『ポエトリー アグネスの詩』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ポエトリー アグネスの詩』今更レビュー|ポエム大臣にも伝えたい詩の重み

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『ポエトリー アグネスの詩』

イ・チャンドン監督が韓国の名女優ユン・ジョンヒを招聘し描いた、魂の賛歌


公開:2010年  時間:139分  
製作国:韓国

スタッフ 
監督・脚本:    イ・チャンドン

キャスト
ヤン・ミジャ:   ユン・ジョンヒ
チョンウク:    イ・デヴィッド
キボムの父:     アン・ネサン
カン老人:       キム・ヒラ
ヒジン(アグネス): ハン・スヨン
ヒジンの母:   パク・ミョンシン
詩人:       キム・ヨンタク
刑事:       キム・ジョング

勝手に評点:3.0
  (一見の価値はあり)

(C)2010 UNIKOREA CULTURE & ART INVESTMENT CO. LTD. ET PINEHOUSE FILM. TOUS DROITS RESERVES

あらすじ

釜山で働く娘の代わりに、中学生の孫息子ジョンウク(イ・デヴィッド)を育てている66歳のミジャ(ユン・ジョンヒ)。腕に痛みを感じて病院に行くが、体の不調より物忘れのひどさを懸念され、精密検査を勧められる。

診察後、ミジャは川で投身自殺した女子中学生の母親(パク・ミョンシン)が錯乱状態に陥っている姿を偶然目撃する。

ミジャは町の文化センターで偶然見つけた詩の講座を受講し、人生で初めて詩を書くことになる。

詩のテーマを見つけるために、これまで何気なく過ごしていた日常を思い返し、美しさを探そうとするミジャ。

今まで見てきた全ての物を新鮮に感じ、少女のように心ときめく彼女だったが、世の中が自分の思うように美しくはないことを知る。

今更レビュー(ネタバレあり)

アルツハイマーになり言葉を失っていく初老の女性主人公が、詩の教室に通い始めて一編の詩を編み出すまでを描いたイ・チャンドン監督のカンヌ国際映画祭脚本賞受賞作。

冒頭、川辺で遊ぶ子供たちの風景。心が和むのも束の間、そこに少女の溺死体が流れてくる。

そして、娘を亡くして茫然自失となり取り乱す母親(パク・ミョンシン)を、病院の駐車場で目撃するのが主人公のヤン・ミジャ(ユン・ジョンヒ)

66歳でもお洒落に着飾るのが好きなミジャは、腕の痺れで診察に訪れたが、「健忘症の方が心配だ」と医師に精密検査を勧められる。

ミジャはヘルパーの仕事をしながら、釜山に出稼ぎに行っている娘の代わりに、中学生の孫ジョンウク(イ・デヴィッド)と暮らしている。

子どもの頃に学校の先生から「きみは詩人になるだろう」と言われたのが忘れられず、ミジャはカルチャースクールで詩を習い始める。

詩人の目でものを見ることを意識し始める彼女だが、ある日、詩の教室の帰りにジョンウクの友人の父親(アン・ネサン)が現れ、他の保護者の集まりに連れていかれる。

そこで彼女は厳しい現実に直面する。川に身投げした少女ヒジン(ハン・スヨン)は、6名の男子生徒に性加害を受けていた。その一人がジョンウクだったのだ。

アルツハイマー、ポエトリー、そして強姦による自殺。一見なんの脈絡もないこの三要素が結びついていく。

(C)2010 UNIKOREA CULTURE & ART INVESTMENT CO. LTD. ET PINEHOUSE FILM. TOUS DROITS RESERVES

この自殺したヒジンを巡る関係者の描き方が何とも醜悪だ。ただの中二病のアホガキかと思っていたジョンウクが、悪友たちと卑劣な愚行を起こしていたのもひどいが、その親たちもひどい。

ミジャ以外はみな父親しか登場しないが、慰謝料を集めて示談にすることしか頭になく被害者少女の容貌を愚弄したり、加害児童の保護者が集まったらまずはビールで乾杯したりと、反省の色はない。

学校側も同様で、事が表沙汰にならないことにしか関心がない。そんな中に女性ひとり、ミジャが参加するが、病気のせいか知らないが、会話にも参加せずに目に留まった花を前に詩の創作に余念がない

偽りのない心で、美しいものを見て感動しないと詩は作れない。詩を書こうと懸命に努力するミジャだが、目の前にこんな汚い現実が横たわっていては、いくら美しい花や自然の声に注目しても言葉にはならない。

