『マ・レイニーのブラックボトム』
Ma Rainey’s Black Bottom
ブルースの母と称された伝説の歌手マ・レイニーが、白人の町シカゴに招聘されバンドメンバーを連れてスタジオ録音に。チャドウィック・ボーズマンの遺作となったNETFLIXオリジナル作品。
公開:2021 年 時間:94分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ジョージ・C・ウルフ 脚本:ルーベン・サンチャゴ=ハドソン 原作: オーガスト・ウィルソン 『Ma Rainey's Black Bottom』 キャスト マ・レイニー: ヴィオラ・デイヴィス レヴィ: チャドウィック・ボーズマン トレド: グリン・ターマン カトラー: コールマン・ドミンゴ スロー・ドラッグ: マイケル・ポッツ ダッシー・メイ: テイラー・ペイジ シルヴェスター:デューサン・ブラウン スターディヴァント:ジョニー・コイン アーヴィン: ジェレミー・シェイモス
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
1927年、シカゴの録音スタジオで人気歌手マ・レイニーのレコーディングが始まろうとしていた。4人組バックバンドのひとりであるトランペット奏者レヴィは野心に燃え、他のメンバーたちと揉め事を起こす。
やがて遅れて到着したマ・レイニーは白人のプロデューサーらと主導権を巡って激しく対立し、スタジオは緊迫した空気に包まれる。
レビュー(ネタバレなし)
ブルースの母の腰振りダンス
「ブルースの母」と称された、ジョージア州の伝説的な歌手マ・レイニーとそのバックバンドのメンバー、彼女を取り巻く人々を描いたNetflixオリジナル映画。
<ブラックボトム>というのは、彼女が映画の中でレコーディングする曲名なので、そのままタイトルになっているわけだが、その意味は当時流行していた腰振りダンスのことらしい。
確かに劇中でも、若い踊り子のダッシー・メイ(テイラー・ペイジ)が、はげしくヒップを振って踊るシーンがあった。
◇
1927年のシカゴのスタジオで、決裁権を握る白人たちを相手に、歌うのは自分であるという強気な姿勢を一歩も譲らないマ・レイニー(ヴィオラ・デイヴィス)の姿が印象的だ。
原作は、デンゼル・ワシントンが映画化した戯曲『フェンス』の作者オーガスト・ウィルソン。監督は、ヒラリー・スワンク主演の難病もの『サヨナラの代わりに』を撮ったジョージ・C・ウルフ監督。
そして、バンドマンの一人、トランぺッターのレヴィを演じた、チャドウィック・ボーズマンの遺作としても話題を集めた。
期待過剰だったのか
本作の世間的な評価はよく知らないが、映画評論家筋の評価は総じて高いようだ。その理由も分からないことはない。
BLM運動の時流をとらえているようにも見えるし、現代ではあまり知名度が高くない(らしい)マ・レイニーを映画で採り上げることの資料的な価値もありそうだ。
更に、主演の二人がアカデミー賞にノミネートされているとなれば、あまり酷評するのも躊躇われ、保守的になるのだろう、と穿った見方をしてしまう。
◇
何が言いたいかというと、私には、本作品はとりたてて面白く感じられなかったのだ。こういうことは、割とよくある。
思い出すのは、同じくNETFLIXオリジナルだった、デビッド・フィンチャー監督の『Mank/マンク』だ。あれも評論家は絶賛していたが、私にはさっぱりだった。わざわざ『市民ケーン』を観直してみたけど、それでも、言うほど面白くない。
◇
考えてみれば、まだ日も浅いが私のレビューは、独断と偏見に基づき、一般的な目線でひとにオススメできるかどうかで評点している。
それは例えば、「面白いね」とか「怖ええ」とか「興奮するぜ」「クー、泣ける」といった、感情に専ら依存している。
