『ソウルフル・ワールド』
Soul
ソウルの世界に迷いこみ、人生のきらめき探しをする音楽教師。ピクサーがついに作った大人向けアニメ。このテーマはなかなか深い。子どもだけに見せるのはもったいない。
公開:2021 年 時間:101分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ピート・ドクター 声優 ジョー:ジェイミー・フォックス 22番: ティナ・フェイ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
ニューヨークに暮らし、ジャズミュージシャンを夢見ながら音楽教師をしているジョー・ガードナーは、ついに憧れのジャズクラブで演奏するチャンスを手にする。
しかし、その直後に運悪くマンホールに落下してしまい、そこからソウル(魂)たちの世界に迷い込んでしまう。そこはソウルたちが人間として現世に生まれる前にどんな性格や興味を持つかを決める場所だった。
ソウルの姿になってしまったジョーは、22番と呼ばれるソウルと出会うが、22番は人間の世界が大嫌いで、何の興味も見つけられず、何百年もソウルの姿のままだった。
生きる目的を見つけられない22番と、夢をかなえるために元の世界に戻りたいジョー。正反対の二人の出会いが冒険の始まりとなる。
レビュー(まずはネタバレなし)
実写レベルのリアリティとアニメ表現
ピクサーとしては23作目にあたる長篇アニメーション。人間が生まれる前のソウル(魂)たちの世界を舞台に描くファンタジーアドベンチャー、原題はずばり『Soul』だ。
新型コロナの感染拡大で劇場公開を断念し、Disney+での独占配信に切り替えられている。
◇
ピクサー作品は初期の頃からそのアニメーション技術の高さに感動し続けているが、相変わらず弛まぬ努力でレベルアップを果たしている。
本作も、ニューヨークの雑踏やジャズクラブのライブシーンなど、現実世界の描き方は、登場人物のデフォルメさえなければ、実写と見間違えるほどのリアリティだ。
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これはすごいことだと思うが、実写でなくアニメで見せることには意味がある。それは、現実社会とは対照的に、ソウルの世界はいかにもアニメならではの幻想的な表現方法で描かれているからだ。
カウンセラーのジェリーなど、ソウルの世界の運営者たちは、まるで一筆書きのような平面のデザインなのである。このギャップが実に面白い。
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高い芸術性で評価されているフランスのアニメ映画『失くした体』を観た時には、パリのメトロの表現のリアルさに唸ったが、どっこいピクサーが本作で見せたマンハッタンの地下鉄の描写も見事だった。
駅構内の澱んだ空気から、風が運ぶピザの匂いまで、3Dアニメで表現しきってしまうとは、大したものだ。
ヨロコビやカナシミが、今度はキラメキに
さて、ひょんなことから、老舗のジャズクラブ・ハーフノート(NYに実在したはず!)で憧れのサックスプレイヤーの代役ピアニストに呼ばれた、音楽教師のジョー・ガードナー。
だが、運悪く夢の実現の目前に、マンホールに落下し、ソウルの世界に迷いこむ。
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そこは、人間が生まれる前に「どんな自分になるか」を決める世界。
彼はメンターとして担当する問題児のソウル22番に、自分のやりたいこと(=人生のきらめき)を見つけてあげようと、奮闘することになる。
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この、22番をはじめソウルたちのデザインが、『インサイド・ヘッド』の感情キャラっぽいと思っていたら、どちらも監督はピート・ドクター。
彼は『モンスターズ・インク』の監督や『トイ・ストーリー』の原案など、ピクサーの成長に大きく貢献した人物の一人。
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そして、常にチャレンジ精神を忘れないピクサーにおいて、本作で彼が挑戦したのは、アニメの表現力もさることながら、大人向きのピクサー作品ということではないか。
大人向けピクサー作品にようこそ
大人向きと言っても、PG12やR15に相当する過激な表現がピクサーにあるはずもないし、ジョーは12歳の生徒をみている音楽教師なので、当然子どもたちが見ても分かる作品ではある。
だが、ジョーが夢みるのは渋くジャズピアニストであることや、そもそも本作のテーマが人生のきらめき探しだったりと、パッケージはともかく、内容的には、少し人生のほろ苦さを知る大人がターゲットだと思う。
言い換えれば、より大人の胸にささる内容、ということだ。
