『大綱引の恋』
400年以上の歴史を持つ川内大綱引を題材に、家族のありかたと日韓の恋愛を描いた佐々部清監督の遺作。
公開:2021 年 時間:108分
製作国:日本
スタッフ
監督: 佐々部清
脚本: 篠原高志
製作: 西田聖志郎
キャスト
有馬武志: 三浦貴大
ヨ・ジヒョン: 知英
有馬敦子: 比嘉愛未
有馬文子: 石野真子
有馬寛志: 西田聖志郎
中園典子: 松本若菜
中園喜明: 升毅
中園サチエ: 朝加真由美
福元弦太郎: 中村優一
吉留隆治: 金児憲史
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
35歳独身で奥手の有馬武志(三浦貴大)は、鳶の親方で大綱引の師匠でもある父の寛志(西田聖志郎)から、早く嫁をもらって、しっかりとした跡継ぎになれとうるさく言われていた。
ある日、ふとした事件から韓国人研修医ジヒョン(知英)と出会った武志は、ジヒョンと次第に心を通わせるようになる。
その頃有馬家では、母の文子(石野真子)が定年退職を宣言し、家事を放棄したため、家族たちが頭を悩ませていた。
年に一度の一大行事である大綱引が迫る中、武志はジヒョンからニ週間後に帰国すると告げられる。
レビュー(まずはネタバレなし)
鹿児島県川内市の大綱引
関が原の合戦の際、島津義弘が士気高揚のために始めたと言われ、鹿児島県薩摩川内市で400年以上の歴史をもつ<川内大綱引>。
その大綱引と、それを取り巻く家族や恋愛を描いた本作は、2020年に他界した佐々部清監督の遺作でもある。
監督は同じ鹿児島県の祭り<六月燈>を扱った『六月燈の三姉妹』(2013)を撮っているが、その製作・出演で携わった西田聖志郎が、今度は川内市の大綱引で作ってくれと地元関係者から依頼され、本作を企画した。なお、彼は今回も主人公の父親役で出演もしている。
◇
ご当地の題材に目を付けて、或いは請われて、その町を舞台にした人間ドラマを限られた予算をやりくりして、きっちりと仕上げる。派手さはないが、温かみがあるところは、いかにも佐々部清監督らしい。
主人公の有馬武志(三浦貴大)と、韓国からの研修医のヨ・ジヒョン(知英)との日韓の恋愛は、初期の名作『チルソクの夏』(2004)を彷彿とさせる。
◇
だが、ここで申し上げておくと、私は昔から佐々部清作品には結構苦手意識が強い。過去、多くの作品を観させてもらっているが、相性の良かった作品は正直少ない。
振り返ると、『夕凪の街 桜の国』(2007)を最後に、私の中では黒星続きである。だが、なぜか新作のたびに、つい観たくなってしまう不思議な作風だった。
綱引は映画向きではないのでは
さて、本作。遺作というのに辛口で恐縮ではあるが、<川内大綱引>を中心において一般大衆向け娯楽映画を撮るには、企画として無理があったと思う。
言い換えれば、記録文化映画や、例えば鹿児島まで行って現地で大綱引の展示物か何かのある会場で観る作品だったら納得ができる。
だが、鹿児島とは縁もゆかりもない場所で、いきなり本作をみても、綱引にのめりこめない。理由は大きく二つある。
◇
まず、綱引という競技自体が、映画に不向きだということ。綱引はルールがシンプルであり、それは好条件ではあるが、逆にあまりに単純すぎるゆえに、盛り上げようがない。
スポーツ映画である以上(或いは戦闘ものでも同様)、終盤のゲーム展開はハラハラさせるものであってほしいが、その要素が欠落している。
大綱引は、敵味方に分かれた軍勢の双方に三役を置き、その大将である一番太鼓を担う者が太鼓を打つ速さや時機、音の強弱などで千人以上という引き手を動かしていく。
一番太鼓は花形であり、土地の男なら誰もが憧れる、一生一度のポジションらしい。
その一番太鼓を打つ者の腕前が勝敗を左右するわけで、おそらくはその戦略性で勝負がどう転んでいくかを描きたかったのではないかと思うが、どうにも素人目には、それがさっぱり伝わってこない。
一番太鼓は、ただ応援のように単調に叩くだけで、速く大きく鳴らすことに専心しているようにしか見えないのだ。だから、一番太鼓と勝敗の因果関係が分かりにくい。
◇
映画的に見応えがあったのは、何千人の男たちが開始前に大繩を綱錬りでこしらえるところと、勝敗を判定するためにその縄をバッサリ切るところくらいか。
上半身裸にサラシを巻いた三千人の男たちが一斉に引き合う姿は思ったほど迫力が感じられない。それに、相手の引き隊を邪魔するために相手陣内に押し込んでいく押し隊との激しいぶつかり合いの勇壮さが伝わってこない。やはり、現場にいかないと臨場感がないのか。
応援別撮りなのがミエミエ
理由のもう一つは、街頭で応援する家族たちのシーンの撮り方だ。本作は綱引と並行して、主人公の有馬武志の周囲でおきた様々なドラマが展開され、すべてこの綱引勝負にかかっているという流れになっている。
