『悪は存在しない』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『悪は存在しない』考察とネタバレ|フルーツサンド屋も補助金目当てだったね

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『悪は存在しない』
 Evil Does Not Exist

濱口竜介監督がベネチアで銀獅子賞を獲得し、オスカー+世界三大映画祭すべて受賞を果たした記念碑的作品

公開:2024 年  時間:106分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:     濱口竜介
音楽:        石橋英子


キャスト
巧:         大美賀均
花:          西川玲
高橋:        小坂竜士
黛:         渋谷采郁
うどん屋店主:    三浦博之
うどん屋妻:     菊池葉月
茶髪ロン毛の若者:  鳥井雄人
元別荘管理人:    山村崇子
町長:       田村泰二郎
芸能プロ社長:    長尾卓磨
コンサル:      宮田佳典

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)2023 NEOPA / Fictive

あらすじ

自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。

代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。

ある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。

コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。

レビュー(まずはネタバレなし)

本作のベネチア銀獅子賞獲得で、オスカー+世界三大映画祭受賞という快挙。それもここ数年、不作なしの短期間で偉業を達成しているのはお見事というしかない。

黒澤明以来と騒がれても、「受賞の中身が全然違うので」と、至って謙虚なところが濱口竜介監督らしい。

だが、それでも大して興行成績に結びついていないのが、日本の映画界の現状とは寂しい。『ドライブ・マイ・カー』は相応に上映館数があったが、本作は『偶然と想像』と同様に単館系。

アニメとゴジラに流れていく傾向は止まらないか。まあ、本作がシネコンでヘビロテ上映されるのは、さすがに無理があるか。

(C)2023 NEOPA / Fictive

『ドライブ・マイ・カー』でもサントラを手掛けた石橋英子の楽曲やパフォーマンスに、濱口監督が映像を付与する『GIFT』なる企画がまずあった。

そこから派生して、今度は映画に音楽を付与してみようと、生まれた『悪は存在しない』がベネチア映画祭で受賞とは、それこそGIFTさずかりものだ。

(C)2023 NEOPA / Fictive

冒頭、走るクルマから空を見上げているように、森の樹々が上下に流れていく様子が延々と続く。そこに石橋英子の音楽がフルコーラス流れ、時折クレジットが入る。音楽は興味を引くが、さすがに長い。

次に、主人公の(大美賀均)丁寧に一つ一つ薪を割る姿に付き合わされる。それが終われば、清流で飲料タンクに水くみ。

おそろしくスローテンポで会話もなく、自然と音楽を調和させたようなシーンが続き、早くも睡魔が襲う。もしかして、MV仕立てでカメラを回した作品なのか、これ。

だが、はじめは意味不明だったパーツが少しずつ繋がっていき、朧げに全貌が見えてくる。

たとえば、わさびが採れて、水がうまいという話が出れば、舞台は長野だろうと分かるし、汲んでいる水は一緒に運んでいる店主(三浦博之)のうどん屋の調理用水そして巧は小学生の娘・(西川玲)と二人暮らしする街の便利屋らしい。

物語は、東京の企業によるグランピング施設の建設説明会というイベントを迎えて、俄然面白くなる。急遽説明会が開かれることになり、町長(田村泰二郎)は多くの住民に声をかける。

毎日平穏に自然の中で生活している住民たちに、こんな案件は歓迎されないことは明白だ。どうしたって、自然破壊につながるだろうから。

リゾート施設開発業者との争いを描いた、『真夏の方程式』『サウスバウンド』なんかと似た構図だ。ただ、これらの作品では観光客誘致に開発業者も本気だし、住民には観光収入目当ての賛成派もいた。

本作では芸能事務所が政府からの補助金目当てで畑違いの事業をやるものらしい。始めから相手の本気度が疑わしい。しかも、BBQ主体のグランピングでは、地域に対して金はおちないだろう。

完全アウェイの中で、芸能事務所からは担当二人だけのおざなりな説明会。いかにもそれっぽい薄っぺらな内容のビデオ上映。

その後の質疑で上司の高橋(小坂竜士)はタジタジになるが、いかにも業界人っぽい軽さ。サポートの(渋谷采郁)の方がまだ誠意あり。

住民は猛反対なのかと思いきや、冷静に計画の問題点を次々と指摘してくる。みんな大人の対応をしている。傍目には、どうみても住民の意見に完全に分があるため、二人は宿題を持ち帰って東京の芸能事務所での社内打ち合わせ。

