの忠男の入居を決める。しかし、初めて離れて暮らすことになった忠男は環境の変化に戸惑い、ホームを抜け出してしまう。
そんな中、珠子は邪魔になる梅の木を切ることを決意する。
レビュー(まずはネタバレなし)
自閉症の息子という題材
自閉症を抱えた50歳の息子の面倒をみながら、都会の古民家で暮らす母親。地域住民とのコミュニティの偏見や不協和音と、このまま共倒れになってしまうのかという生活への不安。
題材は重たく派手さもなく、ともすれば暗くなりがちなテーマだが、主演の加賀まりこと塚地武雅の好演で、希望の見出せる作品に仕上げることに成功している。
監督は和島香太郎。文化庁委託事業<ndjc:若手映画作家育成プロジェクト>で2019年に「90分程度の映画脚本開発」で最終選考者に選ばれ、その後「長編映画の実地研修完成」作品として本作を撮った。
本作には、製作者たちの題材に誠実に向き合う姿勢と優しさが感じられる。
和島香太郎監督は、かつて坪田義史監督が自閉症の親戚にカメラを向けたドキュメンタリー映画『だってしょうがないじゃない』(2019)に編集参加している。
「あなたがたは障がい者を肯定的に描きすぎている」との周囲からの厳しい声で、使用できなかったカットもあったという。そのようなドキュメンタリーならではの経験も、本作には活かされているように思う。
加賀まりこ54年ぶりの主演作
山田珠子を演じた加賀まりこが素晴らしい。50歳になっても手間のかかりまくる自閉症の息子にイラつくこともなく、全てを肯定してあげる包容力と慈愛。
加賀まりこは、「たまたま連れ合いの息子が自閉症だったので、どう接するかというのを私はまあまあ知っている方だ」と語っているが、彼女の演技をみれば、その発言に肯ける。
息子への接し方とは打って変わって、自宅で生計を立てている占い業での彼女の自由奔放な言動が、対照的で面白い。どちらかといえば、こちらの顔が従来の彼女のイメージに近いわけだが、今回のメインは、あくまで息子に見せる優しく頼れる母の顔である。
岩井俊二に傾倒していたという和島香太郎にとって、『Love Letter』 に出ていた加賀まりこは、特別な女優だったのかもしれない。
『泥の河』(小栗康平監督)や『麻雀放浪記』(和田誠監督)など、印象深い作品は数あれど、なんと彼女の主演作は54年ぶりだとか。ちなみに前作は『濡れた逢引き』(前田陽一監督)なる異色スリラー。共演はその後に田辺エージェンシーを興した田辺昭知。
裸の大将、レインマンになる
さて、自閉症の息子を演じたドランクドラゴンの塚地武雅は、お笑い芸人が本業ながら、佐々木蔵之介と主演して高い評価を得た『間宮兄弟』(森田芳光監督)をはじめ、俳優としても定評がある。
なかには『ハンサム★スーツ』(英勉監督)のような笑える役もあるが、今回は間違ってもふざけているように見えてはいけない訳で、相当な苦労があったに違いない。
◇
本作で彼が演じた忠さんは、いつも時間を気にしては几帳面な行動を繰り返し、『レインマン』(1989年、バリー・レヴィンソン監督)のダスティン・ホフマンを彷彿とさせるほどの好演だった。
ただ、この役になりきることは、持ち前の演技力を発揮することとはやや性質が違うように思え、無理を承知でいえば、塚地武雅本来の演技が観たかっただけに、やや物足りない。結局、この手の役では、彼自身が芦屋雁之助に代わって演じていた『裸の大将放浪記』の山下清に近づいてしまうのだ。
里村家の親子との交流
山田家の庭に生える一本の梅の木。それは忠さんにとって亡き父の象徴だが、枝が私道にまで乗り出している。その細い私道を通らないと通りに出られない奥の家に引っ越してきた里村家。
夫の茂(渡辺いっけい)は、通行の妨げになる梅の木と予測不能な行動をとる忠さんを疎ましく思っていたが、妻の英子(森口瑤子)や息子の草太(斎藤汰鷹)は、珠子と密かに交流を育んでいく。
◇
この辺の、隣の家族との緩やかに交流が進んでいく過程と、はじめは邪魔でしょうがなかった梅の枝に里村家の人々が次第に慣れていく様子が、うまい具合に重なっている。
