『タンポポ』
伊丹十三監督の映画第2弾は、ラーメン・ウェスタン。さびれたラーメン屋の立て直し、店主タンポポの依頼に一肌脱いだトラック野郎。
公開:1985 年 時間:115分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 伊丹十三 キャスト タンポポ: 宮本信子 ゴロー: 山﨑努 ガン: 渡辺謙 ピスケン: 安岡力也 センセイ: 加藤嘉 ショーヘイ: 桜金造 老人: 大滝秀治 <白服の男> 役所広司、黒田福美、洞口依子 <ホテルの西洋料理店> 岡田茉莉子 橋爪功、高橋長英、加藤賢崇 <歯の痛い男> 藤田敏八、北見唯一 <スーパーマーケット> 津川雅彦、原泉 <中華料理屋> 中村伸郎、林成年、田武謙三 <走る男> 井川比佐志、三田和代
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
長距離トラックの運転手ゴロー(山崎努)とガン(渡辺謙)は、ふらりと来々軒というさびれたラーメン屋に入った。
彼らにラーメンの味が今一つと指摘されてから、店の女主人タンポポ(宮本信子)は様々な協力を経ながら商売繁盛を夢見てラーメン作りに没頭する。
今更レビュー(ネタバレあり)
これぞ、ラーメン・ウェスタン
『お葬式』の監督デビュー作が大ヒットとなった伊丹十三監督の第二弾であり、特に米国市場で売れた作品と記憶する。マカロニ・ウェスタンに対抗して、こっちはラーメン・ウェスタンだというキャッチコピーも納得の分かりやすさ。
風来坊のように突然登場するトラック野郎のゴロ―と相棒のガンが、ピスケン(安岡力也)をはじめガラの悪い連中が入り浸る、さびれたラーメン屋の女主人に懇願されて、うまいラーメン屋に立て直そうという話。
◇
ゴローが風呂の中でもかぶっているカウボーイ・ハットをはじめ、近隣のライバル店の人相の悪い店主たちが乗り込んでくる様子、真っ赤なドレスで店頭に立つタンポポの姿など、随所に西部劇を思わせる演出が面白い。ラーメン屋の引き戸が、まるで酒場のウェスタン・ドアのように見える。
本作の主人公タンポポは、亡き夫の遺した店を切り盛りし息子を育てる女性店主。
後続の『マルサの女』からの、たくましく気丈な主人公を演じる宮本信子とはやや異なり、特に前半は修行にくじけそうになるか弱い一面や、ゴローを慕う女らしさを感じさせるのが新鮮に映る。
長距離ドライバーの仕事の傍らでタンポポの指導をするゴローが、タンポポに好意を持っていることは、ガンをはじめ周囲の人間にはバレバレ。
だが、肝心のゴローとタンポポはそんな相思相愛に気づかず、恋愛ドラマに踏み込まないところがよい。これによって、奇をてらわずシンプルな醤油ラーメンで勝負する店に、取り組む彼らの本気度合いが伝わってくる。
ラーメン屋は体力とみつけたり
タンポポを支えるメンバーの顔触れが個性的だ。
山崎努と渡辺謙という豪華なトラック野郎の組み合わせから始まり、スープを指導する元産科医で食通ホームレスのセンセイ(加藤嘉)、富豪の老人(大滝秀治)の運転手兼料理人で麺にうるさいショーヘイ(桜金造)。
タンポポの幼馴染の土建屋ピスケン(安岡力也)はゴローと殴り合いの末に仲直りし、店の改装を引き受ける。
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それぞれの叡知を持ち合わせて勝負する展開は、まるで『荒野の七人』、いや、ここは『七人の侍』か。鉄道線路沿いの工場地帯という舞台設定と山崎努の登場が、すでに『天国と地獄』のようだし。
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素人同然のまずいラーメンを作っていたタンポポに、客の顔を見てニーズを探れ、スープがぬるすぎる、寸胴鍋の運搬で腕力をつけろ、ラーメン屋は体力と、注文を正確に覚える記憶力だ、と指導するゴロー。ベタな演出だが面白い。
タイマーを使って出来上がりまでを計測する様子が、まるで競技のようだ。だが、誰かと勝敗を競うのではない。うまいラーメンで行列ができるほどお客さんが来てくれるかというのが、目指すゴールなのだ。
サブストーリーは突然に
ところで、本作はメインのストーリーがシンプルすぎるゆえか、合間に食にちなんだ複数のサブストーリーが挟まる構成になっている。
こちらは、コントのようなものから、意味不明な内容まで混沌としており、作品に不思議な魅力を与えている。