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ただ、この部分は匙加減が難しい。テーマ性は大人向けでも、ピクサーのポリシーゆえか、どうしても表現には過激さが足らず、ちびっ子たちの好きな<カレーの王子様>風になってしまう。
ジャズと3Dアニメを滑らかに融合させたライブハウスのプレイは素晴らしいが、「ジャズってるね」と言うくらいなら、石塚真一のコミック『BLUE GIANT』の全身全霊のインプロヴィゼーションの域まで踏み込んでほしかった気もする。
ソウルの世界も、細田守のアニメ『サマーウォーズ』のゲームの世界くらいのエッジのきいた表現があってもよい。
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などというのは、ピクサーには無いものねだりになってしまうか。ただ、伝えたいメッセージはとても胸に響いた。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからは、ネタバレの記述がありますので、未見の方はご留意願います。
人生の目的とはなにか
さて、主人公のジョーには、22番との人生のきらめき探しの前に、自分の人生においての葛藤がある。
彼は校長から、正式な音楽教師の職のオファーを受ける。彼にとっても、テーラーを切り盛りする母親を喜ばす意味でも、正規の教職員となり安定収入を得る意味は大きい。
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だが、彼の表情は冴えない。本当に夢みているものが他にある。プロのジャズピアニストだ。
金にならなくても、その先に死が待っていても、彼はその日につかんだチャンスでステージに立ちたいだろう。自分にとって、それが人生のきらめき、人生の目的だから。
◇
22番のソウルには、その目的がなかなかみつからない。だから、ソウルの世界の最古参になっても、地上に生まれることができずにいる。
ところで、22番の意味は諸説ありそうだが、映画にもなった小説『キャッチ22』からきている<八方塞がりな状況>というのがしっくりくる気がする。英語でも慣用句として使われているようだ。
勝利者となることが人生の目的か
いつしか、我々の暮らす世界では、勝ち組と負け組というものに大別されることが多くなり、勝者は市場を総取りするのが当たり前になってきた。
成功して勝ち組となり、富や名声を得ることこそが幸福であり、だからこそ、そこにつながる人生の目的をみつけようとする。
◇
だが、本当にそれが幸福なのか。平和に生きていられるだけで文句なしに幸福なはずなのに、自分でハードルを上げて息苦しい人生を送っているのではないのか。
ジョーは自分にとってのきらめきが人生の目的になっている。それを追いかけること自体は素晴らしいことだが、うまくいかなければ人生は無意味だったのだろうか。
そんなことはないという身近な例が、馴染みの床屋の店主だ。彼は経済的な事情から当初の夢をあきらめたが、今では散髪屋が天職だったと充実した日々を送っている。
本作が持つこれまでにないユニークさ
本作がユニークなのは、ジョーが大人になっても夢を追い続け、ついに憧れの人とステージで演奏を成功させたことが、クライマックスではないことだ。
22作あるピクサーの過去作品と同じ路線なら、そこでハッピーエンドになっただろう。
◇
だが、海を目指していた魚が、ここだそうだと教わるように、一度夢をつかんだら、明日からはそれが日常になってしまう。目的が果たせたら、きらめきは、輝かなくなってしまうのか。
やっとジョーは自分の過ちに気づく。22番がともに地上で奮闘するうちに集めた、ピザやキャンディー、プレッツェルに糸巻き、まばゆい陽射しにくるくると回る落ち葉。彼女の心をときめかせた、いろいろな物を見て。
◇
ここにあるガラクタのようなものは、子供の頃の宝石箱のように、誰もが持っているきらめきだったのだ。それが人生の目的である必要なんてない。
きらめきと人生の目的は別もの
生活のなかに、きらめきがあって何が悪いのだ。と、ジョーは気づく。
だが、ジョーや歴代メンターたちにそれを否定され続けた22番の心は折れ、迷い魂となってソウルの荒海をさまよっていた。自分には人生の目的がない。生まれる資格がない。
◇
ようやく、ジョーは22番に伝えられる。心を躍らせるきらめきは、別に人生の目的でなくたっていいのだということを。
これこそがクライマックスだった。きらめくものがあれば、どうにか楽しく生きていけるじゃないか。それが人生の目的などという大層なものでなくても、構うことはない。
こうすべき、こうあるべき、という理屈でがんじがらめになった大人たちは、この言葉に救われる。私も肩が軽くなった。
◇
好きなものがみつかっただけでもハッピーじゃないか。トロンボーンの上手なあの子だって、ただ演奏が好きだから、ソロを練習していたのだ。そこに人生の目的なんてない。
生きる準備ができたときに、枠は埋まるものだ。気楽にいこうぜ。
この年齢にして、ピクサーアニメがそんなことを教えてくれるとは思わなかった。