だから、路上で応援する女性たちは、みな、必死に声を張り上げて一番太鼓を見守っている。でも、応援シーンはその女性たちと周囲の観客しか登場しないので、すぐに別撮りだと分かってしまう。
これは興ざめだ。こうなると応援シーンは、女優陣が何もないカメラ上方に向かって声をあげている空虚な演技にしかみえない。
◇
大綱引きのシーンに実際の映像を使わざるをえない制約は理解する。おそらく、出演者の撮影時期とまったくかけ離れて、実際の綱引の映像だけを撮影したのだろう。
一番太鼓を出演者が叩くカットだけは、大勢のエキストラを動員して、それらしく見せていたようだが、そのカットだけでは限界がある。結果、先に述べた一番太鼓と綱引き勝負のつながりが希薄になっているのだ。
女性たちの応援シーンにしても、せめて少しくらいは実際映像と絡めてほしかったと思う。
◇
本作にも一番太鼓で登場する、中村優一がかつて出演した『風が強く吹いている』(大森寿美男監督)は、箱根駅伝の話だったが、実際映像とドラマをうまく繋げていて違和感がなかったと記憶する。駅伝と比べれば、大綱引の方が大変なのかもしれないが。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。勝敗については語りません。
誰が一番太鼓になるかは町中の関心事
少し物語について触れたい。主人公の有馬武志(三浦貴大)は鳶職・有馬組の三代目。鳶の親方で大綱引の師匠でもある父親・寛志(西田聖志郎)は、一旦故郷を離れて上京するも勤務先が傾いて戻ってきた息子が頼りなく歯痒い思いでおり、今年の一番太鼓には推せないと考えている。
また、武志の方も、自分はその器ではないし、親の威光で選ばれるのも嫌だと思うのか、一番太鼓への意欲を見せずにいる。
◇
とにかく、今年の一番太鼓には誰が選ばれるのかが、川内では町をあげての関心事らしい。
寛志とともに大綱引を支える親友・中園喜明(升毅)とその妻・サチエ(朝加真由美)には、武志と幼馴染の娘典子(松本若菜)がおり、今やシングルマザーの自衛隊小隊長として、川内に戻っていた。
「私が男だったら、絶対一番太鼓になるのに」と悔しがる典子と武志がくっつくのかとも思ったが、彼はいつの間にか、老人の救命措置で出会った韓国人女性研修医のヨ・ジヒョンと恋仲になっている。
結局一番太鼓には、有馬家の属する上方では有馬組の鳶職・吉留隆治(金児憲史)、一方敵陣の下方では福元弦太郎(中村優一)が選ばれる。
福元は、武志の妹・敦子(比嘉愛未)の交際相手。ともに美形だし、まるでロミオとジュリエットだ。
だが、開催の一か月ほど前に、吉留は神社の階段で転倒し骨折し、人望のあった武志に一番太鼓が回ってくる。階段転倒シーンの編集が不自然に見えたが、これには訳があったことが終盤で分かる。ともあれ、こうして、役者は揃う。
全てのドラマが集結するベタな展開
話は前後するが、父親の威張っている有馬家で家事も家業の経理も一切引き受けていた妻の文子(石野真子)が60歳で定年宣言をし、全てを家族に投げ出す。
鹿児島の土地柄なのか、鳶職の家庭という性格からなのか、夫も子供たちも文子の苦労を顧みず、文句ばかりいう。
◇
そして、ドラマは中盤で、あちこちで進行していたドラマが、ここで全て集結してくる。
- 定年といいブラブラ出歩いていた文子が実は末期のガンであったこと
- 交際を隠していた敦子のお腹には福元の子を宿していること
- 武志が綱引に勝ったらプロポーズしようと思っていたジヒョンは、すぐに韓国に帰らなければいけないこと
今度の綱引は、文子にとっては最後の一戦であり、ジヒョンにとっては武志の雄姿の見納めであり、そして敦子はけじめとして、この一戦では福元ではなく有馬家の娘として兄を応援しなければならない。
このあたりのドラマは相当ベタな展開であり、綱引を盛り上げようとするあまりに、かえって空回りしているように思えた。
武志とジヒョンの恋愛だけでも良かった
そもそも、武志とジヒョンの恋愛展開が早すぎる。気づけばデートする関係、キスする関係になっており、もう少しステップ刻んでヤキモキさせてほしかった。
本作を『チルソクの夏』の大人版とする意向だったのなら、この二人の恋愛に集中しても良かったのではないかと思う。三浦貴大と知英は好演していただけに残念。
典子役の松本若菜に、今回の男勝りの自衛官という役柄は意外な組み合わせだった。「美人過ぎる〇〇」みたいに、こんな人が実在するのか知らないが、こういう役もなかなかハマっている。
個人的には、福元役の中村優一と松本若菜の共演シーンが観たかった。デビューの頃に『仮面ライダー電王』でレギュラーだった二人、しかも仮面ライダーに珍しく悲恋のカップル役だったのだ。
◇
本作のラストシーンは、旅立つジヒョンと別れを惜しむ武志が駅のホームでキスをする場面にAIの『Story』が流れてエンドロール。テレ朝の二時間ドラマかと錯覚する。
最後までベタの極み。首尾は一貫している。