『シスター 夏のわかれ道』
我的姐姐
自分の夢を諦めて、初めて会った弟を引き取るか。家を出た姉の葛藤が胸を揺さぶる。
公開:2022年 時間:127分
製作国:中国
スタッフ 監督: イン・ルオシン(殷若昕) 脚本: ヨウ・シャオイン(游暁頴) キャスト アン・ラン(安然): チャン・ツィフォン(張子楓) アン・ズーハン(安子恒): ダレン・キム(金遥源) ウー・ドンフォン(武東風): シャオ・ヤン(肖央) アン・ロンロン(安蓉蓉): ジュー・ユエンユエン(朱媛媛)
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
看護師として働くアン・ラン(チャン・ツィフォン)は、医者になるために北京の大学院進学を目指していた。
ある日、疎遠だった両親を交通事故で失い、見知らぬ6歳の弟・ズーハン(ダレン・キム)が突然現れる。姉であることを理由に親戚から養育を押し付けられるが、アン・ランは弟を養子に出すと宣言する。
養子先が見つかるまで仕方なく面倒をみることになり、両親の死すら理解できずワガママばかりの弟に振り回される毎日。しかし、幼い弟を思いやる気持ちが少しずつ芽生え、アン・ランの固い決意が揺らぎ始める。
レビュー(まずはネタバレなし)
ミステリアスな導入部分
文部科学省選定教育映画と言われると、お堅く道徳でも説かれるかと身構えてしまうが、蓋を開けてみると、これはなかなかの野心作。両親の交通事故で、会ったこともない幼い弟の世話をみる羽目になる姉が主人公の物語。
監督は、本作が長編二作目となるイン・ルオシン。そして脚本はヨウ・シャオイン。新進気鋭の女性クリエイターふたりが、現代中国に根付く社会問題を女性の視点からとらえる。
◇
冒頭からしばらくの展開には無駄がなく、かといって十分な情報も与えられず、観る者を煙に巻く。
まずは、交通事故で大破した車両。そのそばに、主人公のアン・ラン(チャン・ツィフォン)が佇んでいる。
事故直前に父が携帯で電話した相手だったため警察が呼んだのだ。彼女は事故死した夫婦の娘だ。だが、親の持つ家族写真には、弟の姿しかない。
◇
両親の葬式に親族が集まる。四川では葬儀のあとに麻雀をやり死者を送る風習があるらしい。これは驚いた。焼香のあと、通夜振る舞いではなく、雀卓に誘われるのだ。しかも、そこで賭け金の授受まであるところが面白い。
そして、金払いの悪い、お調子者の叔父ドンフォン(シャオ・ヤン)がそこにいる。
一人っ子政策と家父長制
さて、親族たちの関心事は、残された幼い弟ズーハン(ダレン・キム)の面倒を誰がみるかということだ。「アン・ランは姉なのだから、弟を引き取るべきだ」と周囲はいう。
だが彼女は大学院進学を目指して、目下猛勉強中。「他人も同然の弟のために、夢を諦めることなどできない」と強硬に突っぱねる。
弟に名義変更する前に親が死に、彼女が相続することになる家もまた、親族の反発を買っている。そして口論の最中、アン・ランは父の持っていた書類をみつけ、「私が足の悪い障がい者だったらよかったのにね」と喧嘩をふっかける。
この辺までの会話が、速いペースで説明もなく交わされていくので戸惑ったが、徐々に状況が解明されていく。
これは、中国事情に多少明るい人なら、すぐにピンとくる話なのだ。私も途中から気づいたが、カギは現代中国社会の背景にある<一人っ子政策>と<家父長制>である。
大学院を目指すアン・ランは大学生ではない。看護師として病院に勤務しており、進学して医者になろうとしている。彼女は優秀だったが、親は勝手に進路を医学部から看護学校に変えた。女だからだ。医者など目指さず、親の老後の面倒をみればいい。
一人っ子政策のおかげで、アン・ランの誕生は両親を落胆させた。男の子が欲しい親は、娘を足が悪い障がい者だと偽り、第二子の申請をする。ハズレがでたから、もう一回ひかせてくれと言わんばかりの親の姿は、彼女の心の傷となった。
この政策は2015年に終わり、その後に弟が生まれた。だから姉弟は歳の差が離れているのだ。そして、親に見切りをつけ、学費も自分で捻出し家を出たアン・ランには、弟ズーハンなど他人も同然なのだ。
姉と弟の激しいぶつかり合い
こういう確執から、彼女は弟を引き取る気はない。世話好きの伯母ロンロン(ジュー・ユエンユエン)は気にかけてくれるが、夫の看病があるために引き受ける余力はない。
ろくに定職のない叔父ドンフォンに一度は預けたが、雀荘に入り浸り弟にまで賭け事を仕込む始末で、願い下げとなる。結局、アン・ランは、養子縁組の相手を探そうとする。
個人の幸福か、家族のつながりか。一般的には難しい選択ではあるが、アン・ランにとっては、もう縁切りしたに等しい家族だ。