はじめは隣家の庭に伸びた枝が飛び出している設定でロケ地を探していたそうだが見つからず、最終的に映画のような構図で梅の木を用意することになったそうだ。これが望外の効果を生んでいるように思う。
朝、ゴミ袋を持って一緒に家を出る父子がこの枝をくぐって歩く姿は、映画にリズムと広がりを作る。ガミガミと文句ばかりいって育児を妻に押し付ける男性主義の夫を、渡辺いっけい。夫に文句を言われるばかりだが、適当にあしらっている感じの妻を森口瑤子。そして映画を動かしていく重要な役目を担う少年に斎藤汰鷹。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
本作で初めて知ったことわざなのだが、桜は古い枝を大切にしていないと全く花が咲かず、一方で梅は古い枝はすぐに枯れてしまうので、積極的に剪定し新しい枝を伸ばした方が良い。
種類によって剪定法に違いがあることを伝える言葉なのだろうが、後半だけタイトルに持ってくるセンスが良い。前述したドキュメンタリー映画では、やむなく庭の桜の木を伐採する場面があるそうだ。梅は切るのが筋なのだろうが、果たして本作ではどうか。
グループホームもつらいよ
本作では、グループホームの経営者(林家正蔵)の勧めもあって、悩んだ末に珠子は忠さんを施設に入れる。そこで忠さんは、同じような自閉症の同居人たちと共同生活を始める。
忠さんは別にマザコンではなく、結婚願望もあり、心配する母をよそに、あっけらかんと家を離れていく。このあたりの、感覚の違いが興味深い。
昨年公開されたイスラエル映画『旅立つ息子へ』は自閉症スペクトラムの息子と父親の話だったが、本作同様に、別れを惜しむ父親を振り向きもせず、施設に入る息子が登場したのを思い出した。
グループホームの周辺住民は、いつ暴れ出すか分からず、夜は嬌声をあげる居住者たちに不安が募り、監視を強化しろ、監禁しろと騒ぐ。
グループホームの経営者が林家こぶ平(今は正蔵か)、管理人には北山雅康、町内会長に広岡由里子と、これじゃまるで『家族はつらいよ』だ。更に徳井優や鶴田忍が加わるようでは、松竹喜劇かホームドラマかという顔ぶれだが、今回はみんな場をわきまえた演技で安っぽい笑いを取りにはいかない。
乗馬クラブのオーナーが高島礼子だったのは、少々意外なキャスティングだった気がするが…(いや、浮いているとか、嘘っぽいとかの意味ではない)。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
ありがとう、構いません
ちょっとした不運から発生したトラブルで、忠さんはホームから家に戻される羽目になる。
「おかえり、忠さん。忠さんがいてくれて、母ちゃん幸せだよ、ありがとう」
往来で大きな息子を抱き締める母。加賀まりこが和島監督に付け加えてもらった、こだわりの台詞だ。これに反応して泣くわけにはいかない塚地は、聞かないようにしたという。
忠さんの台詞は「構いません」。これは通りがかった廃品回収車のアナウンスを繰り返したものなのだが、この秀逸な返しで、ベタなドラマにならず、温かくも切れ味のよいシーンになっている。
この母は、女手一つで息子を育て、占いなどきちんと学んだのか知らないが、おそらくはハッタリをいうだけで、地方からも客が足を運ぶ占い師になった。父親は死んだことにしているというから、本当は面倒な息子を置いて出ていってしまったのかもしれない。
でも、彼女が幸福で充実した人生が過ごせているのは、この大きな息子のおかげなのだ。そこに深い愛がある。それはきっと、忠さんにも伝わっていると信じたい。
邪魔な梅を切ることは、結局寸前で思いとどまった。里村家の人々も、もうこの梅の木のある生活に慣れてしまったようだ。ことわざとは違ったが、無駄なものや邪魔なものを、排除するだけが人生ではない。その枝には、忠さんが大切にしている何かがあるのだ。
77分という短い尺のおかげもあってか、これといった奇跡も起きなければ、強引なハッピーエンドもなく、とても静かに映画は幕を閉じる。それはこの作品に良く似合っている。
最後まで、近隣住民との確執も、偏見も残ったままだ。だが、それが現実なのかもしれない。安易に物事は好転しない。でも、珠子の表情は明るい。