それに、示談成立のためには各自500万ウォンの金を用意する必要があるが、そんな金はミジャにはなく、どうにか工面しなければならないのだ。

そんなミジャに更に追い打ちをかけるように、大病院でアルツハイマーと診断される。

「今の段階は名詞ですが、やがて動詞が思い出せなくなってきます」

はたして、それまでに詩を書くことができるだろうか。そんな折、ミジャは少女ヒジンの自殺した橋の上や河岸を訪れ、少女に思いを寄せていく。

どうにか詩を紡いでみようと努力するミジャの姿は美しいが、それよりも醜い現実社会に焦点をあてるところがイ・チャンドン監督らしい。

資金を工面できないミジャは、仕事のヘルパーの対象者でんでん似のカン老人(キム・ヒラ)が以前にバイアグラを飲んで「死ぬ前に一度だけ頼む」と言い寄ってきたのを思い出し、今度は拒絶せずに自分からせまってみる。

障害者相手の性行為は『オアシス』のようでもあるが、そこに愛はなく、後日ミジャは「理由をきかずに500万ウォン頂戴」と脅迫する。

主人公ミジャを演じたユン・ジョンヒは、1960~70年代に300本以上の映画に出演した韓国の大女優。本作で久々に現役復帰。奇しくも映画と同じくアルツハイマーで闘病していたが、2023年1月に78歳で他界。

本作は彼女あっての作品といってよく、周囲の男たちがおばあさん呼ばわりするのが失礼なほど、若くてお洒落な女性。まあ、まだ66歳だから老人といっては気の毒か。

強姦して被害者を自殺させた不出来な孫の示談金をつくるために、自らが売春行為をする祖母。何とも皮肉な社会構造であるが、よくよく考えれば、ミジャは別に示談にするために、必死になって孫を庇っているわけではない。

私ははじめ、ポン・ジュノ監督の『母なる証明』みたいな、息子溺愛型の母親像なのだと思っていたが、他の父親たちとの成り行きでカネを工面しなければならなくなったというのが実態のようにみえる。

そして、ようやく示談が成立しそうになるところから、話の流れが急に変わり出す。

ミジャは一度、女同士の方が説得しやすいと父親たちに唆され、少女ヒジンの母親との示談交渉に行かされるが、世間話しかできずに帰ってくる。

自分と同じように女手ひとつで子どもを育てているヒジンの母親を他人に思えず、また、示談を受け容れざるをえない家庭事情を慮り、ミジャは示談成立後にある行動を起こす。

ここから先は説明的な描写は少なく、想像で補う部分が多くなる(だから正しくないかもしれない)。示談成立の見通しがたつと、ミジャはジョンウクにピザをご馳走し、足の爪を切ってやり、釜山から母親を呼んでやる。

そして夜に路上でジョンウクとバドミントンをしていると、詩の朗読会で知り合った刑事(キム・ジョング)が警察車両で彼を連行しにやってくる。ミジャが仕向けたのだろう。

卑猥な話ばかりで詩を冒涜していると思われたこの刑事だが、孫の連行からミジャとのやりとりまで実にさりげなく、思いやりに満ちている。こんな優しい逮捕劇はみたことがない。彼もまた詩人の心を持っているのだ。

そしてジョンウクの母親がくると、部屋には誰もいない。カルチャースクールの最後の授業にも、ミジャは欠席している。だが彼女は講師(キム・ヨンタク)に詩を残した。

(C)2010 UNIKOREA CULTURE & ART INVESTMENT CO. LTD. ET PINEHOUSE FILM. TOUS DROITS RESERVES

クラスで最終日までに詩を提出できたのはミジャだけであった。講師はそれを朗読する。「アグネスの詩」。アグネスは、死んだ少女ヒジンの洗礼名だ。

先生が朗読する詩は、はじめはミジャの声、そして少女の声になる。それはミジャがアグネスに会おうとし、やがて二人が重なっていくような内容の詩だ。

これまで散々努力しても詩がかけなかったミジャが、どうしてこの詩を書けたのか。

講師は、普段何千回も見ているリンゴも見方を変えなければ詩は書けないと教えてくれた。同じように、ミジャには、少女のことも何にも見えていなかった。

穢れた目では、どんなに美しいものを見ても詩は書けない。少女の死と向き合うことなく、ずるく示談金をせしめたところで詩は浮かばない。

だからミジャはけじめをつけた。娘にも申し訳が立たない。孫のジョンウクには罪を償わせ、そして自分も少女と同じように、川に身を投げた。

そうすることで初めて、ミジャはアグネスに顔向けができ、詩を紡ぐことができる。美しいものの前に、自分をさらけ出さなければ、詩は書けないのだ。

後追い自殺のほかに、ミジャが大切にしている最後の授業を欠席する理由が見つからない。冒頭の川の流れとせせらぎは少女の、そしてラストの川の流れはミジャの、それぞれの死を暗示するものなのだろう。

詩の巧拙とは別に「アグネスの詩」が心に刺さるのは、それがミジャの命に代えて書いた一遍だからか。

詩人とは、その魂の一遍に命を賭すひとをいうのだ。