そうは言っても、結局個人の夢を引っ込めて家族を選ぶのだろう、とか、喧嘩ばかりの姉弟だけど、すぐに仲良くなってしまうのだろう、といったありがちな読みは通用しない。
待望の男の子として甘やかして育てられたのだろう。ズーハンは口利きも横柄だし、駄々もコネまくる。朝食のトースト丸めて放り出し、「肉まん食べたい」と大騒ぎする悪ガキに、アン・ランがキレそうになる気持ちも分からなくもない。
だが、勝手に弟のオモチャ箱を廃棄しようとしたり、親族に向かってすぐに喧嘩を吹っ掛ける、常に戦闘モードのアン・ランもなかなかの強者だ。
キャスティングについて
望まれなかった娘として、早くから親元を離れて自立してきたアン・ラン。一方で待望の長男として愛情を受けて育ってきたズーハン。容易に仲良くなって、既定路線に行かないところがリアルでいい。
◇
イン・ルオシン監督は本作を撮るにあたってエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』、是枝裕和監督の『奇跡』、『海よりもまだ深く』を参考にしたという。
それを知る前から、ズーハンのクリッとした目のいたずらっ子顔は、ヤンヤンに似てると思っていたので、合点がいった。黄色いTシャツという格好まで一緒だ。
ズーハンを演じたダレン・キムは本作がデビューだが、地でやっているとしか思えないあの演技を引き出したのは、是枝監督の子役演出法に学んだのだろうか。
◇
アン・ランを演じたチャン・ツィフォンは、アングルによっては『サマーフィルムに乗って』の伊藤万理華っぽいなあ、などと思っていたが、岩井俊二監督の『チィファの手紙』の妹役の女優だった。
同作の日本版(つまり『ラストレター』)で森七菜が演じた役を彼女がやっていたのだ。そういえば、あの映画も、一人っ子政策の影響で設定を改変した作品だった。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
好きなことをしなさい
アン・ランが勤務する病院に、妊娠で生命の危険にさらされている妊婦がいる。看護師であるアン・ランが必死で思いとどまるよう説得しても、夫も、そして妻さえも、子供の出産を諦めない。
「どうして? もう二人も女の子がいるじゃない!」
母体の生命を危険にさらしても、男の子がほしい。そんな社会風潮が彼女には許せない。
「好きなことをしなさい」
伯母はようやく理解してくれる。女だからって、夢や希望を捨てなくていい。伯母もまた、アン・ランの父親のために、自分の夢を諦めた女性だった。
本作の登場人物には、根っからの悪人はいない。両親の死んだ交通事故の相手であるトラック運転手は、飲酒運転の疑惑があると散々騒ぎ立てても腹を立てず、逆にアン・ランに裕福な親族まで養子先にと紹介してくれる。
伯母も最後には打ち解けてくれる。ギャンブル好きのだらしない叔父だって、律儀にひとりで両親の墓参りを続けてくれる優しい面もある。
もう二度と会わない
終盤になると、アン・ランがなぜこうまで意地を貫いて気を張ってきたのかが分かる。勉強もでき頑張り屋なのに、親は自分をけして褒めてくれない。女というだけで、人格を否定され、悔しさから家を飛び出し医者を目指す。
優柔不断な恋人と別れ、弟を養子に出し、それでも自分は医者になって、認められたい。いま何かを諦めたら、自分が今日まで頑張ってきた意味が崩れてしまう。
◇
「豆の茎で豆を煮る。豆は釜の中で泣く。豆も豆殻も根は同じ。どうしていじめるの?」
唐突にズーハンがアン・ランにそう語り出すシーンがある。これは三国志に出てくる曹植の「七歩詩」なのだが、きっと何かで覚えたのだろう。イン・ルオシン監督がどこかで語っているのを読んで、そんな漢詩があったのを思い出した。
こういう歌詞を諳んじる一方で、「何でママはもっと早くボクを産まなかったんだろう。姉ちゃんと歳が離れすぎだよ」と、一人っ子政策は知らない子供らしさもある。
最後に、ズーハンは裕福な家の夫婦に引き取られる。一度は立ち消えになった話を、姉の為を思ったか、自ら再交渉して養子に入る。さすが中国らしく、超富裕層の夫婦だ。願ってもない話だが、アン・ランにこう告げる。
「古いオモチャも家を売ったおカネもいりません。ただ、もう二度と会わないという誓約書を書いてほしい」
◇
ここからの展開ひとつで、陳腐なお涙頂戴ドラマになりかねないところを、姉も弟も、見事に抑えた演技で観る者の心をつかむ。
特に、大邸宅に引き取られたズーハンが久々に再会した姉を見もせず何も語らず、窓の外のテラスで小さな背中を向けて涙をこらえている姿には泣かされた。感動を押し付けない演出がいい。
そこから先の二人の行動は、けしてハッピーエンドとはいえないだろう。でも、たとえベタでも予定調和でも、束の間、このラストに浸っていたい。