けれど、評論家の方々には、社会的意義や歴史的価値、興行的な力関係みたいな、私の関心の外の要素で評価する部分もあるのだろう。本作は、そのエアーポケットに入ってしまったに違いない。
◇
マ・レイニーという伝説の歌手自体、私のまったく存じ上げない人物だったことは、マイナス材料になっただろうか。
否定はしないが、NETFLIXにも、例えばエディ・マーフィ―の『ルディ・レイ・ムーア』のように、存在を知らなかった実在人物が主人公でも楽しめる作品はある。
マ・レイニーとレヴィ
話がそれてしまった。本作の冒頭は、ジョージアのテントの中で多くの黒人の聴衆に囲まれて、ギンギンギラギラのメイクでブルースを唄うマ・レイニー。大スターである。
そして、黒人たちは約束の地、北部へと移っていく。白人社会であるシカゴにレコーディングの為に招聘されたマ・レイニーとバンドマンたち。彼らの中でも、白人との向き合い方はそれぞれ異なることを教えてくれる。
◇
売れるレコードを世に出すために、スタジオの白人たちは表面的にはマ・レイニーをおだて、持ち上げ続ける。
だが、肝心なポイントでは、なかなか折れない。例えば売れる選曲であったり、流行のアレンジだったり。ギャラの支払いも渋く、彼女が要望するコーラ一本出てこない。
マ・レイニーは、自分の音楽的な才能には自信があり、売れるレコードを作るためには、白人たちが自分に折れるしかないと分かっている。終始強気でわがままな姿勢を崩さないし、彼らを信用することは微塵もない。
徹底した敵対心と不信感は、スタジオ前のクルマの接触事故の対応からもよく分かる。彼女は白人を信じていないし、白人(この場合は警察官)も、彼女を一般市民として扱ってはいない。
ヴィオラ・デイヴィス演じるマ・レイニーの、<ブルースの母>の名に恥じない図体と態度のでかさは圧巻だが、彼女にそういう態度を取らせてしまう過去があることは想像に難くない。
バックバンドのメンバーの一人・レヴィは、自分のアレンジや作曲を必死に売り込む若者で、将来は自分のバンドを持ちたいという男だ。
自信過剰で鼻っ柱が強く、メンバーともよく衝突するが、白人には腰が低く、妙に下手に出るため、周囲に馬鹿にされている。
だが、この男には、かつて子供の頃に、白人たちに母親が強姦され、復讐を果たして壮絶な死を遂げた父親が目に焼き付いていた。レヴィは、白人にいい顔は見せるが、反撃の機会を虎視眈々と狙っているのである。
闘病のなかでレヴィを演じたチャドウィック・ボーズマン。アカデミー主演男優賞を逃したのは残念ではあったが、それで彼の功績が見劣りするわけではない。
ポイントが絞りこまれていない
本作は約90分というコンパクトな作品ながら、殆どがシカゴのスタジオ内での楽屋話的な内容になっており、元ネタが戯曲だからだろうが、映画的には変化に乏しい。
白人相手のいざこざや、マ・レイニーの甥っ子のシルヴェスター(デューサン・ブラウン)が吃音なのに曲の口上をさせることになり四苦八苦する話など、小ネタがつまらなくはない。
だが、軸となる話がよくみえない。結局、無事にレコーディングが成功しましたというだけなのか。
◇
題材が題材だけに、軽んじる内容ではないはずが、なぜか物語の中身はバンドメンバーの雑談ばかり。そして挙句の果てには、レヴィの新品の靴を仲間が踏んだことで、黒人同士の刃傷騒ぎ。
そしてラストは、ブルースの時代が去ったということなのか、スタジオで録音するのは白人によるジャズのナンバーに取って代わる。
◇
いっそ、60分くらいの短い内容にするか、もっとブルースを聴かせてくれたほうが、まとまった作品になったかも。
結局、私の印象に残っているのは、バンマスがいつも曲の始めに唱える、one, … two, … you know what to do.っていうお茶目なフレーズくらいだ。あれは今度使ってみたいと思うけど。