『飼育』
大島渚監督が大江健三郎の芥川賞受賞短編を映画化。空から落ちてきた黒人兵を捕らえた村人たちは、捕虜をしばらく飼うことになる。
公開:1961 年 時間:105分
製作国:日本
スタッフ 監督: 大島渚 脚本: 田村孟 原作: 大江健三郎 『飼育』 キャスト 黒人兵: ヒュー・ハード 鷹野一正: 三國連太郎 鷹野かつ: 沢村貞子 塚田伝松: 山茶花究 塚田ます: 岸輝子 塚田幸子: 三原葉子 石井弘子: 小山明子 石井百合子: 上原京子 小久保余一: 加藤嘉 小久保次郎: 石堂淑朗 小久保八郎: 入住寿男 気違い女: 槇伸子 役場の書記: 戸浦六宏 巡査: 小松方正
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
昭和二十年の初夏。米国の爆撃機が山中に墜落、脱出した黒人兵は猟の罠にかかり村人に捕らえられ、そして黒人兵の<飼育>が始まる。
しかし村は疎開者を抱え、地主との間にも悶着が絶えない。全てのトラブルの原因は黒人兵とされていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
大島+大江+大宝
松竹を退社した大島渚監督が大江健三郎の原作を映画化した戦時中の社会ドラマの異色作。新東宝が分社化して生まれた大宝の配給ということで、初めて聞いた社名だが、わずか6作品しか配給しなかったそうだ。
1961年の作品とあり、私の観た大島渚作品ではいちばん古い。従って、差別的で今ではおよそあり得ない題材や台詞も当時の感覚では全然許容範囲だったのだろう。
◇
崖から墜落したり、刃傷沙汰を撮るのにも肝心の場面を見せず前後のカット割りや返り血で表現する手法も、時代を考えれば野心的な取り組みだったのかもしれない。なので、そのあたりに不満はない。
だが、これは本当に、大江健三郎が芥川賞を受賞した、あの『飼育』の映画化なのだろうか。
映画も原作も結構際どいところを突いてくる、気が滅入るような内容ではあるが、どうにも原作とは違うメッセージの作品なのではないかという気がする。
黒人兵を飼う
村人に囚われの身となった黒人兵(ヒュー・ハード)。そのままなぶり殺しにするのではなく、捕虜はスパイに使い敵国情報を得るという憲兵隊の意に従い、村でしばらく面倒を見ることになる。
村を牛耳る本家の鷹野一正(三國連太郎)は、表彰目当てだったようでもある。こうして黒人兵は村で飼われることになり、途中から少年が面倒を見る展開となる。
◇
一正に牛耳られ貧しい村の人々は、そこに疎開してきた者たちとの諍い、村人による畑泥棒被害、さらには召集令状をもらいながら前夜に失踪する若者など、問題が絶えない。
だが、その原因をすべてこの黒人兵になすりつけることで、平静が保たれている。だが、黒人兵は世話をしていた少年を牢の中で拉致し、反発する姿勢をみせた挙句、あっさりと一正に鉈で殺されてしまうのだ。
そして戦争は終わった
本作は、ムラ社会の中で私腹を肥やしたり、女中を孕ませ、産まれた子供について周囲を騙していたり、本家の一正がケチな悪党として描かれている。
三國連太郎はこういう役もやるのだ。釣りバカのスーさんのような善人ばかりではないが、大島渚の『儀式』で佐藤慶が演じた家長に比べれば、相当貧相だ。
◇
一正の意向に従って村の皆で黒人兵を世話し、だが、すったもんだの末、結局一正が勢い余ってその黒人を殺害してしまう。
秘密裡に棺にいれて土の中に埋葬している最中に、役場の書記(戸浦六宏)が、「どうやらポツダム宣言を受け取って戦争が終わったらしいぞ」と知らせに来る。何ともシニカルな話なのだ。
更には、出兵前夜に失踪した青年が忽然と舞い戻り、暴れて死んでしまったことで、黒人兵殺しも彼に押し付ける。何だか笑っていいのかダメなのか、よく分からないトーンで映画は幕を閉じる。
大江健三郎の『飼育』とは違う
大江健三郎の原作に立ち返ってみよう。こちらでは、あくまで主人公は子供たちだ。突然現れては、彼らが世話をすることになる黒人兵を、文字通り<飼育>している感覚になる。そして家畜に対するような情を感じるようになる。
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映画と同様に、少年は黒人兵の盾となって部屋に籠城する展開となり、一正は黒人兵を鉈で殺める際に、少年の手にも深い傷を負わせてしまう。
その傷が腐り悪臭を放つようになるが、少年はそれを「黒んぼの臭いだ」と言い、もう自分は子供ではないと自覚するのだ。
本作にも少年は登場するし、手も怪我をするのだが、どうも村人たちの群像劇に時間を割きすぎたせいで、少年の視点という本来のモチーフが、随分と薄まってしまったように思えてならない。
◇
さらに原作では、最後に役場の書記が子供たちに借りたソリで滑り降りる途中で、滑落事故かなにかで死んでしまうのである。
これは、飛行機の墜落で捕まった黒人兵と相対する存在として描写されているのだが、もはや大人になった少年は書記の死には何ら動じず、平然としているという終わり方なのだ。
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原作自体が短編という効用もあり、大変切れ味のよい幕切れと読後感である。川端康成、井伏鱒二、井上靖、石川達三ほか、錚々たる選考委員からほぼ満場一致の高い評価で芥川賞を勝ち取っただけはある(内容は暗いけど)。
映画ではどうだったか
だが映画においては、ラストで戸浦六宏も生きているし、巡査の小松方正まで登場させて、何か笑わせるムードで幕引きを図ろうという雰囲気になっているようにも思える。
短編を100分近い映画にするのだから、それなりの新たな場面の投入やアレンジは必要だろう。そこに村の人々の話をいろいろと足し込んでいったのではないかと想像するが、結果として、原作とは違う道を模索しているようになってしまった。
果たして、大江健三郎は本作をどのように観たのだろうか。ちょっと気になる。
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大島渚監督が捕虜を主人公にした『戦場のメリークリスマス』を世に送り出すはるか以前に、ここまで殺伐とした捕虜の作品があったとは、知らなかった。
何せ黒人兵は川の行水や田植えで一瞬笑顔をみせる以外は、終始険しい表情で、ずっと出ずっぱりなのにまともな台詞ひとつなく、殺されてしまうのである。
『ちびくろサンボ』までもが絶版になってしまうこのBlack Lives Matterが盛り上がるご時世に、本作を平然と観ていていいのか、少し不安な気持ちになる。