これは伊丹十三監督の他の作品にはあまりみられない特徴ではないか。フェリーニのような、特に深い意味などないおもちゃ箱のような雑多な面白さを出したかったのかもしれない。
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役所広司が演じる<白服の男>。映画館でうるさく音をたててものを食うなという冒頭のおふざけ。ホテルのベッドで黒田福美と戯れながら卵黄を口移しするシーンは当時衝撃的だった。そして雨の中の銃撃。
ホテルの<高級西洋料理店>では、会社のお偉方が誰一人読めないフランス語のメニューで悪戦苦闘する。
みんな、最初の人物のオーダーを訳知り顔でマネする展開が落語のようだが、一番若造の部下(加藤賢崇)が実はフランス帰りの食通で、そのオーダーに給仕(橋爪功)が感心するシーンは何度観ても笑える。
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<マナー教室>で、麺をすするのに音をたててはいけないという講師(岡田茉莉子)をよそに、周囲の外人客に影響されてみんな派手な音でパスタを食べ始めるのは、ベタなコント。
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一方で、藤田敏八の<歯が痛い男>が治療後にソフトクリームをなめ、自然食で育てているという近くの少年にも分け与えたり、<中華料理屋>で投資詐欺の男を逆に騙していた大学教授(中村伸郎)が逮捕される前に北京ダックを頬張ったりと、不思議な味わいの挿話も多い。
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伊丹作品常連の津川雅彦が勤める<夜のスーパーマーケット>で、フルーツやパンなどを物色しては感触を確かめるように押しつぶす老婆(原泉)の話も謎めいている。
時代が変わったことで気になった点
時代の流れなのか昨今の衛生意識の高まりなのか、<白服の男>の卵黄口移しをはじめ、見知らぬオッサンのソフトクリームを子供がなめたり、老婆が商品を素手で握りつぶして店頭に戻したり。
こういう公衆衛生面に問題がありそうな行動に、妙に嫌悪感を抱いてしまう。
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病気で死にかけの妻(三田和代)を看取る為に家に<走る男>井川比佐志が、死にそうな妻に「そうだ、メシを作れ」と言うと、妻は夢遊病のように起き上がって家族に炒飯を作って、うまいうまいと食べるみんなを残して死んでいく。
これなどは、「母親が命がけで食事を作るのを美談にしている」と、21世紀の感覚でいえばアウトだろう。井川比佐志にアカウントがあれば、炎上していたかもしれない。
時代が変われば、常識は思っている以上に変わっているものだ。「ラーメンのスープを飲み干すまで帰るな」というライバル店の店主も、今は昔のキャラといえるかも。
食文化に対する風刺
これらのサブエピソードは、メインの話と少しだけ絡む。例えば、ゴローの自転車と並走するタンポポが、<ホテルのフレンチ>に向かう会社役員たちとすれ違ったり、タンポポの店の前を<スーパーマーケット>に向かう老婆が横切ったり。だが物語としては完全に独立している。
これら全てのエピソードを通じて、伊丹監督は食の文化に対する風刺的な映画を作りたかったのだろうか。映画のラストは、ひとにとって最初の食事である、母乳をおいしそうに頬張る乳児のカットで終わる。
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本作のヒットで、タンポポの店のモデルと言われる京都の珍元や荻窪の春木屋などは、話題になった記憶がある。日本橋たいめいけんのタンポポオムライスも有名なのだそうだ。知らずに食べに行っていた。
映画の冒頭でガンがトラックの中で読んでいたグルメ本で、大犮柳太朗がラーメンの正しい食べ方について講釈を垂れる。
この時点で、すでに私は「そういえば、腹が、減った」の『孤独のグルメ』状態になっている。どちらもゴローさんだが、あの番組でラーメン屋は登場しただろうか。
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映画の終盤、無事に初日の大繁盛を見届けて、厨房に立つタンポポにニヤリと笑って目を合わせ、無言でゴローは去っていく。ああ、これぞ流れ者の宿命だ。最後までウェスタン。ラーメン馬鹿がタンク(ローリー)で去っていく。