『恋人たち』
橋口亮輔監督が放つ、悲痛なほどの人間ドラマ。<恋人たち>などという甘美な題名の裏にある魂の叫びを聞け。
公開:2015 年 時間:140分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 橋口亮輔 キャスト 篠塚アツシ: 篠原篤 高橋瞳子: 成嶋瞳子 四ノ宮: 池田良 吉田晴美: 安藤玉恵 黒田大輔: 黒田大輔 区役所職員: 山中崇 女子アナ: 内田慈 聡: 山中聡 アツシの先輩: リリー・フランキー 敬子: 木野花 藤田弘: 光石研
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
通り魔事件で妻を失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判のために奔走するアツシ(篠原篤)。
そりがあわない姑や自分に関心のない夫との平凡な生活の中で、突如現れた男に心揺れ動く主婦・瞳子(成嶋瞳子)。
親友への想いを胸に秘めた同性愛者で完璧主義のエリート弁護士・四ノ宮(池田良)。
三人はもがき苦しみながらも、人とのつながりを通し、かけがえのないものに気付いていく。
レビュー(ネタバレあり)
ヒリヒリと痛い人間ドラマ
『恋人たち』といっても、甘美なラブ・ストーリーを想像してはいけない。そもそも、恋愛映画というジャンルですらないかもしれない。
『ぐるりのこと』の橋口亮輔監督が七年ぶりに撮った本作は、現代社会にもがき苦しむ人々の心の奥底をさらけ出すような、ヒリヒリとした痛みを感じさせる人間ドラマだった。
監督自身、東日本大震災などを経て、何を信じてモノ作りをしたら良いのかという、出口の見えないトンネルに入って、もがいていた。
たどり着いたひとつの答えが、本作のメッセージでもある、「そして人生は続く。それでも人は生きていく」なのだ。
◇
本作は、監督が今撮りたいと思う題材を、新人俳優を起用して自由につくる、<作家主義×俳優発掘>を理念とした松竹ブロードキャスティングのプロジェクトから生まれた作品になる。
三人の主人公に焦点をあて、彼らの日常を描いた独立したエピソードをオムニバス形式で見せる。それぞれはほんのわずかにクロスオーバーするが、当の本人たちはそれに気づくこともない程度の構成になっている。
ほぼ無名の俳優たちに圧倒される
各エピソードの主演(篠原篤、成嶋瞳子、池田良)は、プロジェクトの趣旨に沿って橋口監督自らがオーディションで選び、彼らのキャラクターを活かしてアテ書きした。
いずれも、ワークショップで即興演技の訓練を積んでから本番に臨んだ、ほぼ素人に近い無名の新人俳優。だからこそ、なのか、役者っぽくはない(顔を知らない)俳優の演技には、独特のリアリティがある。
監督が俳優たちのパフォーマンスを少しでも高く引き出そうとストレッチをかけたであろう脚本にも、みんな身体を張って応えている。
◇
光石研・安藤玉恵・木野花・黒田大輔・山中聡・山中崇・内田慈といったバイプレイヤーズが脇を固めるが、メインの三人の俳優たちはまったく存在感で負けていない。
『ぐるりのこと』のリリー・フランキーもワンシーンで登場する。失礼ながら、良く名前を混同してしまう山中聡と山中崇の両名が、共演シーンこそないがともに印象的な役で出演。
ちなみに二人は同じ事務所所属のようで、しかも山中聡の実兄が『相棒』の山中崇史であることが、私の脳内では混乱に拍車をかけている。
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
Episode1: アツシのこと
映画はアツシ(篠原篤)の独白から始まる。婚姻届を出す際に、彼女にタバコをやめる宣言をした。それなのに、書き上げた直後に気の緩みからベランダで一服。そんな自分に、少しずつ減らしていけたらいいね、と彼女は言ってくれた。
だが、映画が進んでも、なかなかその恋人は画面に登場しない。
闘病に苦しみながら、健康保険料も支払えないほどに貧しい生活を送るアツシには、数年前に愛する妻を通り魔殺人事件で失ったという、過去を抱えていることがほどなく分かる。
◇
都心に張り巡らされた高速道路の下で、橋梁のコンクリートに耳をぴたりとつけ、ハンマーでノックするアツシ。ノック音の響きで破損場所を探し当てる橋梁点検。
彼には機械よりも正確な聴力が備わっていた。だが、それとて極貧生活に大した足しにはならない。
東京オリンピック開催に沸くこの町で、彼の人生には希望のかけらもない。妻を殺した男は、心神喪失が認められたという判決が下る。この手で、犯人を殺したい。何でダメなんすか!戦国時代に生まれたかったよ!