社長(長尾卓磨)には「すぐにもう一回長野に行ってこい」と言われ、板挟みの道中、車内での高橋と薫の会話。このあたりの芝居や会話のうまさと面白さは細かく書くことは避けるが、もう完全に濱口竜介の真骨頂。

会話劇をあれだけ自然にこなせるのは、濱口監督の代名詞<本読み>のなせる業か。絵的には単調なはずなのに、車内会話が全く飽きることがないのは、『偶然と想像』でも『ドライブ・マイ・カー』でもお馴染み。

担当二人を一方的に悪人にしていないところが奥深い。単純明快な善悪を付けたくないのだろう。社長よりも、お調子者のコンサル(宮田佳典)の軽薄さが際立つ。

(C)2023 NEOPA / Fictive

石橋英子の音楽に合うように美しい映像を撮っただけの作品ではないし、かといって物語の盛り上がりに合わせて映画音楽を流すのとも違う。曲の途中に唐突に演奏を止め、不安を煽るような謎の演出さえみられる。

本作は音楽との出会いによって企画されたものではあるが、相手に合わせて配慮するような印象はない。

霧が流れていく山小屋、鹿たちの水場や澄んだ川の水、チェーンソーや薪割りの木屑、牛舎の隣で堆積した糞尿から煙のようにあがる臭気

美しいものだけでなく、その町にある自然をきちんとカメラにとらえながら、メインにあるものは『ハッピーアワー』時代からの気心知れたメンバーを中心に描かれたヒューマンドラマである。

はたして、高橋たちはどうやって住民との良好な関係を構築するのか。そして、いつも山の中を一人で行動する娘・花の行動に漂う不吉な匂い。どうなるか先が読めない。

濱口監督はよく、「ストーリーは重視していない」と語っている。総合芸術だから、脚本は全体のほんの一部。

『ドライブ・マイ・カー』で不興を買った韓国ロケのラストシーンも、確信犯的に追加したそうだが、本作でもそれと同じように意表を突いてくる。

もし、もっと順当な結末であれば、映像・音楽・芝居もよく出来ている単なる<良い映画>に収まってしまったかもしれない。

その意味で、最後に不協和音を強く弾きに行った濱口監督のねらいは理解できる。だが、それがあの内容でいいのかは、私は腹落ちしていない。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

「まだ誰も賛成でも反対でもない」

静かで朴訥な語り口の巧には、親しみと信頼感が持てる。住民の信任が厚いことも肯ける。

一方で、はじめは憎まれ役と思われた高橋が、「もう芸能の仕事を辞めて、施設の管理人になるか」などと本気で思ったような行動に出始めるのも興味深い。

この二人がどういう関係を構築するのか、楽しみに観ていた。だが、詳細は伏せるが、唐突に悲劇がおきる。脈絡なし、セオリー度外視の、監督の敬愛するカサヴェテス的なアプローチか。

悪は存在しない。自然災害は悪ではないし、人間もまた、自然の一部だ。

たとえば、グランピングの強引な建設で自然が破壊される、或いは住民とのトラブルになる、そういった展開なら、このタイトルはどうかとも思うが、本作での悲劇は、グランピングとは全く関係のないところで起きる。

そうなると、巧のとった行動も謎だ。それを他人には見せたくないと思ったのか、或いは、不幸の全てを土地開発のせいにしたいという逆恨みなのか。

人間、極限状態での突発的な行動に意味はつけにくいとはいえ、理解が難しい。

(C)2023 NEOPA / Fictive

観るものに考えさせることをねらいとしたラスト。作品は面白いのに、最後に消化不良なネタをぶつけてくる手法は、最近では『落下の解剖学』なんかと同類か。

各自が解釈したいようにすればいいということなのだろうが、あのラストはあまりにとってつけたようなものだ。実際、濱口監督も意図せずにあのラストシーンを撮り、あとで自分で腑に落ちたそうだ。

だから我々も後付けで意味を考えることはできるのかもしれないが、それ以前に後味がわるい。ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』に本作は多くの影響を受けたと言っていたのになあ。