何もかもに文句をいい、毒を吐き荒れ狂っているアツシを、はじめはただの暴力的な若者かと思っていたが、次第に彼の心痛と、やり場のない怒りと絶望がダイレクトに伝わってくる。
篠原篤の魂の叫びが、観る者の胸をつかんで放さない。橋梁点検というあまり映画に登場しない職業の設定。ハンマーなど使わなくても、自分の胸の中はすでにボロボロに腐食していることを、彼は知っている。
彼を人間扱いしない区役所の保険担当者(山中崇)、被害者に誠実に向き合わないクズ野郎な弁護士(池田良)、人生設計を見直そうぜと大口を叩くだけの軽薄男(リリー・フランキー)。
もはや生きることに未練もないが、自分は殺しもできず、死ぬこともできず、闇で手に入れた覚醒剤さえ偽物をつかまされる。自分は何で生きているんだろう。そんなアツシをこの世界に引き留めてくれる職場の先輩(黒田大輔)が実にいい。
Epsiode2: 瞳子のこと
郊外に住む瞳子(成嶋瞳子)は自分に関心をもたない夫と、そりが合わない姑(木野花)と狭い家に三人で暮らしている。同じ弁当屋に勤めるパート仲間と共に皇族の追っかけをすることと、少女漫画を描いたりすることだけが楽しみの日々。
食品用のラップさえ新品は勿体ないからという姑は、使用済ラップを台所の壁に何枚も貼っている。見るからに息苦しそうな瞳子の生活だが、意外とあっけらかんとしていて、嫁いびりに耐えている風でもないのが面白い。
姑にもズケズケと物を言うし、パート先の経営者妻の八つ当たりも聞き流す。おまけに、夫との夜の営みもちゃんとあったりするただ、幸福そうではないし、退屈な人生のはけ口は、少女漫画と雅子さまフィーバーの頃のビデオ観賞。
そんな生活に突然、弁当屋の仕入れ業者だった鶏肉屋の男(光石研)が現れる。この男は、スナックのママ・晴美(安藤玉恵)とグルになって詐欺行為をしている。水道水にラベルを付けただけの<美女水>を高額でネズミ講のように販売していたのだ。
男が瞳子と偶然出会い、逃げたニワトリを彼女の自転車で追いかける。泥まみれでの捕獲騒ぎ。その様子は本作で唯一の<恋人たち>らしいシーンだ。
その後、男は瞳子の家に美女水のケースを持って現れる。はしゃぐ彼女。次のシーンでは、もう互いに半裸姿で一戦終えた様子。何とも展開が速い。
こうして、お姫様願望があった瞳子の平凡な毎日は刺激に満ちたものとなっていく。成嶋瞳子のくたびれた生活感と、時折みせる少女らしさのアンバランス感が新鮮だ。
結局、瞳子は男に騙されてカネを引き出されそうになっていたことを知る。傷つきはしたが、何もなかったように、夫と姑との元の生活に戻っていく。
夫から夜の誘いがあり、「(スキンを)買いに行かなくたっていい。子供ができたっていいじゃないか、夫婦なんだし」などと、ちょっと優しい言葉をかけられて、この生活も捨てたもんじゃないかと再認識する(優しい言葉なのかは甚だ疑問だが)。
Episode3: 四ノ宮のこと
最後の話は、企業を対象にした弁護士事務所に勤める四ノ宮(池田良)という、エリート面した男の話。
冒頭、離婚案件相談の依頼人である女子アナ(内田慈)が鼻についてしまい気づきにくいが、実はこの弁護士の方が余程いけ好かない。案の定、何者かに階段から突き落とされ、四ノ宮は足を骨折する。
高級マンションで一緒に暮らす同性の恋人への態度も威圧的で、パートナーには逃げられる始末。俳優を目指す前は就職してコンサルをやっていたという池田良に、この設定の役はフィットする。何とも憎たらしいキャラクター。
◇
彼には学生時代から親しくしている男友だちの聡(山中聡)がいるが、ささいな出来事がきっかけで誤解を招き、敬遠されるようになる。
四ノ宮は実は以前から聡に好意を抱いていたが、言い出せずにいた。四ノ宮の病室に子供連れで見舞いに来た聡。彼の妻は女の勘で、彼の気持ちに気づいたのだろう。息子が四ノ宮にいたずらされたという嘘で、聡を遠ざけたのだ。
捏造情報で特別な想いを抱く相手が自分から離れていくことに、四ノ宮は深く傷つき涙する。
だが、ここまでこの男がやってきた非道の数々、とくに冒頭のアツシからの賠償請求訴訟の申し入れを、「やめましょうよ、傷つくだけだから(弁護士の自分が)」といってのける外道ぶりに、あまり彼には同情の余地はない。
山中聡は、橋口亮輔監督の『ハッシュ!』ではゲイ仲間の友人役だったが、今回は惚れられるノンケの役なのだ。
それでも生きていく
アツシの悲恋話が直球勝負なら、瞳子の元のさやに戻る話は変化球、四ノ宮の独りよがり話は危険球で退場といった組み合わせだろうか。でも、橋口監督は自身がゲイであることをカミングアウトしているから、実は四ノ宮のエピソードが直球なのかもしれない。
なお、篠原篤と成嶋瞳子は、本作以前に橋口亮輔監督がワークショップで撮った全身タイツ愛好家のコメディ『ゼンタイ』にも出演している。
また、本作以降、橋口監督に映画の新作はまだないが、2021年にドラマ『初情事まであと1時間』の複数話を監督している。配信サイト限定の第十二話「ラスタカラーの夜」は、なんと篠原篤と成嶋瞳子の共演らしいので、これはちょっと気になっている。